中国史のムラゴンブログ
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中国史・始皇帝・11
始皇帝の話は約1年くらいかけて記事にしてきました。。 中国史の中で始皇帝の話と春秋時代、そして大好きな三国志の時代が好きですが、 今日で始皇帝の話は、とうとう終わりになります~。涙。。。 では嬴政の最後を書いていきましょ~。 始皇帝の死 嬴政は栢人はくじんの地で重病に倒れました。 嬴政は言いました。... 続きをみる
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中国史・始皇帝・10
1年ほど語る会をしています(笑) では続きです。 前211(始皇36年) 嬴政49歳。 始皇帝の死の前年 不吉な出来事がありました。 墜星ついせい(隕石)が東郡に落ちて石になりました。 その石に「始皇帝死して地分る」 と刻み込んだ者がいました。 嬴政はこれを聞いて御史ぎょしを派遣して捜査をした。 し... 続きをみる
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- # 中国史
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「動乱」を鑑賞しての『富国強兵』、管仲
映画『動乱』を見ていました。高倉健、吉永小百合、「226事件」・・・ この映画の冒頭の連隊長の言葉、 「国民を富ますには、国が富まないといけない。その為には、強い軍隊が必要なんだ。」 今から2600年前の中国、斉の執政、管仲は「富国強兵」の為には、国民、民を富ますことによって国が富むと考え、それを政... 続きをみる
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読書 『草原の風』 宮城谷 昌光著
劉邦は項羽を倒して漢王朝を樹立。その後,功臣でもあり「国士無双」とまで言われた韓信、また彭越らを粛清、まあ、呂后がしたとかにしても、漢の将来を考えた事での事だろう。 事実上の唐の建国者、李世民は玄武門で兄と弟を殺している。中国の歴史の中では、権力の座にある者、地位にある者が、兄弟姉妹、親、親族を殺し... 続きをみる
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読書 『花の歳月』 宮城谷 昌光著
『物語には、感動が無ければならない』 この物語を読むのは、五回目ほどだろうか、名作と呼んで充分。 前漢の文帝恒(こう)と、その皇后竇猗房(とうきぼう)の物語。花は開花するもの、また開くまで耐え、忍もの・・・ 中國史上の最高の明君のひとりとされる劉恒、劉邦の四男でありながら、消して恵まれた境遇に置かれ... 続きをみる
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リハビリ・トレーニング日誌 ⑰ 2/19
本日も、スポーツセンターでじっくりとストレッチ。 今日の体重 60.3㌔ +1㌔ 『ムーラン』 ディズニーの実写版、アニメ版と他にも中国制作の実写版?と、上は連続ドラマの「ムーラン」で、40話もあるんだけれど、最後までみた。基本、ストリーは同じだと思うけど。 見てて、そうかこの物語は隋朝の成立期の物... 続きをみる
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「晏子春秋」内篇問下第四凡そ三十章 第十
👆呉王ではありません! 髪と眉毛が無いと年齢不詳だな・・ 「晏子、呉に使す、呉王拠る可く去る可きを問ふ、晏子対ふるに国の治乱を視るを以てす、」 【晏子が呉国に使いして、居るべき国と居るべからざる国との別を呉王に答う。】 晏子、呉王に謁見する。 呉王曰く、 「斉の子大夫殿(晏子のこと)、仕えるべき国... 続きをみる
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「晏子春秋」内篇問下第四凡そ三十章 第八
「景公問ふ、国如何なれば則ち安しと謂ふかと、晏子対ふるに内は政を安ん自、外は義に帰するを以てす、」 【国が安らかであるとは、いかなることであるかを述べて、景公の問いに答う。】 景公、晏子に問うて曰く、 「国はどうすれば安泰といえるのか?」 晏子、答えて曰く、 「人民が自由に物を言うことができ、役人の... 続きをみる
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「晏子春秋」内篇問下第四凡そ三十章 第六
「景公問ふ、賢不肖学ぶべきかと、晏子対ふるに勤勉をとなすを以てす、」 【生来の賢不肖よりも、努力の尊ぶべきことを述べて、景公の問いに答える】 景公、晏子に問うて曰く、 「人は生まれついて賢愚の差があるが、学問によって上達は可能か?」 晏子、答えて曰く、 「詩経にあるように、『高い山は人はこれを仰ぎ、... 続きをみる
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「晏子春秋」内篇問下第四凡そ三十章 第四
