斉の宰相に晏嬰がいる! 第一話、物語のスタートが時は春秋時代、斉の景公の時、晋と燕の連合軍が斉を攻める。 時の斉の宰相は晏嬰で、連合軍撃退の為に晏嬰は大将軍に田穣租にするように進言。田穣租は軍令違反で景公の寵臣である荘買を軍令違反で処刑。 興味のない人には面白くもなんともない話だが、この話は確か『春... 続きをみる
春秋時代のムラゴンブログ
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👆呉王ではありません! 髪と眉毛が無いと年齢不詳だな・・ 「晏子、呉に使す、呉王拠る可く去る可きを問ふ、晏子対ふるに国の治乱を視るを以てす、」 【晏子が呉国に使いして、居るべき国と居るべからざる国との別を呉王に答う。】 晏子、呉王に謁見する。 呉王曰く、 「斉の子大夫殿(晏子のこと)、仕えるべき国... 続きをみる
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「景公問ふ、国如何なれば則ち安しと謂ふかと、晏子対ふるに内は政を安ん自、外は義に帰するを以てす、」 【国が安らかであるとは、いかなることであるかを述べて、景公の問いに答う。】 景公、晏子に問うて曰く、 「国はどうすれば安泰といえるのか?」 晏子、答えて曰く、 「人民が自由に物を言うことができ、役人の... 続きをみる
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「景公問ふ、賢不肖学ぶべきかと、晏子対ふるに勤勉をとなすを以てす、」 【生来の賢不肖よりも、努力の尊ぶべきことを述べて、景公の問いに答える】 景公、晏子に問うて曰く、 「人は生まれついて賢愚の差があるが、学問によって上達は可能か?」 晏子、答えて曰く、 「詩経にあるように、『高い山は人はこれを仰ぎ、... 続きをみる
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「景公簾政にして長久なることを問ふ、晏子対ふるにその行は水なるを以てす、」 【水と石との比喩を以て人の行為を評して、景公の問いに答う。】 景公、晏子に問うて曰く、 「清く正しく、永遠性がある行いとは、いかなるものか?」 晏子、答えて曰く、 「その行いは水の如です、美しくて清々で、柔軟性に富んでいます... 続きをみる
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「景公問ふ、何を修めば則ち夫の先王の游ならんと、晏子対ふるに耕実を省するを以てす、」 (景公が観游に出でんとして、晏子になすべきことを問う。) 景公が観游に出でんとして、晏子になすべきことを問うて曰く、 「転附と朝舞(二つとも地名)を通り、海に沿って南下し、狼弥(ろうやで斉の東境の邑、ここでの狼弥は... 続きをみる
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「景公問ふ、明王の民を教ふること何若、晏子対ふるに先づ義を行ふことを以てす、」 (明王の民を教化する方策についての景公の問いに答える) 景公、晏子に尋ねて曰く、 「明王が国民に教える事には何があるかな?」 晏子、答えて曰く、 「その教え、号令を明確にして、率先して義を行う。苛酷に国民を使役せず、犯罪... 続きをみる
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「景公問ふ、善く国家を為る者は何如、晏子対ふるに賢あげ挙げ能を官にするを以てす、」 【景公に賢能の人を任用すべきことを説き、なお人を知る方を述ぶ。】 景公、晏子に尋ねて曰く、 「国に臨み、民を治めて善く国家を治める事の出来る者はどんな人か?」 晏子、答えて曰く、 「賢能の人をして国の政にあたらせ、能... 続きをみる
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「景公問ふ、国を治むるには何かを患ふる、晏子対ふるに社鼠猛狗を以てす」 【国の政治の災禍ヲ成すものを、社鼠と猛狗の比喩をあげて述ぶ】 景公,晏子に問うて曰く、 「国を治めるには何を災禍として、心配すべきかな?」 晏子、答えて曰く、 「あの、社に住む、鼠を心配しています。」 景公、曰く、 「なんのこと... 続きをみる
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「景公、魯を伐たんことを問ふ、晏子対ふるに政を修めて、以てその乱を待つに若かざることを以てす」 【景公が魯を伐たんとするを諫め、まず自国を修むべきことを説く】 景公、兵をあげて隣国の魯を征伐しようと思い、晏子に尋ねた。 晏子、答えて曰く、 「駄目です。魯公は義を重んじ、民は魯公を慕っています。義を好... 続きをみる
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「荘公問ふ、当世を威して天下を服する時かと、晏子対ふるに行なることを以てす、」 【天下を服するは、時勢にあらずして徳行に拠ることを説く】 荘公、晏子に問うて曰く、 「勇力によって天下を制するのは、世の成り行きを思えば今か?」 晏子、答えて曰く、 「君の徳行が足りません。」 荘公、曰く 「何を言うんじ... 続きをみる
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「景公、登射し、勇力の士を得て、これと国を図らんことを思ふ、晏子諫む」 景公、大射をする。(礼法にかなった弓術、この時代、戦車に乗って弓を射るのは大夫や君候であり、また弓を射るには細かな礼法があった。) 晏子が待っていると、景公、曰く、 「私は選射の礼(古は弓を射ることによって、その人物を見定めた、... 続きをみる
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范 蠡(はん れい、生没年不詳)は、中国春秋時代の越の人 。氏は范、諱は蠡、字は少伯。越王勾践に仕え、勾践を春秋五覇に数えられるまでに押し上げた最大の立役者とされている。 私の好きな人物の一人、生年も、没年も、出身も不明。されど歴史に大きな足跡を遺している。范蠡はなぜ、見限る事ができたのか? 呉の伍... 続きをみる
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「景公、勇士三人を養ふ、君臣の義なし、晏子諫む」 【晏子が勇力あって礼儀なき三勇者をしりぞけたことを記す】 公孫接、田開彊、古冶子(こうそんしょう、でんかいきょう、こやし)の三人の勇者は景公の寵愛を受けている。腕力は虎を素手で捕らえるほど。 晏子、三人の前を小走りに通り過ぎたが、三人は立ち上がらなか... 続きをみる
