阿倍比羅夫 像 北海道 余市郡 余市町 港町 阿倍比羅夫 古代史を知る上で欠かせない日本書紀において、朝廷から派遣された武将で、記録上、北海道に上陸した初めての名の残る人物です。 大化の改新の後、朝廷は天皇による中央集権国家を目指しました。 658年 (斉明天皇4年〜斎明帝重祚により元号停止中)。阿... 続きをみる
飛鳥時代のムラゴンブログ
-
-
飛鳥板蓋宮跡(あすかいたぶきのみやあと) 奈良県高市郡明日香村 岡 摂政 聖徳太子(厩戸皇子)が622年(推古天皇30年)に流行病により死去すると、大臣を務める蘇我氏が横暴な権勢を振るい始めました。 推古女帝の崩御の後を継いだ舒明天皇が13年の治世で崩御すると、翌年の642年(皇極天皇元年)に舒明帝... 続きをみる
-
蘇我入鹿 首塚 奈良県高市郡明日香村飛鳥 643年 皇極2年 蘇我入鹿は、自らの権力をさらに大きくすべく、聖徳太子の皇子で、有力な皇位継承資格者であった山背大兄王を斑鳩宮で襲撃します。 父、聖徳太子から、【諸の悪を作(な)すこと莫(なか)れ。諸の善を行え。】と遺言を遺された 山背大兄王は戦うことを否... 続きをみる
-
談山 奈良県桜井市多武峰(とうのみね) 摂政 聖徳太子(厩戸皇子)が622年(推古天皇30年)に流行病により死去すると、大臣を務める蘇我氏が横暴な権勢を振るい始めます。 推古女帝の崩御の後を継いだ舒明天皇が13年の治世で崩御すると、翌年の642年(皇極天皇元年)に舒明帝の皇后が「皇極天皇」(こうぎょ... 続きをみる
-
法起寺 奈良県生駒郡斑鳩町岡本 法起寺は、聖徳太子摂政による推古朝の時代、仏教を精力的に取り入れた太子が自ら法華経を講説した岡本宮が起原となります。 太子の法華経講説より十数年、622年 2月22日、流行り病に伏した太子は、死期を悟り、枕頭に嫡子 山背大兄王を呼び、岡本宮を改めて寺にすることを遺命に... 続きをみる
-
伝 山背大兄王 墓所 富郷陵 参考地 奈良県生駒郡斑鳩町三井 推古朝で摂政を務めた聖徳太子の皇子 山背大兄王(やましろのおおえのおう)は、622年 推古30年、太子の死後、有力な皇位継承者となりました。 山背大兄王の一族は上宮王家と呼ばれ、蘇我氏と皇位継承者の擁立を巡り、暗闘が続きます。 蘇我馬子の... 続きをみる
-
法輪寺 奈良県生駒郡斑鳩町 三井 法隆寺、法起寺とともに斑鳩三塔とも言われる法輪寺は、聖徳太子の皇子、山背大兄王が622年 推古30年、病に伏した太子の病気平癒を願い建立しました。 その後、推古朝から天武朝時代にかけて法隆寺西院と同じ形式で伽藍を整えました。 平安時代から室町時代に諸堂を完備して寺運... 続きをみる
-
大伴夫人(藤原鎌足 母)墓所 奈良県高市郡明日香村小原 大伴夫人は、藤原(中臣)鎌足の生母で、彼女の家の大伴家は、神武天皇が八咫鳥に導かれて大和の地に入った際に、神武を先導し、橿原宮で即位すると宮門を警護した道臣命(みちのおみのみこと)を祖先に持つ家柄で、以降 代々 朝廷の兵士を束ねる役割りを担いま... 続きをみる
-
中臣鎌足 誕生地 奈良県高市郡 明日香村小原 後に朝廷の最高権力者となる藤原氏の祖、中臣(藤原)鎌足は、614年 (推古天皇22年)に飛鳥の大原(現在の明日香村小原)の地で、鎌足の一族は祭官(祭司、当時の国の役人)として仕える中臣氏の家に生まれました。 若い頃から儒学を学び、秀才の名をほしいままにす... 続きをみる
-
推古天皇 御陵 大阪府 南河内郡 太子町 山田 推古天皇は、592年 臣下ながら天皇家の外祖父となり、絶大な権力を誇った蘇我氏と対立した32代天皇の崇峻天皇が蘇我馬子の意思を汲んだ東漢直駒(やまとのあやの あたいこま)により暗殺された後に即位した初の女帝です。 推古天皇は、聖徳太子(厩戸皇子)を甥に... 続きをみる
-
-
叡福寺 太子廟 大阪府南河内郡太子町 叡福寺 叡福寺の創建は、西暦620年 推古天皇28年、聖徳太子が民情視察を兼ねて愛馬 黒駒で駆けていたところ、磯長(しなが)の地を気に入り、自らの墓所とすることを決めたことから始まります。 翌年の621年、太子の生母、穴穂部間人皇后が病に倒れます。太子と正室 膳... 続きをみる