「景公簾政にして長久なることを問ふ、晏子対ふるにその行は水なるを以てす、」 【水と石との比喩を以て人の行為を評して、景公の問いに答う。】 景公、晏子に問うて曰く、 「清く正しく、永遠性がある行いとは、いかなるものか?」 晏子、答えて曰く、 「その行いは水の如です、美しくて清々で、柔軟性に富んでいます... 続きをみる
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「晏子春秋」内篇問下第四凡そ三十章 第一
「景公問ふ、何を修めば則ち夫の先王の游ならんと、晏子対ふるに耕実を省するを以てす、」 (景公が観游に出でんとして、晏子になすべきことを問う。) 景公が観游に出でんとして、晏子になすべきことを問うて曰く、 「転附と朝舞(二つとも地名)を通り、海に沿って南下し、狼弥(ろうやで斉の東境の邑、ここでの狼弥は... 続きをみる
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「晏子春秋」 問上第三 凡三十章 第二十四
「景公問ふ、古の国にのぞむ者の人に任ずること如何、晏子対ふるに人の能を同じくせざることを以てす、」 【景公の問いに答えて、人を任用するには適材適所たるべきことを述ぶ。】 景公が晏子に尋ねて言うには、 「君主たるもの、人を任用するにはどうしたらいいのかな?」 晏子、答えて曰く、 「野菜を栽培しようとし... 続きをみる
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「晏子春秋」 問上第三 凡三十章 第十八
「景公問ふ、明王の民を教ふること何若、晏子対ふるに先づ義を行ふことを以てす、」 (明王の民を教化する方策についての景公の問いに答える) 景公、晏子に尋ねて曰く、 「明王が国民に教える事には何があるかな?」 晏子、答えて曰く、 「その教え、号令を明確にして、率先して義を行う。苛酷に国民を使役せず、犯罪... 続きをみる
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「晏子春秋」 問上第三 凡そ三十章 第十三
「景公問ふ、善く国家を為る者は何如、晏子対ふるに賢あげ挙げ能を官にするを以てす、」 【景公に賢能の人を任用すべきことを説き、なお人を知る方を述ぶ。】 景公、晏子に尋ねて曰く、 「国に臨み、民を治めて善く国家を治める事の出来る者はどんな人か?」 晏子、答えて曰く、 「賢能の人をして国の政にあたらせ、能... 続きをみる
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「晏子春秋」 問上第三 凡そ三十章 第九
「景公問ふ、国を治むるには何かを患ふる、晏子対ふるに社鼠猛狗を以てす」 【国の政治の災禍ヲ成すものを、社鼠と猛狗の比喩をあげて述ぶ】 景公,晏子に問うて曰く、 「国を治めるには何を災禍として、心配すべきかな?」 晏子、答えて曰く、 「あの、社に住む、鼠を心配しています。」 景公、曰く、 「なんのこと... 続きをみる
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「晏子春秋」 問上第三 凡そ三十章 第三
「景公、魯を伐たんことを問ふ、晏子対ふるに政を修めて、以てその乱を待つに若かざることを以てす」 【景公が魯を伐たんとするを諫め、まず自国を修むべきことを説く】 景公、兵をあげて隣国の魯を征伐しようと思い、晏子に尋ねた。 晏子、答えて曰く、 「駄目です。魯公は義を重んじ、民は魯公を慕っています。義を好... 続きをみる
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「晏子春秋」 問上第三 凡そ三十章 第一
「荘公問ふ、当世を威して天下を服する時かと、晏子対ふるに行なることを以てす、」 【天下を服するは、時勢にあらずして徳行に拠ることを説く】 荘公、晏子に問うて曰く、 「勇力によって天下を制するのは、世の成り行きを思えば今か?」 晏子、答えて曰く、 「君の徳行が足りません。」 荘公、曰く 「何を言うんじ... 続きをみる
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「晏子春秋」 内編諌上第二 凡そ二十五章 第二十五
「景公、登射し、勇力の士を得て、これと国を図らんことを思ふ、晏子諫む」 景公、大射をする。(礼法にかなった弓術、この時代、戦車に乗って弓を射るのは大夫や君候であり、また弓を射るには細かな礼法があった。) 晏子が待っていると、景公、曰く、 「私は選射の礼(古は弓を射ることによって、その人物を見定めた、... 続きをみる
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范 蠡(はん れい)私の好きな、氏は范、諱は蠡、字は少伯
范 蠡(はん れい、生没年不詳)は、中国春秋時代の越の人 。氏は范、諱は蠡、字は少伯。越王勾践に仕え、勾践を春秋五覇に数えられるまでに押し上げた最大の立役者とされている。 私の好きな人物の一人、生年も、没年も、出身も不明。されど歴史に大きな足跡を遺している。范蠡はなぜ、見限る事ができたのか? 呉の伍... 続きをみる
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「晏子春秋」 内編諌上第二 凡そ二十五章 第二十四
