• 吉田神社

    本当は健康の道のリバーサイドコースを歩こうと思ったのですが、早々にコースアウト(ぇ) スタートはT公園、そこから一旦公園の外へ出て幹線道路沿いをテクテク歩くも、ここは交通量が多く車が切れ目なしに通る。ゴー、ヴゥン等の騒音に気力をガリガリと削られ? もうここで引き返そうと思い、川の方へ向かった途中で見つけたのがこの神社。 ※公園から約1km 手筒花火発祥の地&夏の祇園祭が有名なのですが・・・(誰かさ

  • 石仏群ほか@岩屋堂

    前回の続き この岩屋堂のある山のチャート(岩石)は鉱物的には珍しい部類に入るもののようです。昔から邪気払いの火打石として使われたとのこと。 また岩屋堂周辺=山には石仏が広範囲に渡ってあるのですが、これは西国のお殿様等の寄進によるものとのこと。江戸時代には大名の庇護が厚く活気もあったようだけれど、今では無人で寂しくなってしまったよ、と豆知識のおじさんが言ってました。 チャート(岩石) 岩屋堂(観音堂

  • 鐘楼@岩屋堂

    前回の続き 岩屋堂にある鐘楼。特に説明板はなし。 おじさんから聞いたところによると・・・ 水戸黄門のお姉さんの千が建てたらしい。え? ホント? そして、教えてもらうまで気づいていなかったのですが、屋根に葵の紋が使われてました。 葵の紋といっても(調べたところでは)立ち葵の右離れ。また、立ち葵は本多氏や加茂神社系のようなのですが、その辺どうなんだろう? 水戸黄門=徳川光圀の姉に千姫は確かにいるようで

  • 新緑の瀞(ドロ)峡(瀞八丁)にて

    先日のブログ、夜行列車の思い出、その翌日、娘を義両親に預けて私達夫婦は熊野の名所である「瀞峡」に行きました。その時に撮った写真を基に、思い出しながら描きました、時は早春でした。 ★これは県の観光協会が掲載している、実際の瀞峡の写真です。随分違いますが、イメージは近いと思いました(また、いい訳か!!)。 瀞峡、熊野三山の一つ、熊野本宮の傍にある渓谷です、瀞八丁と言われていて、このような景観が続き、こ

  • 岩屋堂(観音堂)

    お散歩コースの脇にあるのですが、いつもほぼ素通り。 時折、誰かが突く鐘の音だけ耳にしてました。 前回(大岩寺)の境外仏堂ということらしいので今回じっくり観察してみました。 写真を撮っていると・・・偶々いた管理?掃除?のおじさんが豆情報を色々教えてくれて、実に興味深かったです。おじさん、ありがとう! 観音堂は、天正13年(1585年)の岩屋山火災で焼失したというが、元文3年(1738年)に再築される

  • 曹洞宗 大岩寺

    先日、健康の道(歴史・文化コース)を歩いた時に、飛ばしてしまった大岩寺。 ネットワーク図書館の近くにあるので、ついでに寄ってきました。 現在の本堂は昭和47年(1972年)に再建されたものなので、新しいお寺と思いそうですが、実は歴史あるお寺。 行きつけのお散歩スポットI緑地にある観音堂はこのお寺の境外仏堂だそうです。   地蔵堂 (年寄りにはまだ早い自分だけど)中にあった文言が気に入ったのでご紹介

  • おんやど白須賀

    白須賀宿は東海道五十三次の32番目の宿。 「おんやど白須賀」では、宝永四年(1707)に白須賀宿を襲った津波の記録を紹介したパネルや、東海道の名所潮見坂を行きかう庶民の旅模様を再現したジオラマなどを展示しています。 東海道宿駅開設400年を記念して設置された入館料無料の資料館。 津波の記録(付箋のついているところが”津波の被害が大きかった年) 剥ぎ取り土層標本     火縄銃もありました。 白須賀

  • 二連木城址(O公園)

    駐車場がネック(ぇ) ここは駐車場がないのです。。。隣の老人福祉センターPか近くの競輪場Pもチラリと思いましたが、気分的に落ち着かない。かといって路駐はゆっくりできないし・・・で、結局、少し離れた運動公園から散歩がてらテクテク歩きました(2kmくらい)。 途中までは車で何度も通ったことがあり、おおよその土地勘はあるものの目的地周辺は初見。この道で合ってるのかなぁ、と思いつつも無事到着。 二連木城は

  • 神明宮

    4/9のお散歩コースの4つ目、神明宮 商家の駐車場―妙泉寺―八幡神社―松音寺―神明宮―少し街中を外れ線路を横断、河川沿いを1km強―商家―商家の駐車場 古くは文武天皇の大宝2年(698年)岩屋山、南山麓「かささ」に巌根の庄の里人に依って創建祭祀されたと、伝えられている。 祭神は天照大御神で、古来より武門武将の崇敬篤く、天正年間(1573~1591)織田信長は三河に出陣の折り、陣太鼓を寄進して戦勝を

  • 曹洞宗 松音寺

    4/9のお散歩コースの3つ目、松音寺(しょうおんじ) 商家の駐車場―妙泉寺―八幡神社―松音寺―神明宮―少し街中を外れ線路を横断、河川沿いを1km強―商家―商家の駐車場 曹洞宗の古刹で、康永~貞和年間(1342~1350)の創建と伝えられ、江戸時代には、本陣宿泊者の避難所となっていた。 お寺にテニスコートがあるという不思議(写真奥) 寺子屋の延長なのかなと思う。