-
小野妹子 墓所 大阪府南河内郡太子町山田 小野妹子(男性)は、近江国滋賀郡小野村(現在の滋賀県大津市)出身の豪族の出で、推古天皇の摂政となっていた厩戸皇子(聖徳太子)に見い出されました。 太子の制定した冠位十ニ階により役人として大礼(だいらい、十ニ階の六番目)に昇進。 607年(推古天皇15年)、小... 続きをみる
-
中宮寺 奈良県生駒郡斑鳩町 法隆寺北 中宮寺は、法隆寺東院のさらに東の斑鳩宮の隣接地に聖徳太子が母、穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后のために創建した寺です。 僧寺である法隆寺、中宮寺は尼寺として創建され、塔と金堂が建立されたといいます。 微笑を浮かべながら軽く頬杖をついて瞑想する姿の本尊 国宝【... 続きをみる
-
橘 寺 奈良県高市郡明日香村 橘 聖徳太子、誕生の地と伝わる橘寺は、太子の父 用明天皇の上宮〜上宮(かみつみや)が置かれていた地で、正式名称を上宮皇院菩提寺といい、その昔、用明、推古、敏達、崇峻の四名の帝の父君であられた欽明天皇の離宮でありました。 太子の母である皇后 穴穂部間人(あなほべのはしひと... 続きをみる
-
歴史紀行 地域版 1 三井(みい~赤染井)奈良県 歴史紀行 地域版 このカテゴリーでは、地図や旅行誌に載らないような…でも、地域の歴史に残ってるような史跡を紹介します。 三井 (みい~秋染の井) 奈良県生駒郡斑鳩町三井 世界遺産 法隆寺から東へ約2キロ。 聖徳太子の皇子 山背大兄王が建立した法輪寺の... 続きをみる
- # 飛鳥時代
-
聖徳太子 【厩戸皇子】御像 奈良県桜井市三輪 平等寺 聖徳太子は、飛鳥時代の皇族の1人で、574年 敏達天皇3年、用明天皇の第二皇子として生まれ、后が厩の前で産気づき、太子を出産したため、厩戸皇子(うまやどのおうじ)とも呼ばれます。 聖徳太子の名は、諡名(おくりな)として、逝去後に贈られた名前です。... 続きをみる
-
法隆寺 東院伽藍 夢殿 奈良県 生駒郡 斑鳩町 法隆寺山内 601年、推古天皇9年、 聖徳太子は推古朝の皇居のある飛鳥から、推し奨めようとしていた仏教による新しい国造りのための場所を探しました。 そして飛鳥の村から北西にある斑鳩の里に約束の地を見つけました。 斑鳩の里で下馬した太子は、自らの理想を体... 続きをみる
-
法隆寺 東院伽藍 伝法堂 奈良県 生駒郡 斑鳩町 法隆寺山内 東院伽藍の中で、平屋建ての住宅のような堂が伝法堂です。 それも そのはずで、伝法堂は、奈良時代の聖武天皇の后である橘古那可智(たちばなの こなかち)妃の住居が移築奉納されたものだからです。 東院の過去帳でもある東院資材帳には、瓦葺きの講堂... 続きをみる
-
法隆寺 東院 鐘楼 奈良県 生駒郡 斑鳩町 法隆寺山内 ニ階式の東院鐘楼は、下階の部分が袴を穿いたような鐘楼で、袴腰付鐘楼と呼ばれ、中世 鎌倉時代に流行した造りで、東院鐘楼は平安時代後期の1163年 応保3年に建立の記録があり、その最古のものと言われてます。 鐘楼二階に天平時代に鋳造された梵鐘が吊る... 続きをみる
-
法隆寺 東院伽藍 絵殿、舎利殿 奈良県 生駒郡 斑鳩町 法隆寺山内 絵殿(左)、舎利殿(右) 舎利殿 絵殿 馬道(めどう) 絵殿、舎利殿は、東院伽藍、夢殿の北にある伽藍で、檜皮葺の屋根に建物はひとつの伽藍でありながら2つの役割を持ちます。 左の絵殿は名前の通り内部には聖徳太子の生涯一代記を描いた障子... 続きをみる
-
-
世界遺産 法隆寺 東院伽藍 礼堂 奈良県 生駒郡 斑鳩町 法隆寺山内 東院伽藍 601年 推古9年2月、聖徳太子は斑鳩の地に宮殿を建設します。 宮殿を飛鳥から斑鳩へと移した太子は、伝来して間もない仏教による平和国家の実現へと日夜思案を重ね、身仏の加護を信じ、慈悲を願い、祈りを続けました。 礼堂(らい... 続きをみる
-
