• あなたに悪を行う人に、善を施すと、相手の頭に燃える炭火を積むことになる…と聖書に書いてある。

    「もしあなたの敵が飢えたなら、 彼に食べさせなさい。 乾いたらなら、飲ませなさい。 そうすることによって、あなたは彼の頭に 燃える炭火を積むことになるのです」 (聖書 ローマ人への手紙12:20) これっ、使える?!(笑) 悪いことした相手に、こちらは仕返しせず、 かえって良き対応をすると、 相手の頭には熱い炭火が一つ置かれるのです。 相手熱いよ~ 禿げるよ~(笑) まっそれは、ユーモア的な解釈。

  • ライブの力

    2010年6月5日東京藝術大学奏楽堂 上野の森オルガンシリーズ15「フランツ・リスト 栄光と祈り」  奏楽堂に入ると、舞台正面に巨大な屋久杉のような楽器がありました。 演奏が始まりました。 大気を震わせて、巨大な音塊が押し寄せ、全身がつつみこまれます。と思うと、はるか遠くに、かそけき笛の音が聞こえてきます。メロディーが、ときに切なく、ときに勇壮に浮かび上がり、次の瞬間にはあの複雑に入り組んだ音楽の

  • 教会からも落ちこぼれてしまったあなたへ

    競争社会からこぼれ落ちた者を 教会が受けとめる 教会からこぼれ落ちた者を 別の教会が受けとめる  その教会からもこぼれ落ちた者を キリスト教の団体が受けとめる  キリスト教の団体からこぼれ落ちた者を 心の友が受けとめる 友の心からこぼれ落ちた者を  いったい誰が受けとめるのか 社会全体からこぼれ落ちて  もう受けとめる者もいなくなったとき 主イエスがいちばん低いところにいて  あなたを受けとめてく

  • もしもあなたが、どん底に落ちても…

    もしどん底に落ちてしまっても、 そこにこそイエス・キリストの御手があるのだ。 大丈夫だ。   「たとえ倒れても、 それで終わりではありません。 主(イエス・キリスト)がしっかり 支えておられるからです」 (聖書 詩篇37篇24節)

  • 救いに至る方法と、善良な人間に至る努力とは、別物だ。

    「というのも、彼らには、キリスト様が、自分たちを神様の前に正しい者とするために 死んでくださったことが、わかっていないからです。そして、ユダヤ教のおきてや習慣を 守ることによって、神様の祝福をいただける善良な人間になろうと、努力を重ねています。しかし、神様はそんな方法でお救いになるのではありません。彼らが、おきてを守ることによって手に入れようとしているものすべてを、キリスト様は、ご自分を信じる人々

  • 石打ちになろうとしていた不倫の女に対する、イエス・キリストの態度

    罪を犯した一人の女が イエス・キリストの前に引き出されて来ました。 時の宗教家や群集はその女を、 石打ちの刑にしようと、 それぞれが石を手にしていました。 宗教家はイエス・キリストに問いました。   「あなたならこの女をどうしますか?」 もしイエス・キリストが、 「可愛そうだから助けてあげなさい」 と答えたら、 「イエス・キリストは規則を守らない男だ」 と糾弾できます。しかし 「規則通り石を投げつ

  • 正しい人は一人もいない。真実に神の道に従って歩んだ人もいない。

    「正しい人はどこにもいない。 罪のない人は世界中に一人もいない。 真実に神の道に従って歩んだ人はいない。 かって一人もいない。 そうしたいと願った人さえいない。 すべての人が道を踏み外し、みな、 まちがった方向に進んで行った。 正しいことをずっと行ってきた人は どこにもいない。一人もいない。」 これは誰の言葉でしょうか? 神の言葉である聖書の言葉(ローマ書3:10,11)です。 厳しい言葉ですが、

  • クリスチャンとは、どういう人のことか?

    「クリスチャン」とか「キリスト教」 というものは、実に多くの誤解があると思う。 いや私たちクリスチャン自身も、 自らのうちにある誤解を正す必要があるかも。 クリスチャンとは、神を信じる敬虔な、 清く正しく美しく生きる人を指す…のではない。 厳密には、そんな人は一人もいない。   誰であれ、どんな人であれ、今ある立場の中で、 イエス・キリストを信じる者は みんなクリスチャンなのだ。南無基督だ。 よく

  • 人は、行い では救われない

    立派な方、優しい方も沢山おられます。 しかし、自分の心の中にあること全てを 何の抵抗もなく、 あぴっろげに人々に見せられる人は、 まずいないのではないでしょうか。 あのマザー・テレサですら、 時として、自分の中にある悪い思いについて、 手紙の中で正直に告白していたりします。 人と比べて、 「あの人は素晴らしいなぁ」 あるいは、 「自分の方が少しマシだ」 と思うことはあるでしょう。 しかし、それはあ

  • ふつうの人エリヤ(旧約聖書 列王記 第一 第17章)

     エリヤは王宮から懸命に走って逃れました。 アハブ王が偶像礼拝の罪を犯したのを厳しくとがめ「自分の言葉によらなければこの地には露も雨も降らない。」と宣言してきたのです。すぐに王宮の兵士たちが追ってくるでしょう。 走り疲れ、息も絶え絶えに座り込んでしまったエリヤに、神の言葉が臨みました。 「エリヤよ、エリヤよ」 「はい、神様、ここにおります。」 「ケリテ川のほとりに身を隠せ。川の水を飲め。カラスがお

