• エッセイ モーツァルトと東洋<K331>

    第3楽章が有名なトルコ行進曲のピアノソナタであるが、わたしが注目したいのは、第1楽章のそれこそ出だしのところである。 とても単純で、きれいな旋律なのだが、わたしはここに、比喩になるが、何か異様なまるで大きく口を開けた怪物に吸い込まれていくような、または、底の知れない深淵をのぞき込んでいるような不安な感じを受ける。モーツァルトの曲の中でも、何か、もっとも異常な気配を感じさせる不思議な曲である。 この

  • 空がきれいだったから…

    こんばんは! 暇人です。 今日は、曇りがちの空… 寒いと聞いていたけれど、 思ったよりも、暖かくて… しっかりと歩けたのがよかった。 大好きな空を見られたのも… 毎日1つずつ、大好きを探してみる 梅がきれいだ、とか 大好きなろう梅が咲いていた、とか。 色んなことがあるけれど。 いいことだって、必ず隠れてる。 そのいいことを探して… 今日はいい日だったな、と思う。 がんばれ! 若者! なんて。 元気

  • 閑話休題 「にほんブログ村」のポイント数

    以前から、不思議に思っていたことがあった。 わたしのブログは、にほんブログ村では、中程度のランキングで、ポイント数もさほど多い方ではないのに、「おすすめ人物画」と検索すると、非常なサイト数にもかかわらず、わたしの絵がトップページに出て来た。今は、URLを変えてしまったので、そうではないが。 また、「おすすめクラシック音楽」「Hideおすすめ本」の検索でもトップページに出て来たものだが、これはポイン

  • 災難は突然に

    災難は突然に… 今朝は、ヘルパーさんが帰ったあと、 あわてて美容院に駆け込もうと、家を飛び出したら… 突然、知らないオバサンに、声をかけられました。 「あんた、あのマンションの人でしょ?」 なんで知ってる?( -_・)?? 「oさん、亡くなったの知ってる?」 いきなりの、お隣さんの名前… 最近、見かけないなぁ~と思っていたら、先月亡くなってたらしい。 「誰にも言ってないらしいの。 当日、すぐにお骨

  • しゃべるエレベーター

    しゃべるエレベーター 雨降りの買い物… 嫌だなぁと、エレベーター。 乗り込んだら、あれ?声がする… 見上げると、管理人さんの声と 誰かの声… 会話ボタンが、赤く点滅してる。 ガチャンと切れた。 ドアがあくと、エレベーターの点検の人。 「また、点検ですか?」 恐る恐る聞くと、 「いえ、違います」 管理人さんに聞くと…どうやら会話ボタンを誰かが押したのか? 乗り込んで 「消えませんね」 一瞬、話しかけ

  • 小さな幸せ

    小さな幸せ ヘルパーさんが来る前に、買い物へ行こうと家を出る… いつもオートロックで、犬をダッコしている女性を見かける。 車椅子のその女性… 普段どうしているのかな? と思えば、自力で車椅子を漕いでいた。 その姿はアスリートのようで… 普段のホンワカ笑顔とは、違ったけれども。 一生懸命、生きる姿に心を打たれた… 休日は、ダンナさんとお買い物。 若いのに、がんばるその姿… 私も頑張らねば! と心に思

  • エッセイ 日本はすこしも狭くない <雑感>

    「日本は狭い」とは、よく言われる言葉だが、わたしは日本は少しも狭くないというのが、日本に住む者の実感としてある。「狭い日本」とは、単に、世界地図を見たときの感想をいった言葉に過ぎないのではないかと思っている。 急峻な山々がそびえ立っているために、天候は日本海側と太平洋側とはまるで違うし、単一民族であるにも関わらず、地域間同士の横の連携はまことに薄く、そのために、行政をはじめ、至るところで縦割りであ

  • エッセイ 紙幣考<ドストエフスキーの貨幣感覚>改版

    前に、このブログで一度触れたが、ドストエフスキーの「白痴」の中で、ナスターシャが大金の札束を燃やそうとする場面をよく見てみたい。紙幣が、金銀貨とは、まるで違ったものだということを象徴的に表現している箇所だと思えるのである。 バルザックの時代は金銀貨であり、それは、そのままで実質的な価値を持つ貨幣であった。けれども、紙幣は、その背後にある国もしくは共同体の信用がなくなれば、単なる紙切れとなる貨幣であ

  • エッセイ 統計というもの

    社会というものを手っ取り早く、理解しようとする手段として、これほど、現代社会において、不思議なほど信頼を集め、いわば乱用されているものもないであろう。 こう問おう、社会とは何であるかをしっかりと知っている人間が果たしているだろうかと。古来、社会は怪物に例えられた。少しも古びたたとえではない。肝心なのは、社会が、現代のように、民主主義政体というものをとっていようが、社会は怪物的性質を、決して止めない

  • この子を残して

    この子を残して  永井隆 著           青空文庫より 初出昭和24年 底本平成18年 永井隆は長崎医科大学に勤め、戦時中被曝量も省みずにX線検査などに従事して 白血病となった。 まもなく妻は1945年の長崎原爆投下時に死亡したが、 永井はなお被曝者の治療に当たった。 敬虔なカトリックで、白血病で余命を宣告されつつも、 二児とともに、信者や教会によって建てられた 二間の庵、如己堂(にょこど

