• エッセイ 信という選択

    儒教の五徳でいけば、仁義礼知信と末端に位置する徳である。信は、それほど身近な普遍的な徳目であって、例えば、日常生活で、バスや電車に乗るとして、そのバスの運転手、電車の運転士を信頼していなければ、本当には乗れないはずなので、飛行機や船などは、なおさらそうであろう。スーパーで買う食べ物等、どれを取ってみてもよい。 日常生活をつつがなく送る上で、欠かせないこの徳は、従って、五徳の末端に位置するというのも

  • エッセイ キリスト教という実存主義

    実存主義は、キリスト教または既存の宗教的な衣を脱いだとき、人々が抱く思想だと言われているが、わたしは異なった考えを持っているので、ここに書いてみたいと思う。 結論から先に言えば、むしろキリスト教こそ実存主義そのものだという考えである。思想において、何ものをも、前提としないという点では、東洋の方がむしろまさっていると。 わたしは、キリスト教ほど生存の不安を根底としている宗教はないと思っている。キリス

  • 「イエス巡礼」遠藤周作 新潮文庫

    新約聖書のシモンは、洗礼を受けてペテロと名乗りますが、三度キリストを裏切ります。鶏鳴三度の有名な話ですが、遠藤はそのキリストを裏切らざるをえなかった弱い普通の人間であるペテロを思い、その地を訪れ、そのイエスを裏切ったと伝えられている場所に立ち、なんとも言えない深い安らぎを覚えたと言います。日本のカトリック信仰の受容において第一人者であった著者の重要な思想を伝える一節です。

  • エッセイ きれぎれ草 7

     武は儒教の洗練を受けてその人格形成力を増したと言っていいが、武は侍という言葉が示す通り、君に仕えるのがその本分である。従って、その人格は表立って主張されることを嫌う。  君に仕えるという現実の仕事の意味合いに、儒教は強固な足場を提供したのだが、その中で、作り上げられた人格は少しも分かり易くはならなかった。却って、教養として複雑になったのだが、人格という単純簡明なものの深化がより深まったとも言える

  • エッセイ きれぎれ草 2

    自我形成 自我を形成するとは、周囲から自分が切り取られることである。自我は切り取られた傷口に沿って自分を形成していくものである 寒天からナイフで小さな立方体を切り取る。 要点は、その立方体の小片にではなく、切り取られたという、そのことにある。 そうして、再び周囲と新しい関係を築くこと。自我形成とは、その営々たる繰り返し作業に他ならない。      〇 虚子俳話録 「私は人には、鬼のようにも仏のよう

  • エッセイ 理念と原理

    ※ほぼ、3カ月ほど中断しておりました。これからは、ぼちぼちUPしていきたいと思っています。<(_ _)> 理念というものは原理的に扱われると、自分や他人を傷つけずには置かない両刃の剣となる。この理念というものは、キリスト教を代表とする、唯一神を奉ずる西洋諸国の宗教からもたらされた観念であるという認識は、まず、必要だろうと思う。 ところで、原理とは、数学的、物理学的な公式であり、とりのけを許さないと

  • キリシタン墓地の聖母マリア像に心打たれる。浦上天主堂を望む風渡る丘の上の経の峰共同墓地で

    浦上天主堂近くの坂本のうつくしいカトリック墓地 マリア像 経の峰共同墓地の十字架の墓石(十字架墓碑) 丘の上の「経の峰共同墓地」 行こうとしていた坂本国際墓地と間違えました。 が、こんなにも渡る風が心地よい墓地は生まれて初めてでした。時々聞える鳥の声も気持ちが良かったです。長崎市坂本3丁目にある「経の峰共同墓地」というキリシタン墓地を偶然見つけました。 その経緯をレポートします。 「祈りのゾーン」

  • 撃沈2

    その昔、プロテスタント教会に通っていた時期がありまして、牧師さまに教わったことがあります。 旧約聖書に出てくるバアル神など、当時の人々は、預言者が現れるまでは、その存在こそが唯一絶対の神様であると信じ、決して、カルトな悪魔崇拝者たちが成すように、「ははあ、親愛なるサタンさま~~」と、頭を垂れ、敬拝を捧げていたわけではありませんでした。 おそらく、現在のキリスト者と同じような、礼拝に近い感覚であった

  • 撃沈

    教会関係の内輪話です。 ご指摘があったので、そのことに少し触れます。 以前、書きましたが、このブログは外向きに発信しており、当初から、あまり教会員どうしの交流を想定していなかったため、ぼかす意味も含め、表現も多少、故意に変換してきました。 例えば、亨進さま これは、自身の、アジア人特有のというか、古しき価値観からくるものなのですが、古来より、存命中の尊崇なる偉人に対しては、礼を失しないよう、決して

  • 北イスラエル十部族の大移動

    このタイトルは、本の紹介でもあります。 著者 大杉博 岡山県出身の宗教家で、主に日本の古代史を探求されている方です。 かつて、邪馬台国は〇〇にあった・・・とか、検証が難しいため、都市伝説レベルから脱しきれない様々な学説が、想像たくましく飛び交った時期もありましたが、この方の登場によって、だいぶ鳴りを潜めたのではないでしょうか。 魏志倭人伝などにも造詣が深く、そのため、それを無視した考古学者や、へた

