Ⅲ-18 Ⅲ章のまとめ・過去記事リンク
過去記事が見づらくなってきましたので、過去記事のリンクを貼ります。Ⅲ章については記事の概要をつけてまとめとしました。 Ⅲ章では、弥生時代中期から後期にかけて(400年~500年間)、北部九州が大陸との交易によって鉄・青銅器・ガラスを手に入れ、豊かな経済圏を形成していたことを見てきました。抜きん出た経... 続きをみる
過去記事が見づらくなってきましたので、過去記事のリンクを貼ります。Ⅲ章については記事の概要をつけてまとめとしました。 Ⅲ章では、弥生時代中期から後期にかけて(400年~500年間)、北部九州が大陸との交易によって鉄・青銅器・ガラスを手に入れ、豊かな経済圏を形成していたことを見てきました。抜きん出た経... 続きをみる
●神武東征は北部九州勢力の隆盛時代に行われた Ⅲ章ではひと通り北部九州勢力の弥生時代の歴史を概観しました。Ⅳ章では大和政権の勢力拡大を扱う予定です。その前に神武東征のおかしな航路について触れておきます。 古代史では、神武東征を架空の出来事とする見方がありますが、私はそうは思いません。神武天皇が日向か... 続きをみる
●北部九州勢力の消滅 AD200前後に造られた平原王墓を頂点として、北部九州の銅鏡文化は衰退します。漢がAD220年に滅亡したこともあり、出土する銅鏡は日本で造られた仿製鏡や漢鏡を割った破鏡が多くなります。また、須玖遺跡群から青銅器工房が姿を消します。 平原王墓が築かれるころ、出雲のほかに吉備、丹後... 続きをみる
●平原王墓 弥生中期後半(須玖Ⅱ式の時代)に始まった北部九州の銅鏡文化は、弥生後期の平原王墓(糸島市)で頂点を迎えました。埋葬時期はAD200年前後とされ、副葬されていた銅鏡は40面です。弥生時代の遺跡からの出土としては最多です。しかも、直径約46.5cmの日本最大の銅鏡が5面含まれていました。古墳... 続きをみる
●高天原の二重構造 最初は、トヨタマヒメもホホデミも実在したのか疑っていました。まして、オシホミミやタカミムスビは、神話の中だけの存在だと思っていました。しかし、調べていくうちに実在したかもしれないと考え始めました。彼らが実在したと仮定して、記紀神話や各地の伝承を遺跡と照らし合わせて考えると、歴史の... 続きをみる
響灘沿岸の青銅製武器出土はBC200年前後から急減しました。これを宗像・出雲勢力が北部九州勢力と対立していたからだと私は解釈しました。 その後、出雲では弥生中期末~後期初頭に荒神谷遺跡から大量の銅剣・銅矛が出土しました。その後も出雲は発展します。 一方、出雲と同様に塤(けん)が出土していた響灘沿岸で... 続きをみる
前回とりあげた英彦山神宮の伝承は「田心姫(たごり姫)、湍津姫(たぎつ姫)、市杵島姫(いちきしま姫)とともにオオナムチ命がやってきて田川を開拓したが、オシホミミ命が天降ったのでオオナムチ命は祭神の座を譲った」というものでした。この伝承をきっかけに田川盆地の遺跡を調べ、オシホミミ命は博多湾岸周辺から田川... 続きをみる
●英彦山神宮座主教有の奉願口上覚 前回、ニニギについて書きました。今回はその父親であるオシホミミについてです。 九州の式内社を調べているときに、オシホネ命(オシホミミ命)が香春岳二ノ岳と英彦山に祭られていることを知りました(Ⅰ-10 山幸彦・海幸彦に関連する式内社(6)福岡・大分参照)。 また、弥生... 続きをみる
●薩摩の甕棺 弥生時代の博多湾岸の状況がわかったところで、時間をⅠ章まで巻き戻します。トヨタマヒメの伝承が対馬→糸島→薩摩でつながることを見つけたころです(Ⅰ-4 糸島の伝承参照)。 そのころ、私はまだ彼女の存在に懐疑的でした。対馬と糸島の関連は朝鮮半島との交易路が予想できましたが、糸島から遠く離れ... 続きをみる
●博多湾岸の分業体制 弥生時代の博多湾岸の遺跡は、特色があるものが目立ちます。石斧生産の今山遺跡、石包丁生産の立岩遺跡、製塩の姪浜遺跡、巨大な墓地の吉武遺跡群、金属器・ガラス器製造の須玖遺跡群、交易の西新町遺跡などです。 私は、これらの遺跡とともに、志摩半島の遺跡も重要な役割を果たしていたと考えてい... 続きをみる
