• 6825 高杉早苗墓(台東区・寛永寺霊園)

    高杉 早苗(たかすぎ さなえ、1918年10月8日 - 1995年11月26日)は、日本の女優。本名は喜熨斗 弘子(きのし ひろこ)。旧名は清水ヒロ。 夫・三代目市川段四郎との間に、長男・二代目市川猿翁(旧名:三代目市川猿之助)、次男・四代目市川段四郎、長女・市川靖子の三子。香川照之および四代目市川猿之助はそれぞれ孫にあたる。 来歴・人物 浅草生まれ。新橋ホールでダンサーをしていた昭和9年、ミスコ

  • 6824 藤間 紫墓(台東区・寛永寺霊園)

    藤間 紫(ふじま むらさき、1923年(大正12年)5月24日 - 2009年(平成21年)3月27日)は、日本舞踊家、女優。本名は喜熨斗 綾子(旧姓:河野→藤間) 人物 日本舞踊藤間流紫派家元。夫は三代目市川猿之助(後の二代目市川猿翁)。六代目藤間勘十郎の元妻で、三代目藤間勘祖である高子と俳優文彦の母。弟には六代目中村歌右衛門の芸養子である二代目中村藤太郎、六代目中村東蔵。東京都出身。 元日本医

  • 6980 田中絹代墓(鎌倉市山ノ内409・円覚寺塔頭松嶺院)

    田中 絹代(たなか きぬよ、1909年11月29日 - 1977年3月21日[1])は、日本の女優、映画監督。本名同じ。旧芸名は田中 錦華(たなか きんか)。 黎明期から日本映画界を支えた大スターであり、日本映画史を代表する大女優の一人。小津安二郎、五所平之助、溝口健二、成瀬巳喜男、清水宏、木下惠介ら大物監督に重用され、約260本の作品に出演した。14歳で松竹に入社し、清純派スターとして人気を得て

  • 6976 佐田啓二墓(鎌倉市山ノ内409・円覚寺塔頭松嶺院)

    佐田 啓二(さだ けいじ、本名・中井寛一、1926年12月9日 - 1964年8月17日)は、1940年代後半から1960年代にかけて活躍した日本の俳優。 俳優の中井貴一、女優・エッセイストの中井貴恵は実子。 来歴・人物 京都市下京区の商家に生まれる。京都市立第二商業学校(現・京都市立北野中学校)卒業後、早稲田大学政治経済学部に入学。学生時代、松竹の人気俳優佐野周二の家に下宿していた縁で、1946

  • 6593 薄田研二墓(品川区南品川1-1-1・妙蓮寺)

    薄田 研二(すすきだ けんじ、1898年9月14日 ‐ 1972年5月26日)は、日本の俳優。本名は高山 徳右衛門(幼名:徳太郎)。 築地小劇場研究生からキャリアをスタートさせ、同劇場分裂後に新築地劇団の結成に参加、同劇団の中核的存在として活躍。その後も苦楽座、劇団中芸、東京芸術座などの劇団を設立し、新劇運動の中心的指導者となった。晩年は後進の教育にもあたっている。戦中・戦後は映画にも多く出演して

  • 6582 松居須磨子墓(新宿区弁天町100・多聞寺)

    松井 須磨子(まつい すまこ、1886年(明治19年)3月8日(戸籍上:11月1日)[1] - 1919年(大正8年)1月5日)は、日本の新劇女優。本名、小林正子(こばやしまさこ)。 来歴 長野県埴科郡清野村(現・長野市松代町清野)に士族小林藤太(旧松代藩士)の五女(九人兄妹の末っ子)として生まれる。数え年6歳の時、上田町の長谷川家の養女となり、1900年上田の尋常小学校を卒業する。しかし養父が亡

  • 6561 鶴田浩二墓(鎌倉市十二所512・鎌倉霊園)

    鶴田 浩二(つるた こうじ、1924年(大正13年)12月6日 - 1987年(昭和62年)6月16日)は、日本の俳優、歌手。本名は小野 榮一(おの えいいち)。兵庫県西宮市出生。静岡県浜松市出身。昭和を代表する映画スターとして数多くの映画やドラマに主演した。また歌手としても多くのヒットを出し、独特の歌唱法でも有名だった。 人物 戦後派として登場し、甘さと翳りを兼ね備えた抜群の風貌で一躍トップスタ

  • 6553 石田一松墓(台東区谷中7-10-4・安立院)

    石田 一松(いしだ いちまつ、本名同じ、1902年11月18日 - 1956年1月11日)は、広島県安芸郡出身の演歌師、演歌歌手。作詞家、作曲家[1]。 お笑いタレントで、吉本興業(東京吉本)所属。戦前の一時期、石田一涙と藝名を名乗る。戦後は並行して政治家、衆議院議員を務め、タレント議員・第一号とされる。法政大学卒業。身長五尺四寸、体重十七貫。(自著記載より) なおなぎら健壱は彼の孫弟子にあたる[