  • マグニフィセント・セブン

    気になる映画の紹介です。 なぜ気になるかというと、昨今、銃規制の問題がアメリカを中心に展開され、誤った捉え方をしないよう、ペンシルバニアの旦那を中心に、サンクチュアリ教会の方々も、それぞれ各種論陣を張ったりで対応、対グローバリズム戦の雄、トランプをサポートする方向で動かれていると思いますが、ここでは、少し難解な話から外れまして、思考を啓発する映画からも、少しは感じ取るものがあるかと思いまして、その

  • 北斗の拳

    私がサンクチュアリ教会に来た、理由らしきもの。 今回は内向きな内容となってます、ご容赦ください。 もし関心を持つならば、この世には、真理の欠片がいたるところに、散りばめられていることに、気づくはずです。 例えば、世紀末救世主伝説「北斗の拳」 一子相伝の北斗神拳に対し、南斗聖拳には数々の分派が存在する。 ここにもまた真理の断片を発見でき、家庭連合の分裂問題に見る、天の相続権争いに重なるものがあります

  • カラスがエリアを

    私は、以前子カラスを助けた事がある。 エリアはカラスに助けられ、私はカラスを助けた訳ですが、私は、カラスを通して神から 謙虚である事を学んだ。 また預言者エリアは新約で主・イエスとモーセとエリアと話し合いをしたシーンが あるのを見る限り、エリアは、イスラエルの民の中で偉大な預言者であったという 事が聖書を読むと分かる。 預言者の行いを通して、私達が神と共に歩むには、どのようにしたら良いのか、you

  • 主・イエスから召命

    私は、神様により救われました。 全世界の王であり神様である主・イエス様によりあがなわれた。☺️☺️ しかし私の信仰は今始まったのだ。 職場社会の中や、あらゆる人々に福音を伝える為に私は主から呼ばれ、選ばれた。 主は私達を無条件で愛してくださった、主が私達の罪の為に苦しまれた、あのゲツセマネでの地の汗を思う時、十字架の上の主の叫びを聞く時、生ける神の言葉は、私の欲望を消し、私を霊の喜ぶに満たす。 さ

  • ミッションノア

    新しく登録しました 私は、神学校聴講生で3年位学び卒業 してから親しい伝道仲間と福音伝えて8年目位になる。 主からの導きもあり、今回誰でも無料で真の救いを学べる会を作りました。 学びですが、私の携帯;tomorrgh777@gmail.com に連絡して頂いた方と学びします。 学びは、多摩センターで土曜日です。 宜しくお願いします。☺️

  • 目糞は鼻糞を笑ってはいけない

    ルカによる福音書6章41~42節 なぜ、兄弟の目にある塵を見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。 自分の目にある梁は見ないでいて、どうして兄弟に向かって、兄弟よ、あなたの目にある塵を取らせてください、と言えようか。偽善者よ、先ず自分の目から梁を取り除けるるがよい、そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にある塵を取り除ける事ができるだろう。 岬キリスト教会さんより引用します。 平行記事

  • 沈黙

    どんなことであれ、問題が何であるかを知るには、原点を目指し、源流を溯ることが必要になってくると思います。 私は歴史を、自分なりに咀嚼し直し、いろいろ紐解いていく作業をしていますが、その中で、やがて、日本にも、キリスト教が関わってくる時代。 特に、禁教令が敷かれた、江戸から明治初期に至るまでの、キリスト者にとっては、非常に厳しい時代ですが、正直、この部分になると、とても辛く、切なくなってきます。 こ

  • 「兄弟」と書いて、何と読む

    「本気」と書いて「マジ」と読む、では、「兄弟」と書いて・・・ 人生行路というか、信仰生活について、少し触れていきたいと思います。 キリスト教世界では、イエス様が説いた「愛、許し、感謝」の生活が、日常で営まれるよう、数多くの、み言葉が存在し、教えられてきていると思いますが、50過ぎたおっさんが振り返って思うに、何かの欠落を感じるのです。 たしかに、出家したような立場の、例えば修道生活をしているような

  • 「神々の微笑」芥川龍之介 新潮文庫

    芥川は、晩年のある時期を除いては、宗教的な考え方について秀れた見識を有していました。この作品では、布教のために近世日本にやって来た主人公のバテレンを通して、日本人の宗教の有り様を見事にとらえて見せています。短編小説ですから、論理的な説得力を持ったものではありませんが、日本的な宗教の微妙な勘所をたくみな表現力を用いて描いてくれます。日本人のキリスト教受容において、多くの示唆を提示している文章になって

  • キリスト教会

    老いては子に従え 韓鶴子に対しては、このことわざに尽きる気がします。 でも、ご自身が鬼籍に入った後は、誰を後継にするんだろうか、ふと考える、今日このごろです。 魔界の王位争奪戦みたいになるんじゃあないだろうか。 さて、話は変え、エルダーさんや、あるプロテスタント教会の方など、複数の方が、全く同じ考察をされていましたので、私も同感、大事なことだと思い、内容は、ほぼそのまま(すいません、転載に近いです

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