現在の日本民族は海に囲まれた「島国」に住んでいます。 日本という名称がまだなかった頃のご先祖様たち(大和民族)も、その点は同じで 長らく列島(島国)住まいを続けてきました。 さて、そうした列島民族のライフスタイルを、陸続きの大地に住む他民族と比較して みると、こういうことが言えるのかもしれません。 ... 続きをみる
中大兄皇子のムラゴンブログ
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中大兄皇子
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大化改新の方程式(260) 乙巳の変を解くカギは“女帝不可”の思想
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大化改新の方程式(259) 『東アジアからみた「大化改新」』を読む
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大化改新の方程式(258) 2025年は「乙巳」の年
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古代史メモ(11) 不比等落胤説の可能性 おまけ
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No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】拾八
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No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】拾七
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No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】拾六
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No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】拾五
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No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】拾四
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No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】拾参
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#4331 君が目の恋しきからに泊てて居てかくや恋ひむも君が目を欲り
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大化改新の方程式(249) 自説のまとめ:鎌足失脚説 その7
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大化改新の方程式(248) 自説のまとめ:鎌足失脚説 その6
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大化改新の方程式(247) 自説のまとめ:鎌足失脚説 その5
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大化改新の方程式(246) 自説のまとめ:鎌足失脚説 その4
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- # 古墳
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お城
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<郡上八幡城>の”城門”を巡る-本丸天守台と桜の丸の間に模擬冠木門が建つ
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<苗木城>の”城門”を巡る-”風吹門”の門扉・柱・冠木だけが”苗木遠山史料館”に展示
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<岩村城>の”城門”を巡る-復興の藩主邸正門、移築現存の知新館正門、赤時門や土岐門が寺山門に移築
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<今尾陣屋>の”城門”を巡る-尾張藩付家老”竹腰家”の格式ある陣屋門が移築され残る
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<高須陣屋>の”城門”を巡る-高須四兄弟を輩出し陣屋御殿を再現した海津市歴史民族資料館の模擬正門
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<野村陣屋>の”城門”を巡る-織田家から大垣藩領となり戸田家の陣屋となって”総門”が残る
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<大垣城>の”城門”を巡る-城外に移築された重文”牧村家宅”の表門、鵜沼宿に展示される”鉄門”
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<加納城>の”城門”を巡る-徳川家康の天下普請で建造されたお城で現在の遺構は城外に存在
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<岐阜城>の”城門”を巡る-織田信長が天下布武を掲げたお城、現在は3箇所の模擬”冠木門”が建つ
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<西大平陣屋>の”城門”を巡る-徳川吉宗に尽力し旗本、南町奉行を経て大名となった大岡忠相の陣屋
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<清洲城>の”城門”を巡る-模擬”天守”と共に再現された”大手門・搦手門”及び伝移築現存門が!
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<犬山城>の”城門”を巡る-城外へ移築の松の丸表門・裏門、黒門、矢来門、内田門、他の城門
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<重原陣屋>の”城門”を巡る-陸奥福島藩の飛び地に藩庁を築いた重原陣屋正門が願行寺に移築
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<名古屋城(3)>の”城門”を巡る-城外に移築された城門5門(妙興寺、興正寺、正福寺等)と模擬門
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<名古屋城(2)>の”城門”を巡る-本丸東門跡に”二之丸東門二之門”が移築、”二之丸大手二之門”
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