トホホ編42/朱子学幕府のヤセ我慢
江戸幕府はその期間中に、何度も「改革」を試みていますが、いつもその中心に 「財政再建」がありました。 しかし、なんでまた「財政再建」が必要だったのか? そんなことは決まっておる。 とにもかくにも「貧乏」だったからだ! それはその通りなのでしょうが、でも普通に考えればその「貧乏」?自体が なにかしら怪... 続きをみる
江戸幕府はその期間中に、何度も「改革」を試みていますが、いつもその中心に 「財政再建」がありました。 しかし、なんでまた「財政再建」が必要だったのか? そんなことは決まっておる。 とにもかくにも「貧乏」だったからだ! それはその通りなのでしょうが、でも普通に考えればその「貧乏」?自体が なにかしら怪... 続きをみる
先日昼メシに入ったお店の屋号が誘い水となって、今回の話題をなんと 「三八式歩兵銃」にした次第です。 臨機応変というべきか行き当たりばったりというべきか、そのへんのところはよく わからないのですが、まあ毎度のことでもありますので各位様におかれましては 今回も気持ちを強く持ってください。 さて、その「三... 続きをみる
日本史には「江戸時代の三代改革」とされる出来事があります。 ~幕藩体制の動揺という事態に対応して、18世紀以降に質素・倹約を基本にして 財政再建・農村維持・商業資本掌握などに取り組んだ幕政の改革~ 大雑把ならこのくらいの説明になりそうです。 しかし折角ですから今回多少の補足をまじえながら、その「江戸... 続きをみる
戦国群雄の世を最終的に把握した徳川家康(1543-1616年)には高齢になってから 儲けた三人の男子がありました。 長幼の順にこうなります。 〇九男・義直(1601-1650年)/尾張名古屋藩の初代藩主。 〇十男・頼宣(1602-1671年)/紀伊和歌山藩の初代藩主。 〇十一男・頼房(1603-16... 続きをみる
自らが創業して以来、長きにわたってワンマン体制で臨んできた初代社長は、 二代目以降の後継社長について、こんな腹積りを持っていたようです。 ~弱肉強食の時代も終わってのだから、ワシのようなワンマン経営はもう必要が なくなった。 だからして、次代以降の社長たちは経営実務を重役連中の合議に任せ、その結果を... 続きをみる
「現代日本人」が「昔の女性の生活ぶり」を知る方法は、結局のところ書物・絵画 などの史料や、映画やTVドラマなどの作り物を通じてであり、これは仮想体験とは 言えても、決して実体験ではありません。 ですから、知った気分になっているだけだとも言えそうです。 その上に、江戸時代やそれに続く明治時代なぞは、多... 続きをみる
世界の中には、現代日本の現状から眺めてみると、奇妙なほど歪に感じられる国家も あります。 例えば専制政治の体制を取っている国家などがそれに該当しそうですが、筆者なぞは 少なくともその国家の国民になりたいとは思いません。 たとえ、なんだかんだの批判があったとしても、戦後日本は国家の在り方として、 国民... 続きをみる
戦闘にメッチャ強かった、あるいは巧みな戦運びだったと評価される人物は歴史の 中に少なからず登場しています。 そうした人物を、少し探ってみると、共通して「常人を超えた能力」を備えていた ことが強調されていることに気が付きます。 しかし、これはある意味当然なことで、「平々凡々」の能力しか持っていない人物... 続きをみる
秀吉が選んだ信長の廟所!京都・船岡山の「建勲神社」で天下布武の跡を辿る
山崎の合戦(2)明智光秀本陣跡
酷暑日 目前の孫との京ぶらは命がけの12,000歩
瀬田の唐橋 明智軍を阻んだ山岡景隆
【ミッドランドスクエア前】街で見かけた「小牧山城」バスが可愛すぎる!進化を続ける歴史スポットと空港アクセスの裏話!?名古屋散歩
【京都市中京区】本能寺【織田信長で有名すぎるお寺】
備中高松城(1)舟橋~三の丸跡
祇園閣のある大雲院
織田信忠最期の地に立つ「二條殿址」の碑
日本100名城「小谷城」-“京極家”を迎え入れるべく二つの主郭を持つ広大な五大山城の一つ
清洲の總見院に伝わる信長の焼兜
織田信長・信忠を祀る京都の建勲神社
八条宮…
阿弥陀寺の織田信長・信忠の墓所
現在の本能寺