「景公、勇士三人を養ふ、君臣の義なし、晏子諫む」 【晏子が勇力あって礼儀なき三勇者をしりぞけたことを記す】 公孫接、田開彊、古冶子(こうそんしょう、でんかいきょう、こやし)の三人の勇者は景公の寵愛を受けている。腕力は虎を素手で捕らえるほど。 晏子、三人の前を小走りに通り過ぎたが、三人は立ち上がらなか... 続きをみる
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「晏子春秋」 内編諌上第二 凡そ二十五章 第二十三
「景公、人礼を以て走狗を葬らんと欲す、晏子諫む」 【景公が犬を厚く葬らんとしたことを諫めて、生きた人を憂うべきことを説く】 景公の猟に使う愛犬が死んだ。景公は犬を棺に納め、人に対する礼をもってするように葬儀をしようとした。 晏子,このことを聞いて景公を諫めようとすると、 景公、曰く、 「とるに足らぬ... 続きをみる
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「晏子春秋」 内編諌上第二 凡そ二十五章 第二十
「景公、路寝の台成り、逢迂何合葬を願う、晏子諫めて許す、」 【景公の造った道寝が民の墓地を侵したことについて諫める】 公が路寝の台(政治の為の正殿)を作った。逢迂何(人の名、ほううか)は母が死んだので、父の墓に合葬しようと願ったが、父の墓所に路寝の台が建ってしまっていた。 逢迂何は晏子の馬車の前に進... 続きをみる
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子産、公孫僑 桀人、春秋の頭脳
春秋時代の頭脳、時代の先駆け、子産! 子産、または公孫僑は春秋次代の鄭国の宰相、執政であり、南の大国楚と北の大国晋の板挟みにあった国を、自身の才覚で安定させる。この時代に在っては初の法治主義を自身で提唱し、実践した。 自身が定めた国法を文字、文章に表記した、初めての人。国史上初の成文法と言われるもの... 続きをみる
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「晏子春秋」 内編諌上第二 凡そ二十五章 第十五
「景公、自ら冠装遊処の貴に誇る、晏子諫む」 「景公の宮室衣服の壮麗華美に流れるを戒む】 ☝ここに画像をお借りしましたが、志村けんさんは、素晴らしいコメディアンでした。 景公、遊園を造り、趣向を凝らして池をほどこした。その深さは、馬車が沈んでも見えない程で、池の辺の宮室の高さは二十四尺、横木の欄干には... 続きをみる
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「晏子春秋」 内編諌上第二 凡そ二十五章 第十
「景公、猟して蛇虎に逢い、以て不詳となす、晏子諫む」 【国に三不祥あることを述べて、景公の蒙をひらく】 景公、猟に行って、山に登って虎に逢い、沢に下っては蛇を見て不詳だと言った。 猟から帰ると、晏子を召しだし、質問するには、 「今日、私が猟に行ったなら、山では虎に会い、沢に下りれば蛇を見た。これは不... 続きをみる
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「晏子春秋」 内編諌上第二 凡そ二十五章 第六
「景公、長徠を為り、これを美にせんと欲す、晏子諫む」 【人民の夫役を戒めて、長徠の役をやめしめる】 景公、夫役を起こして長徠(ちょうらい、うてなの名?うてなって何?)を作り、美しく装飾を施そうとした。 雨が降った日に、景公は晏子と席を同じにして、堂上で酒を飲み、音楽を演奏させた。酒宴もたけなわになっ... 続きをみる
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「晏子春秋」 内編諌上第二 凡そ二十五章 第五
「景公、冬大台の役を起す、晏子諫む」 (大台の役=大台を作る為に、人民を夫役、労務に使う) 【人民に苦役を課することを戒め、大台の役をやめしめる】 晏子が斉の隣国、魯に使いをして帰る頃、景公は大台を作ると、夫役を起こした。この年の冬は寒く、村々には凍え、飢えて凍死する者が多かった。 国民は晏子が景公... 続きをみる
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「晏子春秋」 内編諌上第二 凡そ二十五章 第二
「景公、愛する所の槐を犯す者を殺さんと欲す、晏子諫む」 【景公が樹を愛して民を愛せざることを戒む】 景公のとても大切にしている槐の木があった。役人を任命して、守らせ立札を掲げさせた。令を発して景公が言うには、 「槐の木に触れた者は罰し、傷つけた者は死刑だ!」 しかし、酒に酔ってこの禁令を犯す者が現れ... 続きをみる
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「晏子春秋」 内編諌上第二 凡そ二十五章 第一
「景公、籍重くし、獄多し、晏子に託せんと欲す、晏子諫む」 【租税を重くし、刑罰を厳にする政治の非を戒む】 景公は人民に重税を課し、命に従わない者を厳罰にする政策をとったので、逮捕者が獄舎に溢れ、恨みを持つ者が朝廷に国中にも満ちた。晏子が、景公を諫めても、景公は聞かず、さらに晏子に任せようとして、景公... 続きをみる