  • エッセイ 深は新

    この言葉は、高浜虚子の言葉である。わたしは、それを少しもじって「深層という新層」 という文句にして、自分の詩の中に紛れ込ませたことがある。 「深いものは新しい」これは、いつの世でも変わらないことであるようだ。だが、現在、周りを見渡してみると、物を作ろうとしているような人は、新味を出そう出そうとしているようだが、たとえば、ガウディのような自分というものを十分に掘り下げた新しさというものには、とんと出

  • エッセイ バッハ <パッサカリアとフーガハ短調>

    十五分ほどのオルガン曲だが、わたしが始めて、バッハの音楽に触れ得たと思ったのは、この曲だった。この曲には、甘く人を酔わせるような音は一音もない。 学生時代、ある本で推薦されていた、この曲のレコード(当時はCDではなく、レコードだった)を買って聞いたときのことは、よく覚えている。いや、はじめて曲を聞いたときの感動をそのまま覚えているとは、言うまい。それはわたしには不可能なことだ。 むしろ、この曲を聴

  • エッセイ シンクロニシティ

    「共時性、同時性」などと訳されるが、今ではユング流に「因果的には説明できないが、意味のある偶然の一致」と訳される語で、平たく日本語で言えば「縁」である。 ユングの考えの土台となっているのは儒教の「易経」で、縁は仏教用語だが、この東洋思想両者に共通する、事象がシンクロナイズするという現象は、西洋の学問の枠組みからは、その埒外に置かれることになった。 いわゆる実験による再現性が不可能という理由にも拠る

  • エッセイ講座の話①

    昨年末、永らく通っていたエッセイ講座の不定期講座に出席できた。 私はなかなかエッセイを出せないでいる。 既に通信講座コース(6回でワンクール)2順目の人々の中で私はまだあと1回作品を出さないと次の課題に入れない。 ブログは毎日書くことを自分に課しているからなんとか続けている。 文章を書くのは好きだが、実は毎日きちんとかいていくというのはしんどいのだ(こんなボヤキいいのだろうか?しかし本音なのだ)。

  • エッセイ 新春雑感

    新春だから、何か書いてみようと思うが、さて、これと言って浮かばない。何かめでたい記事になれば良いと思うが。 わたしは、ある人のことを深く考えるときには、どうしても、その人の宗教観が気に掛かる。その人が無宗教の人であっても、その人の家の宗教のことが気に掛かる。 宗教というのは、おもしろいもので、匂いが付き纏うものである。仏教なら抹香臭さ、キリスト教ならバタ臭さ、インディアンならタバコ臭さというような

  • 〈エッセイ〉父の骨折

    年を重ねた後の人生は変化など無く、つまらない時の流れに身を委ねて朽ちるのを待つだけかと思っていた。ところがどっこい。なんやかんやで毎年変わっていく。自分の思考も自分を取り巻く環境も刻一刻と変容、変化し続けていくのだ。一年の流れは早い。確かに早いけれども、同じ年はきっと二度とない。 例えば家のこと。 私の父は、二か月ほど前に骨折をした。大腿骨の付け根と言えば分りやすいだろうか。なんでも、ダイエットの

  • 始動

    年が明けて六日も経った。イノシシ年の開幕。そして、私は年女。年女、年女とつい口走るけど、ただそれだけ……かと思いきや、調べると実は他の人たちよりは多少は縁起がいいらしい。ならばと思い立って新たに由美杏樹名義のブログを作った。 可能であれば、小説サイトも新たに作ろうと思う。それとも、一先ずこの場所を借りようか。小説を書きたい気持ちは十二分にあるから、本当は本業(と言っていいのか?)の創作に打ち込みた

  • エッセイ 「きれぎれ草」のこと・俳句

    きれぎれの思いのままに年は暮れ 名前は誰だか、調べればすぐ分かるのだが、ずいぶん前に「きれぎれ」という小説を書いて、芥川賞をとった作家がおられる。わたしは根が無精だから、調べずに書いているのだが。 こう書いてきたというもの、ある文芸同人誌に属していた20年前ほどのとき、わたしは「きれぎれ草」という題をつけて、短文を綴っていた。このブログに載せた「きれぎれ草」も、その中の断片なのだが、これは、お察し

  • エッセイ クリスマス

    纏まりの付かない文章になると思うが、一応書いてみたい。 イエスの誕生日が制定されたのは、三世紀頃とされている。聖書には、イエス・キリストの誕生日の記述がないことは、よく知られている。一年でもっとも日足のが短い日が、メシアの生誕日であったことにしたのは、西洋人の深い感情が込められているものと見て良いのだが。 西洋人は、良くも悪しくも、こうした世界的に知られることになる偉人たちに対して、不思議ななほど

  • 嘆く人よ

           嘆く人よ。 嘆いて何が変わるだろうか? 満たされないものは嘆いて満たされるのだろうか? こころの空洞は嘆いていても満たされないだろう。 喪失感を埋めるのは、失った後に語られることばを聞くことなのではないだろうか? 失ったものは全くなくなってしまった訳ではない。 必ずあなたの胸の内、何かを宿しているはずだ。 それとの対話は自分と対峙する中で生まれる。 宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を読むた

1 2 3 4 5 ... 11