• 【御厨延命厄除地蔵尊】東大阪市御厨

    【御厨延命厄除地蔵尊】東大阪市御厨 この地蔵堂内でまつられている石仏は「御厨天神社」の南、暗越奈良街道沿いにあった池の中から発見され、当初は「元地蔵」と呼ばれたその場所でまつられていたそうで、様式から鎌倉時代のものと推定されているそうです。 その後、四度場所を変え現在地にまつられたそうですが、後世に造立された台座には享保六年(1721)の年号がある事から、この頃からこの場所でまつられたそうです。

  • 文明開化の町 【御厨会館】と【 御厨行者堂】東大阪市

    文明開化の町 【御厨会館】 東大阪市  暗越奈良街道沿いに発展した御厨(みくりや)は、明治時代になると、この付近の中心的存在になります。 チョンマゲはザンギリ頭になり、和服から洋服になり、暦も月を中心とする太陰暦(旧暦)から太陽歴に変わりました。 また、街道沿いには、乗合自動車や人力車などが走るようになります。 明治7年2月には、この御厨村に屯所が置かれ、番人が配置されました。同10年になると御厨

  • 【池島地蔵石仏】東大阪市

    【池島地蔵石仏】東大阪市 大阪府東大阪市池島町に浄慶寺の門前に地蔵尊があります。 この地蔵尊は【池島地蔵石仏】とも呼ばれ、天文十五年(1546)の年号と梵字(十三仏の種子)を刻んだ十三個の月輪によって十三仏を表し、地蔵信仰と十三仏信仰が一つの石仏に表されている珍しいものだそうです。 また地蔵堂前には嘉永五年(1852)の年号が刻まれた、花立てと線香立てがあります。石仏は東大阪市文化財保護条例によっ

  • 【石造地蔵菩薩半跏像】(せきぞうじぞうぼさつはんかぞう 東大阪市

    彌榮神社の前を東に100mほど行くと、家並の角に『中小阪地蔵堂』があり、その中に【石造地蔵菩薩半跏像】があります。  【石造地蔵菩薩半跏像】について; 地蔵堂内に安置される地蔵菩薩像は岩座を含めて、高さ106㎝、座高72㎝を測り、左足を蓮華台にしつらえ、左足を安座し、左手を左膝の上に置いた「半跏像」です。仏像としては珍しいもので、木彫にみられるような、鎌倉時代のすぐれた彫法でつくられていることから

  • 【四光地蔵尊】と【爪切地蔵尊】東大阪市上石切町

    東大阪市上石切町の【四光地蔵尊】と【爪切地蔵尊】(つきりじぞうそん)です。「 一番大師堂(いちばんたいしどう)」と道をはさんで存在します。東大阪市上石切町に鎮座する「石切神社上の宮(いしきりじんじゃかみのみや)」や生駒山頂へのハイキングコースの途中にあります。近鉄奈良線の石切駅を降りて山側に向かって直ぐのところです。 【爪切地蔵尊】 【四光地蔵尊】 【四光地蔵尊】 【四光地蔵尊】 【爪切地蔵尊】

  • 【戸森山 専應寺】(せんのうじ)大東市

    大阪府大東市野崎にある【戸森山 専應寺】(せんのうじ)です。参道に石標には、「二十四輩 第廿二番 戸森山 専應寺」と刻まれています。境内にある説明書きによると専應寺は、浄土真宗本願寺派の阿弥陀如来を本尊とする寺院で江戸時代中期の建築様式をもつ本堂・聖徳太子像を安置する太子堂・鐘楼・山門・庫裏(くり)があります。太子像は聖徳太子自作と伝わる孝養像(父用明天皇の病気平癒を祈願する太子16歳の姿)で、毎

  • 【吉原観音】(よしはらかんのん)東大阪市

    大阪府東大阪市吉原に【吉原観音】(よしはらかんのん)があります。観音堂内には観音像以外に弘法大師像、阿弥陀如来像等がまつられています。この観音堂の由来等については不明です。横に消防団の倉庫があります。  住所:大阪府東大阪市吉原1丁目3-19  #じゃらん #じゃらんネット #観光スポット #むらごんブログ #ムラゴン #Sakamoto119

