• エッセイ 聖徳太子考

    現在、歴史家の間で、聖徳太子のことが取り沙汰されている。聖徳太子という人は居なかったという説が有力なのだそうである。 居なかったかどうかは、ともかく。ここで至極当たり前なことを指摘しておきたい。人間の心というものは、あるものをないとして考えるというときには、とても活発によく働くものである。だが、元々無いものをあるものとして考えるときには、非常な困難を強いられるもので、これは、人間にとっては、ほとん

  • 法隆寺の釈迦三尊像と薬師如来像の銘文を読もう

    今日は、このブログを三回目書いています。何故かエクスプローラーが中断し、せっかく入力したのに、全て消えるのです。どうしたのでしょうね。 でも、何とか再度書きましょうか、前に何と書いていたか忘れたので、前文と全く違っていますが、誰も前文を知らないので、まあ、いいでしょうか。 今日は、8月8日の「歴史カフェ・阿蘇」の報告です。 わざわざ、西原まで来てくださった皆様、ありがとうございました。 徳永さんは

  • 法起寺は飛鳥時代の代表的建物ですが・・・

      斑鳩の三塔は、法隆寺の五重塔、法輪寺の三重塔、それに法起寺の三重塔です。法輪寺の三重塔は落雷で焼失し再建されました。いずれも聖徳太子と山背大兄にまつわる由来を持つ寺院です。この三寺だけが、塔と金堂が東西に並びます。法起寺式と呼ばれる伽藍様式です。 敷地内は静かですが、世界遺産になって、どうでしょうね? 明日香も斑鳩も外国の人が一人か、二、三人で歩いています。安全なんですね、日本は。 外国では日

  • 聖徳太子の王子の山背大兄王の伝承

    聖徳太子の宮が斑鳩(いかるが)に在り、息子の山背大兄王(やましろのおおえのおう)も斑鳩で最期を迎えたとされています。 その山背大兄王の陵墓参考地が斑鳩に在ります。 地元の方のお話だと、岡を上って行くとそれらしい小さな盛土があるそうです。 写真は現在地という地点から岡の原に向かってシャッターを切りました。 法輪寺です。若い時に此処を訪れた時は、三重塔はまだ建てられていませんでした。塔の為の柱材を確保

  • 法隆寺が見て来た歴史は何だったのか

    法隆寺を歩くと、ふっと土塀に視線が行きます。 そして、草野心平の「法隆寺土塀」を思い出してしまいます。 今は、詩集が傍にないのではっきりとは言えませんが、そんな題詞だったと思います。 中学のころ、担任だった森崎浩一郎先生が読んでくれた詩でした。 子どもでしたから、法隆寺土塀に心を動かした詩人とそれに共感した教師がいると、ぼんやり受け止めたのでした。 それから何度も法隆寺に行きましたが、その度にしみ

  • 熊本県の西原村を紹介します

    肥後大津方面から西原村に入るには、白川を渡ります。 白川の奥に阿蘇の五岳が見えます。青い山波は外輪山です。 西原村からは、西に雲仙普賢岳が見えます。一番奥にかすんでいます。手前の金峰山との間に有明海が広がります。 北側には、菊池盆地の神山、八方ヶ岳が見え、ほぼ真北には鞍岳が控えています。 鞍岳は阿蘇の外輪山の一部です。 鞍岳のすそ野一帯はは弥生の遺跡です。有名な矢護免遺跡もあります。湯船の堤(つつ

  • 聖徳太子の宮は何処にあったのでしょうか?

      聖徳太子は何処にいたのでしょうか? その宮殿は俀国の何処にあったのでしょう。 まず、その俀国は何処にあったのでしょう。隋書には、 百済・新羅の東南、水陸三千里に在り。 魏の時、中国に訳通す。三十国あり、皆、自ら王と称す。 三千里で俀国ですか。では九州も俀国ですね。魏の時=卑弥呼の時代 は、言葉が通じた国が30国で、何処にも王が居たのですね。と云うことは、倭人伝に書かれた九州の30国に王が居て、

  • 「法華経」坂本幸男・岩本裕訳注 岩波文庫

    仏教経典万巻中第一の書、諸経の王と称される「法華経」です。インドは時間観念を重要視しないお国柄です。そのため、仏教経典もその経典がいつ成立したのか分からないことが多く、また、どれがもっとも重要な教典かの判別もしません。そのために、仏教が中国に渡った際、天台智顗<ちぎ>が教典判釈<きょうてんはんじゃく>を行い、この法華経を仏教経典の最後に成立したものとし、その最高位に据えました。法華経には、「意向」

  • 大阪: 四天王寺 - 一遍上人が「賦算(人々に念仏札を配る)」を開始したお寺

    一遍上人が南無阿弥陀仏の六字名号を刷った念仏札を人々に配る賦算を開始した四天王寺(大阪市天王寺区) ※賦算(お札くばり/人々に念仏札を配ること) 智真(一遍上人)は超一、超二、念仏房の三人を伴って四天王寺に参詣した。当時の四天王寺は、念仏行者の集う庶民の霊場であった。ここで、智真は発願し、「南無阿弥陀仏」六字の札を貴賤一切の人々に配布して念仏をすすめる所謂「念仏賦算」を始めたといわれる。 四天王寺

  • 昔のお金(古銭・古紙幣)を断捨離 昭和50年8月6日 母方の父より

    武内大臣(武内宿禰)、和気清麻呂、聖徳太子、二宮尊徳(二宮金次郎)、板垣退助、岩倉具視、伊藤博文などなど 武内大臣(武内宿禰)の1円札 武内大臣(武内宿禰)の1円札の裏面 和気清麻呂の10円札(証紙付き) 和気清麻呂の10円札の裏面 聖徳太子の100円札 聖徳太子の100円札の裏面 二宮尊徳(二宮金次郎)の 1円札 二宮尊徳(二宮金次郎)の 1円札の裏面 10円札 10円札の裏面 50銭札(昭和1