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「景公、人礼を以て走狗を葬らんと欲す、晏子諫む」 【景公が犬を厚く葬らんとしたことを諫めて、生きた人を憂うべきことを説く】 景公の猟に使う愛犬が死んだ。景公は犬を棺に納め、人に対する礼をもってするように葬儀をしようとした。 晏子,このことを聞いて景公を諫めようとすると、 景公、曰く、 「とるに足らぬ... 続きをみる
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春秋時代
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心處其道、九竅循理。春秋時代から伝わる心術の歴史 第4回
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No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】百九
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No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】百八
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No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】百七
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No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】百六
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No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】百五
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No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】百四
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No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】百参
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No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】百弐
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No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】百壱
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No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】百
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「菅子四篇」現代語訳の紹介 通読しやすいように作ってみました
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「管子心術」にある「眞(真)人」について
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春秋時代の貴族の墓(中国・陝西省)
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【古典文学】菅子四篇 心術上 (5) 靜乃自得。 自らのあるべき位置を保つ
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「景公、路寝の台成り、逢迂何合葬を願う、晏子諫めて許す、」 【景公の造った道寝が民の墓地を侵したことについて諫める】 公が路寝の台(政治の為の正殿)を作った。逢迂何(人の名、ほううか)は母が死んだので、父の墓に合葬しようと願ったが、父の墓所に路寝の台が建ってしまっていた。 逢迂何は晏子の馬車の前に進... 続きをみる
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春秋時代の頭脳、時代の先駆け、子産! 子産、または公孫僑は春秋次代の鄭国の宰相、執政であり、南の大国楚と北の大国晋の板挟みにあった国を、自身の才覚で安定させる。この時代に在っては初の法治主義を自身で提唱し、実践した。 自身が定めた国法を文字、文章に表記した、初めての人。国史上初の成文法と言われるもの... 続きをみる
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「景公、猟して蛇虎に逢い、以て不詳となす、晏子諫む」 【国に三不祥あることを述べて、景公の蒙をひらく】 景公、猟に行って、山に登って虎に逢い、沢に下っては蛇を見て不詳だと言った。 猟から帰ると、晏子を召しだし、質問するには、 「今日、私が猟に行ったなら、山では虎に会い、沢に下りれば蛇を見た。これは不... 続きをみる
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「景公、長徠を為り、これを美にせんと欲す、晏子諫む」 【人民の夫役を戒めて、長徠の役をやめしめる】 景公、夫役を起こして長徠(ちょうらい、うてなの名?うてなって何?)を作り、美しく装飾を施そうとした。 雨が降った日に、景公は晏子と席を同じにして、堂上で酒を飲み、音楽を演奏させた。酒宴もたけなわになっ... 続きをみる
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「景公、冬大台の役を起す、晏子諫む」 (大台の役=大台を作る為に、人民を夫役、労務に使う) 【人民に苦役を課することを戒め、大台の役をやめしめる】 晏子が斉の隣国、魯に使いをして帰る頃、景公は大台を作ると、夫役を起こした。この年の冬は寒く、村々には凍え、飢えて凍死する者が多かった。 国民は晏子が景公... 続きをみる
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「景公、愛する所の槐を犯す者を殺さんと欲す、晏子諫む」 【景公が樹を愛して民を愛せざることを戒む】 景公のとても大切にしている槐の木があった。役人を任命して、守らせ立札を掲げさせた。令を発して景公が言うには、 「槐の木に触れた者は罰し、傷つけた者は死刑だ!」 しかし、酒に酔ってこの禁令を犯す者が現れ... 続きをみる