  • 八幡神社

    4/9のお散歩コースの2つ目、八幡神社(商家駐車場の真向かいにある) 商家の駐車場―妙泉寺―八幡神社―松音寺―神明宮―少し街中を外れ線路を横断、河川沿いを1km強―商家―商家の駐車場 永仁3年(1295年) 鎌倉の鶴岡八幡宮から勧進した町の氏神さまで、応神天皇を祭神とする。 普通、神社の狛犬は左右が向き合っているが、ここの狛犬は正面を向いている。  境内には秋葉山常夜灯があり、その傍には、榊を植樹

  • 日蓮宗 妙泉寺

    4/9のお散歩コースの1つ目、妙泉寺 商家の駐車場―妙泉寺―八幡神社―松音寺―神明宮―少し街中を外れ線路を横断、河川沿いを1km強―商家―商家の駐車場 ここも桜が綺麗に咲いてました。 ・芭蕉句碑(文字はさっぱりわからない;^^)    

  • 歴史・文化コース@健康の道

    ※健康の道=市で設けているウォーキングコース ウォーキングマップを入手したので、とりあえず一番近い&初級コースを変則で歩いてみました。 本陣資料館周辺のコースでメイン通りは交通量が多いので避け、起点を商家の駐車場にしてテキトーに歩く←土地勘があるのでアバウトで行けるのよ。 結果的に距離的には本来のルートと大差なし。 商家の駐車場―妙泉寺―八幡神社―松音寺―神明宮―少し街中を外れ線路を横断、河川沿い

  • アメリカパブリックガーデンズ協会は100年前に誕生していた!

    「アメリカパブリックガーデンズ協会」のポリシーを読みます。 About Us のページからの引用です。 Diversity and Inclusion Policy Statement パブリックガーデンとしての多様性と受容についての指針 The American Public Gardens Associa tion is committed to creating an equitable,

  • 伊那城址(公園)2

    伊那城址(公園)1の続き ・花ヶ池公園 伊奈城址の北東約200mの所にある小さな公園。 本多正忠が祝宴の際に城内の池の水葵の葉に肴を盛って松平清康に差出した。 ここはその池といわれている。 池の写真は葦が茂っていてちょっと残念なので省略 その代わりに水路 この写真の右側に池   脇に桜の樹があって風情があります。(まだ蕾が多く一部咲き?)   元へ戻って伊那城址公園 駐車場側の桜は三分咲き?くらい

  • 井戸を掘るなら

    水が湧きだすまで掘れ!! これは、明治の農村指導者、石川理紀之助の言葉です。 石川は疲弊にあえぐ東北の農村復興にその生涯を捧げた人物である。 彼はどんな時でも決して諦めることなく、結果を出すまで努力することの大切さを教えた。 そして彼が言うには、様々な事業において「何よりも得がたいのは”信頼”である。信頼はつつみかくさず教え合うことから生まれる。進歩とは厚い信頼でできた巣の中ですくすくと育つのだ」

  • 伊那城址(公園)1

    ハロワへ行ったついでに少し足を延ばして(自宅と逆方向)、川を越えた隣街にある「徳川葵紋発祥ゆかりの地」へ行ってきました。 田んぼの真ん中にあり人っ子一人といいたいところでしたが、後から一人来ました。 よく整備されて全体的に雰囲気があり、いい感じでした。 ・伊那城概説 15世紀の中頃本多定忠・定助の築城で、上嶋城ともいわれていた。天正18年(1590年)本多康俊が、下総国(千葉県)小篠へ移封されるま

  • 宇津山城跡と正太寺

    以前行われた図書館資料展ー続・ふるさと城めぐりーの資料を眺めていて”名前だけ”載っていたお城の一つ宇津山城。 近場ということもあり、今日は天気がよかったので行ってみました。車で片道約20分。行ったことがない場所なので、カーナビがなければ行く気にもならない? 目的地周辺道路の道幅が狭いのがちょっと難かも。 宇津山城(うづやまじょう)は永正3年(1506年)から大永7年(1527年)頃にかけて今川氏に

  • (西の)御厨神社

    以前TVを見ていた時に、たまたま数秒映った市内の神社。※地震の惨状を伝える絵馬が奉納 調べてみると結構近場にあり気になっていたところ、B緑地へ行く途中カーナビの地図上に表示されたので帰りに寄ってみました。 祭神は、天照皇大神、宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと) 伊勢神宮と関係が深いそうです。 ・内門(伊勢神宮内宮から移築)   ・拝殿 お目当ての絵馬は通常見ることができませんが、掲示板に絵馬の写

  • 11人目の職人さんが辞めた時

    現在、私共には、たった一人のクリーニング職人(技術者)さんがおります。彼は真面目で、当初から他の職人さんとは交わらず、孤高を通してきた人です。 前のブログ「職人さんの痛烈な一言」の後、一人そして一人と、退職をして行きました。その度に私は、仏壇の父に報告をしました。 何故なら、その職人さん達は、父が田舎の中学の先生から紹介を受け、集団就職で上野の台東体育館に連れられて来た少年達だったからです。 貧し

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