法隆寺 上御堂 奈良県 生駒郡 斑鳩町 法隆寺山内 上御堂は西院伽藍の境内の北、大講堂の背後の高台に建つ御堂で、天武天皇の皇子 舎人(とねり)親王による創建とも伝わります。 平安時代に台風のために2度、倒壊の被害を受け、再建は鎌倉時代末期の1318年 文保2年で、内部は瓦敷きの土間に釈迦如来坐像、文... 続きをみる
-
世界遺産 法隆寺 西大門 奈良県生駒郡 斑鳩町 法隆寺山内 法隆寺 西大門は、世界遺産、国宝の伽藍が多く建つ西院伽藍のさらに西の門で、門の外にはかつて法隆寺伽藍の建築、改築、修繕に従事した宮大工、装飾職人らが住んだ西里の集落があります。 西里の集落 この集落からは、豊臣秀吉に見出され、大坂城や方広寺... 続きをみる
-
法隆寺 東大門 奈良県 生駒郡 斑鳩町 法隆寺 山内 東大門 西院伽藍を抜け、宝物庫である大宝蔵院を越えると東西に通る参道に出ます。 参道を東に向かうと法隆寺 東院です。 東大門は西院と東院とを結ぶ石畳の参道が東西に広がり、西院伽藍の先に西大門、そこから約300メートル東の門です。 東大門築地塀 東... 続きをみる
-
法隆寺 食堂(じきどう)左と細殿(右) 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内 東西に細長い2棟の建物が並ぶのが、食堂と細殿です。 同規模の建物が並び、一組のように接している建物を双堂(ならびどう)といい、奥行きを大きく取る奈良時代の手法です。 食堂は文字通り僧たちの食事の場で、堂内中央に須弥壇(しゃみだん)... 続きをみる
-
世界遺産 法隆寺 聖霊院 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内 金堂、五重塔という西院伽藍の廻廊の東に位置する聖霊院は、平安時代に全国に広まった太子信仰の中心をなす伽藍です。 平安時代の後期、1121年 保安2年、聖徳太子の500年遠忌の前年に先立ち、太子信仰はより高まりをみせたことを受け、法隆寺では東室の... 続きをみる
-
世界遺産 法隆寺 綱封蔵 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内 綱封蔵(こうふうぞう)という聞き慣れない名前の由来は、かつては勅命でなけれぱ開くことが出来なかった倉のことです。 綱封蔵は二つの倉が一つの屋根で覆われ、なお中央が吹き抜けで、高床式となった特徴的な建物です。 これは中央部が吹き放しになった「双倉... 続きをみる
-
法隆寺 妻室 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内 妻室は、中庭を隔てた東室に付属する建物で、本来の名称は〜東室小子房〜といい、現在唯一残る貴重な建物です。 1601年 慶長6年の改築の際に、南北の長さが約3分の2に縮小され、南半分が聖霊院の御供所、北半分が東室の台所にされました。 現在は当初の9房の姿に復... 続きをみる
-
法隆寺 東室 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内 東室 法隆寺の僧たちの居住空間は僧房と呼ばれ、747年、天平19年に法隆寺資材帳に記された4つの僧房があり、かつては西院伽藍の廻廊を囲んで東室、西室、北室と3ヶ所ありました。 現在は三経院と棟続きの西室と、廻廊の東側に南北に細長い建物の東室だけが残され、ま... 続きをみる
-
世界遺産 法隆寺 三経院 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内 三経院は、聖徳太子が撰述したという 勝鬘経(しょうまんぎょう)、 惟摩経(ゆいまきょう)、 法華経(ほけきょう)、 の三経義琉(さんぎょうぎしょ)に因みつけられた名称の僧坊で、内部は三経院と西室とで分けられ、三経院には阿弥陀如来座像が安置され、... 続きをみる
-
-