  • 【岡山行者堂】(おかやまぎょうじゃどう)大阪府四條畷市

    【岡山行者堂】(おかやまぎょうじゃどう)  JR忍ヶ丘駅から西へ徒歩10分、忍陵〔しのぶがおか〕神社隣にある岡山行者堂。役行者開基。本尊は不動明王。 津桙神社の遷座の際に一緒に移ってきたとの事です。  住所:大阪府四條畷市岡山2丁目 【忍陵神社】(しのぶがおかじんじゃ)が隣接します。 #じゃらん #じゃらんネット #観光スポット #むらごんブログ #ムラゴン #Sakamoto119

  • 【京善寺】(きょうぜんじ)大阪市東住吉区

    【京善寺】(きょうぜんじ)  の縁起は、古くは「金剛院」と称せられ厄除祈願道場として栄えていたが、1615年(元和元年)大坂夏の陣に合戦の場となり、兵火で寺は焼失したため、詳細は不明とのことである。この時期、寺は荒廃したが、1653年(承応2年)桑津村の篤信者富井部氏などの霊夢に不動明王が出現され、寺の再興を告げられたため、紀州より観弘実誉阿闍梨を招き堂宇を再興、寺号を心王山殊勝院京善寺と改めた。

  • 【正覚寺】(しょうがくじ)大阪市平野区

    【正覚寺】(しょうがくじ)は、大阪市平野区加美正覚寺にある単立[寺院。山号は成等山(じょうとうさん)。奇数日の午前9時半と午後1時半に一般参詣できる。天長2年(825年)に空海(弘法大師)により開基。かつては境内四町四方、本堂二十一間四面、不動堂七間四面、その他山門、廻廊、伽藍等巍々たる名刹で、東之坊ほか五坊を有する巨刹だった。 明応2年(1493年)2月25日に畠山政長が室町幕府10代将軍足利義

  • 【一心寺】(いっしんじ)大阪市

    夕陽丘の一角に位置する一心寺は、文治(ぶんじ)元年(1185)、法然(ほうねん)上人が四天王寺西門の西側あたりに、草庵を結んだのが始まりとされる浄土宗の寺院。後白河法皇もこの地で、西方に沈みゆく太陽に向かって念仏を唱え、極楽生涯を願う「日想観」の修行を行ったといわれています。現在の境内地は、秀吉の夫人高台院からの拝領によるもの。大坂冬・夏の陣では徳川家康の本陣が置かれた場所としても有名。また、一心

  • 【来恩寺】(らいおんじ)大阪府八尾市

    【来恩寺】(らいおんじ)大阪府八尾市 当山の縁起は、現在の地に江戸中期より来福寺という名の小さなお堂があったところで、1906年(明治39年)に、現在地より東南200メートル生駒山系の中腹にあった恩覚寺と合併し、以来、来恩寺(融通念仏宗)としての歴史は100年足らずだが、来福寺(浄土宗)、恩覚寺(真言宗)の合併の名残として、本尊の観音菩薩像の脇にそれぞれ、阿弥陀菩薩と弘法大師像が安置されている。ま

  • 【大聖勝軍寺】(だいせいしょうぐんじ)大阪府八尾市

    【大聖勝軍寺】(だいせいしょうぐんじ)は、大阪府八尾市の旧奈良街道に面して建つ高野山真言宗の仏教寺院。山号は神妙椋樹山。 開基は聖徳太子、本尊は植髪太子(聖徳太子)である。 聖徳太子建立三太子の一つで、叡福寺の「上の太子」、 野中寺の「中の太子」に対して、「下の太子」と呼ばれている。地元では単に「太子堂」と呼ばれている。河内西国第一番霊場。門前に秦河勝が物部守屋の首を洗ったと伝わる「守屋池(守屋首