●広がる銅鏡出土遺跡 弥生後期は、AD1世紀半ばから3世紀半ばまでの200年ほどの時代です。弥生末期も弥生後期に含めることにします。 天皇の在位期間で考えると、第4代懿徳(いとく)天皇から第10代崇神天皇あたりまでの時代に重なります。 遺跡では、博多湾岸の交易拠点である西新町(にしじんまち)遺跡や、... 続きをみる
●鏡が出てくる天岩戸神話 日本書紀には、日向三代や神武天皇の段に銅鏡は描かれていません。これは、彼らが生きた弥生中期後半(須玖Ⅱ式の時代)の遺跡からは、南九州や大和では銅鏡の出土が乏しいという考古学的状況と矛盾しません。 歴代天皇の中では、崇神天皇の段で鏡が初めて出てきます。 しかし、日本書紀におい... 続きをみる
●立岩遺跡群 立岩遺跡群は、博多から一山越えた嘉穂盆地(飯塚市)にあります。良質の石材から石包丁が作られ、弥生中期後半に栄えたところです。博多湾から離れているにも関わらず、立岩堀田遺跡の10号甕棺墓からは前漢鏡が6面出土しました。周辺の甕棺と合わせると出土した前漢鏡は合計10面です。これは、三雲南小... 続きをみる
●絹の出土 鉄や青銅を得るための輸出品として絹を重視するのは、その生産が朝鮮半島より北部九州のほうが早かったように思えるからです。漢にとってはシルクロードを通してローマ帝国におくるような重要な製品でした。蚕の国外持ち出しも禁止していました。その絹を倭が朝鮮半島に先駆けて生産していたようなのです。 古... 続きをみる
トヨタマヒメが対馬から糸島、薩摩へ移動したとき、ホホデミやニニギはどこにいたんでしょう。薩摩にいたのか、糸島にいたのか。 その手がかりを探す間に前章の古代史年表をつくり、トヨタマヒメとホホデミが生きた須玖Ⅱ式の時代(弥生中期後半)以降の北部九州、大和、南九州の状況を俯瞰することにしました。遠回りにな... 続きをみる
オデュッセイアと断絶の向こう側
第58位【アッシュール・バニパル(アッシリア帝国の王)】五
第58位【アッシュール・バニパル(アッシリア帝国の王)】四
第58位【アッシュール・バニパル(アッシリア帝国の王)】参
第58位【アッシュール・バニパル(アッシリア帝国の王)】弐
古代ギリシャの槍は両端が武器になっていた!?【意外と実用性の高い”トカゲ殺し”】
第58位【アッシュール・バニパル(アッシリア帝国の王】壱
その神社がそこに存在することの謎を追うと…
Ⅱ-6 天皇系図を裏付けるもの (1)風土記の年代表記
Ⅱ-5 長浜浩明氏の春秋年法
Ⅱ-4 没年法で古代天皇の在位時代を推定する
Ⅱ-3 三雲南小路遺跡 三雲の王と王妃の墓
縄文時代にもどりたい? (笑)
Ⅱ-2 ホホデミ・トヨタマヒメが生きたのは須玖Ⅱ式の時代
宇宙人はくるのか? (笑) 2
●まとめ 舒明天皇(641年没)と47世代後の昭和天皇(1989年没)から平均没年間隔を28.7年と算出し、雄略天皇の没年(479年)を起点に、天皇系図に従ってタカミムスビまでの没年を機械的に計算しました。 推定没年=479-28.7×(雄略天皇からの世代数) その結果から得られる崇神天皇の推定在位... 続きをみる
●春秋年法 古代天皇の在位期間を推定する方法として最初に私が注目したのは、長浜浩明氏が『古代日本「謎」の時代を解き明かす』で提唱した方法でした。 長浜氏の方法は、「古代の倭人たちがある時点まで、1年に2歳年をとる春秋年を使っていた」という仮説に基づいています。 この仮説をもとに日本書紀と古事記に書か... 続きをみる
Ⅱ-1では、箸墓古墳の築造年代(AD240~260年)から崇神天皇がAD250年ごろに生きていたと仮定しました。その上で、1世代25年とした場合はホホデミの生存年代をBC25年、1世代30年とした場合はBC80年と推定しました。 しばらくはこの推定で考えていたのですが、あるとき「1世代何年かを実際に... 続きをみる
トヨタマヒメを追いかけるときに必要なのは、彼女がいつごろ生きていた人かということ。おおまかでいいから、それを決めないと遺跡との関連がつけにくいです。 トヨタマヒメはホホデミの妻ですから、二人は同世代と考えて、以下ではホホデミについて年代推定します。 年代推定でまず思いついたのは、古代天皇の系図と箸墓... 続きをみる