世界遺産 法隆寺 西円堂 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内 西円堂は法隆寺 西院伽藍の北西の小高い丘に建つ八角の円堂で、屋根の宝珠が特徴です。 創建は聖徳太子の没後で、行基大僧正が堂を造り、本尊の薬師如来坐像を建立したとされています。 行基により建立された御堂は平安時代の1050年 永承5年に破損し、鎌... 続きをみる
-
世界遺産 法隆寺 経蔵 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内 経蔵は大講堂の西院廻廊に接していて、鐘楼と向かい合う位置にあります。 鐘楼と同じ二階建ての楼閣で、飛鳥時代の様式を持つ金堂や五重塔とは異なり、奈良、天平時代の建築様式を顕著にしています。 経蔵は名の通り経典を納めるための建物で、当初は回廊の外にあ... 続きをみる
-
世界遺産 法隆寺 鐘楼 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内 鐘楼は、中門から大講堂に続く廻廊の両側に建つ閣廊のひとつで、経蔵と対をなす構造です。 飛鳥時代の鐘楼は925年 延長3年の火災で大講堂とともに焼失しましたが、大講堂と廻廊と一緒に再建され、飛鳥時代から残る梵鐘が法要の際には僧たちに時を知らせます。... 続きをみる
-
世界遺産 法隆寺 廻廊 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内 向こうに見える人影は法隆寺の僧の列で、この後、大講堂で法要をを行いました。 廻廊から中門の内側、向こうは南大門の方角。 廻廊の中から見た金堂と五重塔 廻廊が陽射しを和らげ、撮影に適しています。 廻廊は中門を基点にして左右に延び、四角に折れ曲がり向... 続きをみる
-
法隆寺 参道 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内 1400年もの古(いにしえ)の歴史を持つ法隆寺。 その中で比較的 新しく整備されたのが参道です。 鎌倉時代の1261年、弘長元年、後嵯峨上皇による法隆寺行幸が決まり、法隆寺の僧たちが対応に追われるのを見ていた村人たちか松を植樹し、門前は整然と並ぶ松の木の道... 続きをみる
-
世界遺産 法隆寺 中門 奈良県 生駒郡 斑鳩町 法隆寺山内 法隆寺 南大門を潜ると、飛鳥建築の威容な門が目に入ります。 中門(ちゅうもん)です。 南大門が世俗との境界とするなら、中門は1400年続いてきた仏(ほとけ)と現世とを結ぶ境界といえるでしょう。 高欄 1400年前の唐の古式を現代に伝える[卍... 続きをみる
-
法隆寺 国宝 南大門 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内 法隆寺の玄関にあたる南大門は、平安時代の1031年に造立され、1077年承暦元年に火災焼失。 再建されるも、1435年永享7年 今度は学僧同士による争いが火災に発展したそうです。 この時の再建には4年を要しました。 独特な築地塀が左右に広がる南大門... 続きをみる
-
法隆寺 西院〜大講堂 奈良県 生駒郡 斑鳩町 法隆寺 山内 大講堂は、法隆寺のシンボルでもある五重塔と金堂を中門と回廊で取り囲む様に見える大きな堂宇です。 大講堂は、僧が学問を学び、法要を行う場として建立されましたが、平安時代の延長3年(925年)に隣接する鐘楼とともに落雷による火災で焼失しました。... 続きをみる
-
法隆寺 西院〜金堂 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内 法隆寺が日本で最初の世界文化遺産に認定された決め手に世界最古の木造建築物だということが挙げられます。 西院の五重塔に並立して建立された金堂は、世界最古の木造建築と言われ、力強い胴張りを持つ柱に連続する曲線による特色のある建築様式が伝わります。 本尊の... 続きをみる
-