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「景公、籍重くし、獄多し、晏子に託せんと欲す、晏子諫む」 【租税を重くし、刑罰を厳にする政治の非を戒む】 景公は人民に重税を課し、命に従わない者を厳罰にする政策をとったので、逮捕者が獄舎に溢れ、恨みを持つ者が朝廷に国中にも満ちた。晏子が、景公を諫めても、景公は聞かず、さらに晏子に任せようとして、景公... 続きをみる
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「景公の愛する所の馬死す、圉人(馬を飼う役人)を誅せんと欲す、晏子諫む」 【景公を諫めて、その愛馬を病死させた役人を救う】 景公は愛する馬を圉人に面倒をみさせ、養わさせていたが、馬が急に発病し、死んでしまった。」 景公怒り、人を使わして圉人を肢解、手足を切り離す酷刑にしようとした。 晏子、景公の前に... 続きをみる
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「景公、鳥を驚かす野人を誅せんと欲す、晏子諫む」 【鳥を驚かして逃げさせた野人を救い、景公に民生の重んずべきことを戒む】 景公が鳥を射っていると、里人は鳥を驚かして、逃がしてしまう。景公は怒って捕吏を向かわせ、逮捕して死刑にしようとする。 晏子曰く、 「この里人は君が狩りをしていることを知らなかった... 続きをみる
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「景公、将に宋を伐たんとし、二大夫立つて怒るを夢む、晏子諫む」 【晏子が景公の夢を判断し、宋国を伐つべきでないと戒む】 景公が宋(他の国)を攻めようと兵を出し、軍隊が泰山(斉にある山の名)を過ぎようとした時、景公の夢枕に二人の男が現れて、すごぶる激怒している様子だった。景公は恐れおののいて目を覚まし... 続きをみる
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「景公、公阜に遊び、一日に三過言あり、晏子諫む」 ※公阜は地名 一日に三過言=三度の失言 【晏子が一日に三たび景公を諫めたことを記す】 景公、宮城を出て公阜似て遊び、北面して斉の国城を見て、曰く、 「ああ、自分がいずれ死んでしまう事は、悲しいことだ。」 晏子曰く、 「昔、上帝は人の死をもって善しとし... 続きをみる
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「景公、病久しくして癒えず、祝史を誅して以て謝せんと欲す、晏子諫む」 【景公を諫め、祈祷にたより人命を軽んずる君心の非を正す】 景公、皮膚病にかかり、マラリヤも患って一年たっても治らない。会遣、梁丘拠、晏子の三人を召し出して曰く、 「私の病は重くなる一方だ。史官の固と、神を祭る官の陀に、山や川の神霊... 続きをみる
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「景公燕(宴)して無功を賞し、有司(役人)罪す、晏子諫む」 【景公を諫めて、愛する所以とにくむ所以とを明らかにすべきことを説く】 景公は宴会を催し、国内の者を賞して多大な恩賞を与えようとした。万鐘の者三、千金の者五として三たび令を発したが、会計官は功績の無い者に与える恩賞はあり得ないとして、景公の令... 続きをみる
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出土した陶片から有機物を吸着したサンプルを手にする、論文の筆頭著者である中国科学院大学の韓賓博士(11月3日に北京で撮影・孫自法)。 中国の考古学者がこのほど、陝西省澄城県の春秋時代の遺跡である芮国劉家窪遺跡の庶民が生活していたエリアから出土した陶片に吸着した脂質残留物を総合的に分析したところ、芮国... 続きをみる
- # 大河ドラマ
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女性宮家反対
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4月22日~28日 ご予定
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4月15~21日 天皇皇后ご動静
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閑話休題: 傾国の令和
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19日 彬子さま明治神宮参拝 【速報】愛子さま園遊会出席
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17日 今上種もみまき
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17日 信子さま、久子さま承子さま明治神宮参拝・・彬子さまは?
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良い兆候?・・13日 上皇上皇后、島津家の集まりへ
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12日 三代の明治神宮参拝 ③ 佳子さまご参拝
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三代の明治神宮参拝 (番外) 11日 愛子さま仙洞御所へ
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10日 紀子さま 「山村御流いけばな展」ご鑑賞
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三代の明治神宮参拝 ② 10日、愛子さま(ニソニソ笑いで)参拝
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9日 三代の明治神宮参拝 ①
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4月8日~14日 ご予定
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愛子さまは10日 佳子さまは12日明治神宮参拝
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29日 悠仁殿下の進学先が仄めかされる
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