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「晏子春秋」 内編諌上第一 凡そ二十五章 第二十三
「景公、狩に従うこと十八日にして国に返らず、晏子諫む」 【景公が狩猟に嵌まり国政を忘れた事を戒む】 景公、署梁(地名)で狩りを楽しみ、十八日も帰ってこない。晏子、国より赴いて景公に会いに行ってみると、衣冠はだらしなく、着物を直そうともせず、獣をひたすら追って走っている。景公は晏子を見つけ、馬車を降り... 続きをみる
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「晏子春秋」 内編諌上第一 凡そ二十五章 第二十二
「景公、将に宋を伐たんとし、二大夫立つて怒るを夢む、晏子諫む」 【晏子が景公の夢を判断し、宋国を伐つべきでないと戒む】 景公が宋(他の国)を攻めようと兵を出し、軍隊が泰山(斉にある山の名)を過ぎようとした時、景公の夢枕に二人の男が現れて、すごぶる激怒している様子だった。景公は恐れおののいて目を覚まし... 続きをみる
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「晏子春秋」 内編諌上第一 凡そ二十五章 第十八
「景公、公阜に遊び、一日に三過言あり、晏子諫む」 ※公阜は地名 一日に三過言=三度の失言 【晏子が一日に三たび景公を諫めたことを記す】 景公、宮城を出て公阜似て遊び、北面して斉の国城を見て、曰く、 「ああ、自分がいずれ死んでしまう事は、悲しいことだ。」 晏子曰く、 「昔、上帝は人の死をもって善しとし... 続きをみる
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「晏子春秋」 内編諌上第一 凡そ二十五章 第十六
「景公長く国を有つ楽を貪る、晏子諫む」 【景公が国を保つ楽しみにふけるを戒めて、善政ににつとむべきことを説く】 景公、川のほとりでのんびりと遊覧していると、晏子が静かに立ち上がった。 景公、のどかにあくびして曰く、 「嗚呼、国を長く保って子孫に伝えることは、楽で退屈なものだな。」 晏子、答えて曰く、... 続きをみる
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「晏子春秋」 内編諌上第一 凡そ二十五章 第十五
「景公、霊山河伯を祠つて雨を祷らんと欲す、晏子諫む」 (神霊の住む山や、川の神を祭って雨ごいをする) 【景公を諫めて、徒らに雨乞いをするよりも、心身を正すべきことを述ぶ】 斉は日照りが続いて旱魃となった。 景公は群臣を集めて問うて曰く、 「しばらく雨が降っていない、飢饉になる恐れもあって、国民が難渋... 続きをみる
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「晏子春秋」 内編諌上第一 凡そ二十五章 第十四
「景公、楚巫をして五帝を致して、以て徳を明らかにせしめんと欲す、晏子諫む」 ↑(景公、楚の巫女を使い、五方の帝を祭壇にまつる事により、己の徳をあらわしたいと願う) 【景公を諫めて、巫の言にたよるより、徳行につとむべきことを述ぶ】 楚の国の巫女、名前は微というものが、斉の臣、裔款(人名、えいかん)を頼... 続きをみる
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闘病記 ⑭ 管 夷吾(かん いご)または『管仲』
中国史上最高の宰相と称される「管仲」本名は管 夷吾(いご)、春秋時代の斉の国の宰相。桓公に仕え、桓公を覇者に押し上げる。人との出会いが、国を歴史を作っていく『管鮑の交わり』から 小説 「管仲」 宮城谷 昌光著 何度、読んだかな。病院のベットで寝ているときの読書、一冊にはいいね! 無名時代の苦悩、生活... 続きをみる
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ゆうごく古代中国の歴史 秦 なぜ嬴政が統一出来たか
【ゆっくり歴史解説】秦 伝説の時代の秦人たち 秦紀七百年 紀元前905年に、周の孝王に仕えていた非子が馬の生産を行い、功績を挙げたので嬴の姓を賜り、大夫となり、秦の地に領地を貰ったのが秦邑(現在の甘粛省張家川回族自治県)であったという。 伝説上では嬴姓は舜の臣の伯益が賜ったとされている。それ以前の嬴... 続きをみる
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青年団
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【20周年】青年団活動のおかげで、視野が広がりました✨活動丸20年!大分の親方の人生よ
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【喫緊の課題】羅臼町職員「元島民一世の現役語り部がいない現状」|北海道北方集会【青年団】
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【島を返せ!】「別海北方展望塔」で、国後島を近くに感じる|北海道北方集会【青年団 尾岱沼】
