天正10年(1582年)頃の物価
織田信長が殺された頃の物価を調べてみますと、米1石が京都で1200~1500文、奈良では600~800文です。京都は奈良の倍近く、物価が高かったようです。 1石は10斗で、1斗は10升です。1石というのは一升瓶100本分という事です。銭1000文は1貫文といいます。 大豆1石が京都で1000~130... 続きをみる
織田信長が殺された頃の物価を調べてみますと、米1石が京都で1200~1500文、奈良では600~800文です。京都は奈良の倍近く、物価が高かったようです。 1石は10斗で、1斗は10升です。1石というのは一升瓶100本分という事です。銭1000文は1貫文といいます。 大豆1石が京都で1000~130... 続きをみる
天正4年(1576)、織田信長は琵琶湖のほとりの安土に新しい城の建設を始めます。岐阜城を長男の信忠に譲り、仮宿所に移って自ら指揮を執ります。 城の建設に伴って、様々な人たちが安土に集まって来て、城下町も形成され、何もなかった地が、日本中で最も注目される都に変身して行きます。 安土城の天主が完成したの... 続きをみる
豊臣秀吉が若かった頃、カブキ者というのが流行っていました。 人と変わった目立つ格好をして、奇抜な行動を取る事をカブくと言って、カブいている者をカブキ者と呼んでいました。 戦国乱世が生んだ一つの風潮で、明日の事はわからない、今がよければそれでいい。今を精一杯生きている証として、目立つ格好をして、人並み... 続きをみる
吉乃(きつの)は生駒蔵人家宗の娘です。生駒蔵人は灰と油を商う商人でありながら、武士でもありました。輸送のための人足を多く抱え、各地から集まって来た浪人者なども居候していたようです。 木曽川流域の野武士集団を率いていた蜂須賀小六も出入りしていて、商人たちの警固に当たっていました。豊臣秀吉も木下藤吉郎を... 続きをみる
長野県の善光寺の御本尊、阿弥陀如来様は戦国時代、武田信玄と上杉謙信の川中島の合戦に巻き込まれて、しばらく旅に出ておりました。 天文22年(1553年)8月、第一回目の川中島合戦の時、上杉謙信は善光寺の仏像と仏具の一部を奪い取って越後の府中に移します。この時は御本尊の阿弥陀如来様は無事でした。 弘治3... 続きをみる
湯本善太夫の跡を継いだ三郎右衛門は善太夫の甥です。 13歳の時、父親は戦死してしまいます。本来なら長男の三郎右衛門が父の跡を継ぐはずでしたが、若過ぎるために、父親の弟が跡を継ぐ事に決まってしまいます。 悔しい思いをした三郎右衛門でしたが、翌年の春、思いもよらない幸運が舞い降りてきます。お屋形様の善太... 続きをみる
上野の国(群馬県)の草津温泉は鎌倉時代より湯本氏が代々領主として守っていました。室町時代、上野の国は関東管領の上杉氏の支配下にあったので、湯本氏も管領に従い、草津温泉も安全でした。 京都で応仁の乱が始まった頃、関東でも、鎌倉にいた公方様(足利氏)と公方様を補佐する管領の上杉氏が対立して、関東の武士た... 続きをみる
上野の国(群馬県)は関東公方の執事である関東管領上杉氏の領国でした。 京都で応仁の乱が始まった頃より、関東でも公方と管領の争いが始まり、各地の武将たちもそれに巻き込まれて争いが絶えませんでした。やがて、管領の上杉氏も分裂して争いを繰り返します。その頃、関東の地を一つにまとめようと活躍したのが、上杉家... 続きをみる
蝙也斎(へんやさい)は15歳の時に上州と信州の国境に聳える浅間山に籠もって、三年間の修行の後、夢想願流という独自の武術を編み出して、武者修行の旅に出ます。 時は慶長15年(1610)、戦国時代が終わりを告げようとしていた頃です。 30歳の頃は関東郡代を務める旗本の伊奈備前守のもとに居候して、剣術を教... 続きをみる
二階堂流平法は慈恩禅師の弟子の二階堂右馬助が編み出した流派です。 どういう経路で伝わったのかわかりませんが、美濃の郷士、松山氏に伝わります。 松山主水の祖父は軍師竹中半兵衛の従弟で、半兵衛の旗本として戦で活躍します。半兵衛の死後、浪人となった祖父は各地を流浪した後、豊臣秀吉の斡旋で加藤清正に仕えます... 続きをみる
林崎甚助は抜刀術(居合)の始祖で、田宮流を開いた田宮平兵衛、伯耆流を開いた片山伯耆守、無楽流を開いた長野無楽斎、関口流を開いた関口柔心、一宮流を開いた高松勘兵衛は皆、甚助の弟子たちです。 甚助は天文年間(1532年~1555年)の半ば頃、出羽の国の林崎村(山形県村山市)に生まれたと伝えられています。... 続きをみる
1590年 7月 11日 北条氏滅亡する。 8月 1日 徳川家康、江戸城に入る。 1592年 1月 5日 豊臣秀吉、朝鮮、明への出兵を諸将を命じる。 1593年 針ヶ谷夕雲、生まれる。 1歳 この年、神子上典膳(後の小野次郎右衛門忠明)、徳川家に仕える。 1594年 徳川家康、柳生但馬守宗厳(石舟斎... 続きをみる
あれこれ考えず、描き始めてからイメージを探っていくことが多いです。 創作ノート、カラーペン
パンの包装紙を見ていてアンパンマンのように顔が描きたくなったので、 さっそく今日買ったA7版のリングノートにあれこれコラージュ・・・こんなページの出来上がり! コラージュ&ペン+鉛筆