  • あなたのことを、「友よ」と呼び続けてくださるイエス・キリスト

    ユダといえば、 イエス・キリストの裏切り者として有名ですね。 確かに、イエス・キリストは直接的には、 このユダの裏切りによって十字架にかかります。 このユダが、 最後にイエス・キリストの元に来た時、 イエス・キリストはユダに対して、 「友よ…」 と話しかけられたのです。 イエス・キリストは、 「わたしがあなたがたに命じたことを あなたがたが行うなら、 あなたがたはわたしの友です。 わたしはもはや、

  • 天で立ち上がり、身を乗り出して、あなたを見つめてくださるイエス・キリスト。

    「見なさい。天が開けて、 人の子が神の右に立っておられるのが見えます」 2,000年前、迫害にあい、 今まさに石打ちで殉教しようとしていたステパノは、 天を見つめそう言いました。   人の子とはイエス・キリストのことです。 イエス・キリストは通常は 「神の右の座についておられる」 と聖書に表記されています。 しかし、この時、イエス・キリストは その座から立ち上がっておられたのです。 おそらくは身を

  • 駆け出しの牧師当時、『えっ、こんな人が、そんなことを…」と思ったものだ。今は誰から何を聞いても、『まっ、そんなことだろう…』と思う。

    30年近く前、牧師駆け出しの頃、人様から、 いわゆる「懺悔」的な話を聞くと内心、 『えっ、こんな人がそんなことを…』 と思うこともあったものだ。 でも、今は、誰から何を聞いても、 『まっ、そんなことだろう…』 と思う。人はどんな格好をしていようが、 口で何を語っていようが、 中身はそうそう変わりはしない。 50歩100歩だ。 あのイエス・キリストの一番弟子のペテロは、 イエス・キリストと出会った当

  • 聖書は、「…しなくてはならない」という道徳の書ではない。「神が…してくださる」という約束の書だ!

    【聖書の言葉】 「山々は動いて場所を変え、 丘が消えてなくなっても、 わたしの愛はあなたから離れない。 平安を与えるという約束を、 どんなことがあっても破らない。」 あなたをあわれむ主は告げます。 (イザヤ書54:10) 聖書を道徳の書として真摯な気持ちで読むなら、 あなたは苦しくなるはすだ。 「こんなことはできない…」と。 そして、聖書の言葉を使って、 他人の行いをさえ批判し始めるだろう。 しか

  • 聴診器から聞こえるものー命の大切さを考え直すー

    【2009年5月に東京カベナント教会ブログ「重荷をおろして」に投稿した記事です。 子供の日に、思い立って再投稿しました。時期の記述は現在に合わせています。】  10数年前のこと、会社の近くに科学教材などを扱うお店に聴診器があったので、買ってみました。2千円から3千円程度だったと思います。 喘息で定期的にお医者さんに通っている身であり、お医者さんが聴診器を胸に当てるだけで、なぜ診察ができるのか不思議

  • 奪い合えば足らず 分け合えば余る

    【写真 昨日の教会でのBBQの後で】 ある時、イエス・キリストは弟子たちに、 そこに集まって来ていた5,000人以上の人達に 何か食べる物を与えるようにと言われました。 弟子たちはびっくり仰天。 すると一人の少年が、 自分が持って来ていた5匹の小さな魚と 2つのパンをイエス・キリストに差し出しました。 「そんなのでは何にもならない…」 と言う弟子たち。 しかし、イエス・キリストはその5つの魚と 2

  • 走るな、子供たち!求む、歩行器!

      数年前2ヶ月ほど入院し、退院した直後のことです。 足腰の力が弱り、一時期は杖をついていたこともあります。 そんなとき、街を歩いていて恐怖を感じたのは、子供たちの走る姿を見たときです。走る子供にぶつかったら転倒してしまうでしょう。転倒したら自力では起きることも難しいでしょう。   健康な時なら、子供の走る姿を見ることは命の躍動としてこの上もない喜びを感じていたにもかかわらず、です。 いわんや歩道

  • 雨でも、雲の上はハレルヤ

    新しい一日です。今日も全ての方の上に、  神さまの恵みがありますように。 聖書の言葉 「天の父(神さま)は、 悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、 正しい人にも正しくない人にも 雨を降らせてくださるからです」 皆さんの処、今日の天気はいかがですか? もし雨が降っていたとしても、 雲の上はいつだって晴れています。 禿げでも…あっ、雨でもハレルヤです。(ベタな…笑) ハレルヤとは、 聖書の時代の言葉で、

  • たとえ今が辛くても…

    一寸先は光。 信じて歩き続けてみよう! 「神は真実な方ですから、 あなたがたを、耐えられないほどの 試練に会わせることはなさいません。 むしろ、耐えられるように、 試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」 (聖書 第一コリント10:13)

  • キリスト・コミッション いつでも奇跡はそこにある

    キリスト・コミッション いつでも奇跡はそこにある •オグ・マンディーノ著 牧野M.美枝訳  N兄、素晴らしい本をお勧めいただきありがとうございました。 夢中で読み進み、昨日遅くに読み終えました。 いま、その感動のままにお手紙をしたためています。   主人公の売れっ子推理小説作家マット(マティアス)は、イエスの復活について20年以上も調べた挙句、「イエスの復活は実際にはなかったのだ。」と確信するので

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