  • 【西向稲荷】(にしむき稲荷)【高倉大明神】(たかくらだいみょうじん)【於花大明神】(おはなだいみょうじん)/大阪府八尾市

    JR関西本線沿いの大阪府八尾市植松の住宅地に、弘法大師、お稲荷、不動明王を一度に参拝できる場所があります。JR八尾駅の南口を出て、「安中新田会所跡・旧植田家住宅」もある方向へ歩きます。植松1丁目8番地に駐車場があり、舗装されていない道が見えます。その道を行くと白い鳥居が見えます。 ①向かって左側に、「高野山 真言宗 弘法大師」です。お顔はふっくらしています。 ②中央に、【西向稲荷】(にしむき稲荷)

  • 【大念佛寺】(だいねんぶつじ)大阪市平野区

    【大念佛寺】(だいねんぶつじ) 融通念仏宗の総本山で、本堂は大阪府下最大の木造建築物。国宝「毛詩鄭箋残巻」、重要文化財「融通念仏勘進帳」などの寺宝があり、毎年1・5・9月のそれぞれ16日に行なわれる百万遍会(大数珠くり)は有名だ。5月1~5日の阿弥陀経万部会(万部おねり)は、壇家代表や稚児行列など総勢百人に続いて、金色の面ときらびやかな衣装で25体の菩薩にふんした僧侶らが、本堂裏から本堂正面に回る

  • 【小さな駄菓子屋さんの博物館】全興寺内 / 大阪市平野区

    全興寺(せんこうじ)は大阪市平野区にある高野山真言宗の寺院。境内に【小さな駄菓子屋さんの博物館】があります。 平野町ぐるみ博物館の常設館の一つ。1993年に寺の蔵を改修してオープンした。川口住職が小さい頃駄菓子屋で集めた数百点のコレクションを展示している。展示物は駄菓子の外箱や包装紙、ブリキのポンポン船やメンコ、ビー玉、ベーゴマ、日光写真、リリアンなどで、昭和20、30年代に駄菓子屋にあったものが

  • 【全興寺】(せんこうじ)大阪市平野区

    【全興寺】(せんこうじ)は大阪市平野区にある高野山真言宗の寺院。山号は野中山。平野薬師としても知られる。「平野の町づくりを考える会」の事務局があり、平野町ぐるみ博物館を含め様々な町おこし活動を行っている。境内には地獄の様子を写した「地獄堂」や仏の世界を表現した「ほとけのくに」、町ぐるみ博物館の一つである「小さな駄菓子屋さん博物館」や子供の遊び場として利用される「おも路地」など、多種多様な施設があり

  • 【野中寺】(やちゅうじ)大阪府羽曳野市

    【野中寺】(やちゅうじ)は、大阪府羽曳野市にある高野山真言宗の仏教寺院。別称は中之太子。山号は青龍山。本尊は薬師如来。創建は飛鳥時代。伝承では聖徳太子建立48寺院の一つとされ、太子の命を受けた蘇我馬子が開基とされる。また「上之太子」叡福寺、「下之太子」大聖勝軍寺とともに三太子の一つに数えられ、「中之太子」と呼ばれている。境内に残る礎石から、飛鳥時代~奈良時代前半には大規模な伽藍が存在したことは明ら

  • 【安養寺】(あんようじ)大阪府八尾市  2/2

    【安養寺】(あんようじ)大阪府八尾市 この地は恩智字向谷といい、本寺裏山の通稱垣内山のすぐ裏手の山裾から大正十年(1921年)風雨のため山崩れが生じ、その赤土露出部より流水紋銅鐸が発見されました。流水紋様は弥生時代前期から中期にかけて近畿を中心に流行した流水紋土器に見られ、この鐸もその影響を受け作られたものと考えれます。 銅鐸は現在東京博物館にありその拓本が当寺にあります。【安養寺】は浄土宗で本尊

  • 【安養寺】(あんようじ)大阪府八尾市  1/2

    【安養寺】(あんようじ)大阪府八尾市 この地は恩智字向谷といい、本寺裏山の通稱垣内山のすぐ裏手の山裾から大正十年(1921年)風雨のため山崩れが生じ、その赤土露出部より流水紋銅鐸が発見されました。流水紋様は弥生時代前期から中期にかけて近畿を中心に流行した流水紋土器に見られ、この鐸もその影響を受け作られたものと考えれます。 銅鐸は現在東京博物館にありその拓本が当寺にあります。【安養寺】は浄土宗で本尊

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