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【国後島を感じる】「羅臼国後展望塔」で北方領土問題を考える|北海道北方集会【青年団】
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【いま伝えます】北方領土問題を、北海道羅臼町・根室市で学ぶ|青年団・女性団体が交流
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【夏をかける】西日本の青年団仲間が、オンライン交流で「頑張るぞ!」と意気込む!
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【色を塗る】粘土工作でキャラクター「トモシビ団」づくり|大分県豊後大野市青年団「なないろベース」
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【速報!】北海道羅臼町&根室市で、北方四島の声を聞く【青年団】
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【閲覧注意!?】宮崎の作曲家&元青年団員「とだやん」氏と、大分で会う!東国原英夫氏のモノマネも!
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【学び続ける】北方領土問題について、オンラインで学ぶ|日本青年団協議会で、北海道研修もあり
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【居場所づくり】大分県連合青年団&大分市青年団の総会で、元気を分かち合う♪地に足のついた活動へ
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【思いを形に】粘土工作は、大人になっても面白い!大分県豊後大野市青年団「なないろベース」
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【横のつながり】大分の子ども・若者を応援!大分県青少年団体連絡協議会総会2026【青年団】
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遺跡
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【横須賀市】平和中央公園(米ヶ濱砲台跡)【猿島も見えます】
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イタリア旅行 ポンペイ遺跡(5日め 2026年7月30日)
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【スリランカ】ナーランダ遺跡:仏教とヒンドゥー建築が融合した謎多き古代遺跡
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今日は何の日?8月2日「美術館無料開放デー✨❤️✨」注意と全プログラム紹介♪❤️8月2日(日)❤️ 2026年@日曜日の美術館@地元ローマ市発!現地イタリア最新情報♪
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福島県 クマ目撃出没情報 [2026.7.2]
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江戸東京博物館「発掘された日本列島2026」(2)
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霞城公園(山形城跡)
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江戸東京博物館「発掘された日本列島2026」(1)
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元屋敷遺跡 (新潟県)
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岡山平野の初期水田(3)
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古都京都で多様な秘境感を味わう、境内での殺生はご法度
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ホテル裏のローマ遺跡
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後編: どうでも日記 ピサヌロークへ行ったので、スコータイまで行きました。
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前編: どうでも日記 ピサヌロークへ行ったので、スコータイまで行きました。
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【アメリカ旅行】(11)グランドサークル旅★アリゾナ州・アメリカ先住人の住居遺跡
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