• 旧約聖書:アブラハムとイサク

     旧約聖書の中にアブラハムが息子イサクを伴ってモリヤの地へ向かうシーンがあります。その際若者二人にまたイサクと戻ってくるから、と告げます。  いわゆるイサクを神に捧げようとする問題のシーンですが、『聖書』の翻訳で有名な関根正雄のご子息関根清三東大教授が放送大学の授業で述べていたことをまとめます。  アブラハムが刀を振りかざしたときに神は「もうお前の信仰心はわかったから」と刀を下げさせ、アブラハムは

  • エッセイ 戦争と平和<恒久平和という思想>

    戦後73年、明後日は終戦の日ということで、テレビや新聞では、戦争の特集をやっている。今のテレビや新聞の報道の仕方を見ていると、「戦争は不条理なもの、平和は条理に適ったもの。」そして「戦争は絶対悪、平和は絶対善。」という公式で括れるようだ。もし、本当にそうであるなら、こんなに結構なことはないほどの有り難い公式ではある。 私事で、恐縮だが、わたしの家の戦後はまだ終わってはいないとわたし自身思っている。

  • エッセイ 感想<自由というもの>

    大分、以前の話だが、矢口真里というアイドルの女の子が不倫をした。報道で流された彼女の不倫の仕方を見て、それをわたしなりに言葉に直してみると、「わたしは自分の自然な恋愛感情のままに自由に行動したいの。わざとみんなにも分かるようにもやってみる。それの何がいけないの。」と言っているようにも見え、自由という観念についての現代人に共通の錯覚が、垣間見える思いがして、興味深かったのである。 現在、日本の若者(

  • エッセイ 理性という島の大建築

    現代では、理性という島に近現代科学の大建築が建っている。ほとんど、世界を制覇する勢力だが、理性の島の周りには未だに茫漠とした霧堤が広がっている。霧堤とは、わたしの比喩ではなく、カントがその著書の中で、言っていた比喩である。 この建造物をバベルの塔に過ぎないというのは、見やすい理だが、現代のわれわれは、例外なくその住人であることを忘れてはなるまい。 ランボーは科学を新興貴族と呼んだ。この詩人の直観を

  • カントトニーチェ

    私の足元には何がある? 大地と私の間には何もないから。 何もない事に人は悩み、戸惑い、荒れ狂う。 さよならなんて言わないから。 神だ宇宙だなんて分からないけれど、 「ただそこにいる」という奇跡に 僕はこの詩を送ろう。