• エッセイ 年齢ということ

    「資本論」に、こんな言葉がある。「人が、半年生きるということは、その半年分、死に近づいたということである。」これを読んだ当時、また、年齢を重ねた現在も、この物差しで測ったような年齢についての見解には、砂を噛むような人生を見せられている気がして、どうしても、釈然としない思いを抱かせられたものである。まったく、唯物論的年齢観であろうか。 これに比べれば、孔子の言葉の方が、よほど気が利いている。心理学で

  • エッセイ 法律の厳罰化傾向

    法律の厳罰化傾向が続いている。法律専門のお役人方は、法律を厳罰化すれば、犯罪は減るとでも思っているようである。これは、簡単な算数なのであるが、法律が厳罰化されたお陰で、自動車によるひき逃げ事件がなんと増えていることだろうか。 人間の心は、算数では測れない。こんな単純なことも(じつは深過ぎる理なのだが)お偉方は、簡単に失念してしまうようである。 人間は、これはという人物と出会ったときに、はじめて反省

  • エッセイ ベートーヴェン 熱情<アパッショナータ>

    ベートーヴェンにしては、思わせぶりな曲だと長年思ってきた。 グールドもベートーヴェンのアパッショナータが何故あんなに人気があって名曲と言われるのか、訳が分からないとどこかで言っていたが、グールドの言うことは、半分眉に唾をつけて聞かないといけないから、素直に賛同はしていなかった。 それで、つい最近、ホロヴィッツのアパッショナータを聞いて、この曲を改めて見直した。70年代のと59年の録音があるが、59

  • エッセイ 日本の歴史<リレーということ>

    リレーということで、常日頃考えていることがある。日本の文化歴史の特徴に、このリレーということが大切な役割を果たしているということがあると思うのである。 日本仏教の浄土教の法然・親鸞のライン。戦国時代の信長・秀吉・家康のライン。近くは維新期の吉田松陰・高杉晋作・西郷隆盛等のライン。つまり、日本の歴史の流れの要所要所では一人の人によって、作られた改革・革命はないということなのである。 目を世界に転じる

  • エッセイ モーツァルト讃

    モーツァルトがとても好きである。 K551「ジュピター」はわたしにとって、本当に啓示だった。最初にモーツァルトに本当にふれたその高校生当時、世の中にこれ以上の音楽はあるまい。いや、有り得ないと本気で信じていた。今でも、半ばそうである。ジュピターは、未だに、ある強い感情を伴わないでは聞くことができないでいる。 モーツァルトなんてイカサない。ショパンの方がずっといいわという女性(特にクラシック好きの女

  • エッセイ 「バカ」は不治の病か

    「バカ」とは足りない人間のことではなく、跳ぶ人間のことである。「利口」は跳ばない。危険であることを知っているからである。 自分を振り返って、自身をじつにバカだと思うのは、わたしだけではなかろう。 危険を冒さなければ、人生に意味が生じようがないのも、また、事実である。 バカにつける薬はない。自分を省みて、その通りだと思う。人生そのものがバカバカしくもあり、また、真実の意味に満ちていると思えるものだか

  • エッセイ 思想というもの

    ※<台風の被害に遭われた方々へ、お見舞い申し上げます。> 思想と観念は、区別がまぎらわしいものだが、観念は単なる言葉であって、思想は何か別な高級なものと思われがちである。 これは、はっきりしておかなければならないのだが、思想も単なる言葉に過ぎないのである。もっと言えば高級なものでさえない。観念よりはるかに手垢にまみれた生臭いものだからである。だが、そこにこそ思想としての命がある。 実生活と肉体を離

  • エッセイ モーツァルト「レクイエム」

    わたしは、モーツァルトの「レクイエム」が好きでよく聞くという人が、信じられない人間である。先日も、モーツァルトの「レクイエム」が好きでよく聞いているという人に出会ったが、わたしは、この人はモーツァルトという人と音楽をまるで知らないなと心ひそかに思ったものである。 安藤美姫だったと覚えているが、「レクイエム」を伴奏にして、フィギュアスケートを踊ったことがあった。わたしはごく真面目に、命がけだというこ

  • エッセイ 人を見るということ

    人を顔で判断するのがはやりである。地下鉄の週刊誌の広告には、これでもかというくらい顔ばかり載せている。 わたしは週刊誌や雑誌などを読む習慣がない。せめて、文藝春秋くらいはと思うのだが、今の冷笑主義の論調に嫌気がさし、読む気がしないでいる。だが、地下鉄の週刊誌の広告だけは、よく見る。 週刊誌などの雑誌は、広告だけを見ておけばいいというのが、わたしの持論である。 さて、顔であるが、人を顔だけで判断する

  • エッセイ 信という選択

    儒教の五徳でいけば、仁義礼知信と末端に位置する徳である。信は、それほど身近な普遍的な徳目であって、例えば、日常生活で、バスや電車に乗るとして、そのバスの運転手、電車の運転士を信頼していなければ、本当には乗れないはずなので、飛行機や船などは、なおさらそうであろう。スーパーで買う食べ物等、どれを取ってみてもよい。 日常生活をつつがなく送る上で、欠かせないこの徳は、従って、五徳の末端に位置するというのも