今回は、宮崎、鹿児島の式内社7社に関しての私の解釈、補足、感想です。まだ、調査不十分で、現地にも行っていないので、途中段階での考察になります。 鹿児島と宮崎は、記紀神話の日向三代と神武天皇にまつわる神社が多いところです。そのうち式内社になっているのは霧島神社、鹿児島神社、宮浦神社だけでした。高千穂神... 続きをみる
学校の授業はまったく興味 なかった古代史。 古代史は少しずつ新しい 発見がありワクワクします。 前方後円墳が北は東北、 南は九州まで見つかって いたとは驚きです! 倭の五王の時代知りません でした。 百済の応援のために朝鮮に 出兵してたんですね。 そこで馬の偉大さを知る。 そして百済から馬を贈られて... 続きをみる
仙台から乗り換えて国府多賀城へ。仙台から北の本州は、個人的に未踏の地。 今回は多賀城跡を見に行くことが目的です。 国府多賀城駅は、「ここで降りていいんですか!?」と慄くほど鄙びていたけれども。 すぐ駅前に立派な建物が。「東北歴史博物館」と。 当初予定になかったものの、入ってみることに。 もともと西日... 続きをみる
「思考力」って何さ! 聖徳太子さんって有名だよね。 すでに小学校で習っているし、余裕さっ(。-∀-) ニヒ。 なんて思ってたら、「思考力」身につかんぞっ。 マジでっ!・・・「思考力」って何さ?だって、答えられるからいいだろっ ぷんっ(-ε´-。))) これこれ、怒るでないゾ。あのね~、kelo太郎は... 続きをみる
高地性集落の分布変遷 各時代の分布変遷 ではどのような分布変遷を辿ったか見てみよう。 ①高地性集落第2次 瀬戸内、近畿、九州北部にまばらに出現する。 ②高地性集落第3次 東部瀬戸内、西部瀬戸内、近畿を中心に広がる。 ③高地性集落第4次 東部瀬戸内、近畿が中心。近畿の高地性集落が増加する。 ④高地性集... 続きをみる
前回私は「前ヤマト王権」と「邪馬台国」が同時期に別勢力として存在していたという説を立てました。 今回と次回にわたり、考古学的な視点からその根拠を以下の2つ提示したいと思います。 今回は高地性集落の分布変遷と用途についてです。 高地性集落の分布変遷と用途 高地性集落の用途 では最初に高地性集落の分布変... 続きをみる
今回からブログ形式にて、「空白の四世紀」について書いていきたいと思います。 今後私論を展開していくにあたって、私が考えるおおまかな結論から述べたいと思います。 空白の四世紀に何があったか。 現在の皇室に繋がる「ヤマト王権」(今後、便宜上「前ヤマト王権」とする)と『魏志』倭人伝に登場する「邪馬台国」、... 続きをみる
日本100名城「今治城」-「藤堂高虎」から受け継ぎ幕末まで続いた"久松系松平家"のお城
日本100名城「丸亀城(2)」-小さいながらも大きく見せ戦闘的な外壁を持つ重文”天守”
<日本最強の城スペシャル> 豊臣軍団”神シックス”が築城したお城”6城”
<豊臣兄弟!で登場した「和歌山城・一宮城」>”秀長”が褒賞で得た和歌山と四国攻めで落城させた山城
日本100名城「丸亀城(1)」-総高60mの四段積み石垣を誇り重文”天守”が建つお城
日本100名城「高松城(2)」-二基の重文”三重櫓”や復元の櫓門等城郭建造物が多く見られるお城
日本100名城「高松城(1)」-日本三大海城で海水が掘に入り南蛮型天守の天守台が映えるお城
日本100名城「徳島城」-“東二の丸“に天守代用の“御三階櫓“があったお城
日本100名城「萩城(2)」-重要伝統的建造物群保存地区の”三の丸”や豪商・幕末志士居住の城下
日本100名城「萩城(1)」-”指月山”を背後の守りとして梯郭式で海防に注力した縄張りを持つ城郭
福山城
<豊臣兄弟!で登場した「小牧山城」> ”小牧・長久手の戦い”で家康軍の籠城拠点となったお城
日本100名城「岩国城」-“錦帯橋”とコラボする為に前方に移動して再建された“南蛮型天守”
日本100名城「広島城(2)」-三角州内に建ち三つの堀と多くの櫓に守られていた平城
日本100名城「広島城(1)」-原爆で倒壊後外観復元された”天守”は今後木造復元化に