世界遺産 法隆寺 法隆寺 西院〜五重塔 奈良県生駒郡 斑鳩町法隆寺 山内 聖徳太子ゆかりの御寺 法隆寺は、生駒山地の山裾に広がる斑鳩(いかるが)の里に推古天皇15年(西暦607年)に建立されたと伝わります。 また、1993年平成5年には、貴重な世界最古の木造建築物として日本で最初の世界文化遺産に登録... 続きをみる
-
用明天皇 御陵 大阪府南河内郡太子町 飛鳥時代前期の第31代の天皇となる用明天皇は、仏教に否定的だった先代の敏達(びだつ)天皇とは違って、積極的に取り入れる天皇でした。 御即位は西暦585年で、 異母兄の敏達天皇の 崩御により皇位につきましたが、即位早々に疱瘡(天然痘)に冒され、 翌々年に崩御しまし... 続きをみる
-
四天王寺 五重塔 大阪市天王寺区四天王寺 推古天皇元年(593年)四天王寺は、今から1400年以上昔に創建した日本初の官寺となります。 遡ること欽明天皇13年(552年)、日本に初めて仏教が伝来すると、その教えに感化された者と否定する者とで別れ始めます。 日本書紀によると、欽明天皇が臣下にもたらされ... 続きをみる
-
仏教伝来の地碑 奈良県桜井市金屋 初瀬川(大和川)一帯は、古くは第10代崇神天皇が崇敬する大神神社近くに宮殿を置いたことから栄え始め、欽明天皇の代には磯城瑞織宮が置かれたことで交易も盛んとなり、古代末期の大和朝廷の政治と経済の中心地でもありました。 欽明天皇13年(西暦552年頃)の10月、摂津の ... 続きをみる
-
-
-
-
久し振りに関西の旅 ⑯中宮寺:如意輪観世音菩薩(半跏思惟観音菩薩)像
ベイジン五輪のことばかり書いていて、関西旅行の記事が中断したままでした。 (別にどうだっていいがな。by妻) 法隆寺をたっぷりと二時間近くかけて見学した後、東院伽藍のすぐ先にある中宮寺に 向かいます。ここは法隆寺を総本山とする聖徳宗(しょうとくしゅう)の寺院で、やは り法隆寺同様に飛鳥時代を起源とす... 続きをみる
-
今日もがっくりするような暑さ。一日在宅勤務でしたが、連休前に片付けなければ ならない疲れる仕事を流し込んで、先程業務終了。ぐったり。しかし不愉快なことが 続いて珍しくイライラしてしまった。(いや、いつもイライラしとったで。by妻) さぁこれで四連休だ。その後のことを考えると気が滅入るけど、4日間は何... 続きをみる
-
今日は関東地方は灼熱のような真夏日。都心は気温33℃ですと? あちゅい(アホ)。 そんな中、今日は都心までお出掛けしました。緊急事態宣言が出る前、国立博物館の 「聖徳太子と法隆寺展」の日時指定券を購入しておりまして、本日午後3時からの予約 チケットを持っていました。東京都の緊急事態宣言で、もしチケッ... 続きをみる
-
平成が去っていく。。。去りゆく平成を惜しみつつ、平成に至るまでの日本史を年表にしてまとめてみました。 ありがとう平成!さようなら平成! 「平成」という元号が始まったのは 1989年になります。そして 2019年この元号は静かに消え去っていきます。僕が生まれた日本という国は、元号という文化を持つ美しい... 続きをみる
- # どうする家康ゆかりの地
-
#
織田信長
-
安部龍太郎「信長はなぜ葬られたのか」
-
<池田城>の”城門”を巡るー城跡公園として整備され天守風建築と共に多数の城門が建つ
-
旅日記419~岐阜市の歴博を楽しむっ!!2~
-
これくらいのお弁当箱に
-
【京都】『阿弥陀寺』に行ってきました。 織田信長
-
<地黄城・陣屋>の”城門”を巡るー城主”能勢家”の菩提寺”清普寺山門”には能勢家家紋付き
-
旅日記418~岐阜市の歴博を楽しむっ!!1~
-
織田信長の朱印状発見!
-
織田信長が河内国の土地の調停書状発見
-
ある投資家の独り言19
-
ジョルダーノ・ブルーノの正体は、まさかの“オダノブ”だった説
-
<柳本陣屋>の”城門”を巡るー朽ち果てる寸前の伝陣屋門と謂われている長屋門
-
<芝村陣屋>の”城門”を巡るー織田有楽斎の四男が藩祖となった陣屋惣門が慶田寺に移築現存
-
<大溝陣屋>の”城門”を巡るー昨年に文具雑貨店”高島文庫”が解体復元された総門
-
戦国時代の最強の武将は誰ですか。
-