  • エッセイ ワーグナー「リング」

    「ニーベルングの指輪」には驚嘆した。近年ない感動を味わった。この歳になって、こうした感動を得るとは、いや、音楽の世界はじつに広いと改めて感じ入った。 ワーグナーが好きで、ワグネリアンという人たちがいることは知っていたが、実際、その人たちの気持ちも分かるような気がした。音楽の表現力の、モーツァルトとはまた別の世界の、文字通り言語に絶する領域が開拓されていた。 いや、強烈な感動だった。 「リング」を聞

  • エッセイ ある宗教家のこと

    数年前のことだが、ある宗教的な人と偶然話す機会があった。宗教的とはいっても、わたしより年少の、どこから見ても平凡なサラリーマンという男性であった。 それで、その人は親鸞会に傾倒していたのだが、自分の生活をすべてなげうって、そこに所属し、信者を募っていた。 その人の言うには、自分が救われるということが自分にとって一番大きな問題だという。じつを言うとそこのところがわたしにはよく分からないところであった

  • エッセイ 日本人の倫理と権力<私見>

    武士は、二君に仕えずとは、頼朝の作った武士の倫理だった。それでは、その前はどうだったかというと、平安期の武士たちは宮廷や荘園や寺社などを自由に雇われ歩いていたのである。 では、貴族はどうだったかというと、菅原道真が左遷されたときなど、その配下の者たちもすべて零落していき、清少納言も定子が権力争いに負ければ、同様に運命をともにして落ちぶれていった。 つまり、二君に仕えずとは日本の貴族の倫理に他ならな

  • エッセイ キリスト教という実存主義

    実存主義は、キリスト教または既存の宗教的な衣を脱いだとき、人々が抱く思想だと言われているが、わたしは異なった考えを持っているので、ここに書いてみたいと思う。 結論から先に言えば、むしろキリスト教こそ実存主義そのものだという考えである。思想において、何ものをも、前提としないという点では、東洋の方がむしろまさっていると。 わたしは、キリスト教ほど生存の不安を根底としている宗教はないと思っている。キリス

  • エッセイ リヒター「ブランデンブルグ協奏曲」&私見

    演奏は単なる解釈ではなく、高度な創造的営為であることが、このリヒター盤の「ブランデンブルグ協奏曲」で知られる。 ブランデンブルグには、他にも、ピノックやアーノンクール、レオンハルトのよい演奏があるのだが、(カザルス盤もあるらしいが、わたしは聞いたことがないので)このリヒター盤がブランデンブルグを演奏する際の基準となってしまっているようである。 こういうことは、よほど突出した個性でなければ、起こりえ

  • エッセイ 「神聖にして不可侵」なるもの

    微妙な問題になると思うが、この言葉について、色々とかんがえてみたい。知っている人は、すぐにピンと来るであろうが、これは明治憲法で天皇の地位を定めた言葉である。 わたしは明治時代に書かれた文章を読むときよく思うのだが、明治時代というのは、良く言えば、重厚で大真面目、悪く言えば、肩肘張った大仰な表現がまかり通る時代だったということを強く思う。大槻文彦が著した「大言海」の「やまとだましい」の解を見てもこ

  • エッセイ きれぎれ草 11

     シューリヒトの音  いったい、指揮者が変わるだけで、オーケストラの音は変わるのだろうかという根強い俗見があるが、その問いに答える目覚ましい実例が、シューリヒトであると言えると思う。シューリヒトが主に指揮した楽団は、パリ・オペラ座管弦楽団で、ヨーロッパでも一流のオケとは言えない。ウィーンフィルやベルリンフィルと比べれば、素人でも容易に見分けのつくくらいの歴然とした差がある。ベルリンフィルのまるで整

  • エッセイ 結果論の弊害<スポーツ等>

    あるとき、ある高等学校の生徒さんの作文を多く読む機会があった。それを見ると、彼らがいかに<結果>というものに心を蝕まれているかを痛感した。 彼らの作文で、よく出て来るテーマを圧縮してみると、努力→結果という図式である。ほとんど、これ以外は考えようがないというくらい頑固にこの単線の思考を繰り返している。 結果論は本来、野球用語で、元々結果からものを言うという弊害を正そうとして、悪い意味で使われてきた

  • エッセイ 戦争と平和<恒久平和という思想>

    戦後73年、明後日は終戦の日ということで、テレビや新聞では、戦争の特集をやっている。今のテレビや新聞の報道の仕方を見ていると、「戦争は不条理なもの、平和は条理に適ったもの。」そして「戦争は絶対悪、平和は絶対善。」という公式で括れるようだ。もし、本当にそうであるなら、こんなに結構なことはないほどの有り難い公式ではある。 私事で、恐縮だが、わたしの家の戦後はまだ終わってはいないとわたし自身思っている。

  • エッセイ 雑感<気候というもの> 

    日本は自然の厳しい国である。夏は東南アジア諸国並みに暑く、冬は北欧並みに寒い。わたしと同年代の人は、日本を亜熱帯型(もしくは温帯型)モンスーン気候の国だと習ったはずだが、今は、どの教科書を見ても、そうは載っていない。 世界地図から見て、これほど小さな国であって、また、これほど地域によってバラエティに富んだ気候の国は、世界のどこにもないようである。 小さな国でありながら、急峻な山々が多く、しかも南北

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