  • 6550 大宮敏充墓(新宿区河田町2-5・月桂寺)

    大宮 敏充(おおみや としみつ、1913年4月13日 - 1976年12月23日)は昭和時代に浅草を中心に活躍したコメディアンである。本名は、恒川 登志夫。大宮デン助はあるいは単にデン助という愛称で広く知られている人物。彼が演じるキャラクター「デン助」は戦後浅草喜劇界やテレビで一世を風靡した。脚本を執筆する際の、ペンネームは言問 三平。 略歴 東京都浅草生まれ。第二東京市立中学校(現・東京都立上野

  • 6539 渥美 清墓(新宿区市ヶ谷富久町9-23・源慶寺)

    渥美 清(あつみ きよし、1928年(昭和3年)3月10日 - 1996年(平成8年)8月4日)は、日本のコメディアン、俳優。本名、田所 康雄(たどころ やすお)。愛称は、寅さん、風天(俳号)。身長173cm、体重70kg[1]。 生涯 幼少期 1928年(昭和3年)3月10日に、東京府東京市下谷区車坂町(現・東京都台東区上野七丁目)で地方新聞の新聞記者をしていた父友次郎と、元小学校教諭で内職の封

  • 6486 天知 茂墓(世田谷区野沢3-38-1・龍雲寺)

    天知 茂(あまち しげる、1931年〈昭和6年〉3月4日 - 1985年〈昭和60年〉7月27日)は、日本の俳優・歌手。愛知県名古屋市出身。東邦商業学校卒業。本名は臼井 登(うすい のぼる)。別名はペンネームの宇寿木 純と臼井 暢浩。芸名はファンである中日ドラゴンズの天知俊一監督と杉下茂投手が由来。 来歴 旗本・水野十郎左衛門の子孫で、高校卒業後、1949年(昭和24年)に松竹へ。大部屋俳優以下の

  • 6474 中村吉蔵墓(世田谷区豪徳寺2-24-7・豪徳寺)

    中村 吉蔵(なかむら きちぞう、1877年5月15日 - 1941年12月24日)は、日本の劇作家、演劇研究家。 島根県生まれ。早稲田大学英文科卒。在学中から「無花果」など多くの小説を発表、のち欧米に留学し、イプセンの影響を受け、春雨と号して新社会劇団を主宰ののち、藝術座の島村抱月に招かれて戯曲「剃刀」などを書く。1920年「井伊大老の死」を歌舞伎座で上演。歴史劇、伝記劇を書くようになる。同年イプ

  • 6464 高倉 健墓(神奈川県鎌倉市十二所512・鎌倉霊園)

    ※ こちらに高倉健さんのお骨は納骨されていないようです。 高倉 健[注釈 1](たかくら けん、1931年(昭和6年)2月16日 - 2014年(平成26年)11月10日)は、日本の俳優・歌手。愛称、健さん。福岡県中間市出身、身長180cm、体重71kg、血液型はB型[2]。高倉プロモーション所属。日本を代表する映画スターで、半世紀以上にわたり活躍してきた。代表作は映画『日本侠客伝シリーズ』、『網

  • 6453 大原麗子墓(世田谷区北烏山5-15-1・妙寿寺)

    大原 麗子(おおはら れいこ、1946年11月13日 - 2009年8月3日[3][2])は、日本の女優。本名は飯塚 麗子(いいづか れいこ)[1]。 来歴 老舗和菓子屋の経営者を父として、東京都文京区で誕生。潤徳女子中学校、北豊島高等学校卒業[2]。 六本木野獣会に属し、大野伴睦の長男で東京放映の社長である大野直にスカウトされ[4]、芸能界入り。中尾ミエ主演の東宝映画『夢で逢いましょ』(1962

  • 6310 中尾 彬墓(谷中6-2-6・長久院)

    ※ 此方の御墓は生前墓です。 中尾 彬 ( なかお - あきら、1942年 8月 11日[1] - ) は、日本の俳優・タレント。千葉県木更津市出身[1]。古舘プロジェクト所属。 前妻は茅島成美、現在の妻は池波志乃。義父は落語家 10代目・金原亭馬生、義祖父は 5代目・古今亭志ん生、義叔父は 3代目・古今亭志ん朝。『暴れん坊将軍』の初代・徳川宗春役で知られている。身長 175cm、血液型 O型。

  • 5988 浅利鶴雄墓(台東区・谷中霊園)

    浅利 鶴雄(あさり つるお、1899年10月29日 - 1980年4月15日)は、東京都出身の演劇プロデューサー、俳優である。 家族 劇団四季代表の浅利慶太の父。二代目市川左團次の甥(母の妹の夫)。親戚に旧:東京田辺製薬元会長の田辺元三郎がいる。 来歴 明治中学を経て、大正12年(1923年)慶応義塾大学経済学部卒業。 大正13年(1924年)、小山内薫、友田恭助、和田精、汐見洋、土方与志とともに

  • 5784 東 八郎墓(某)

    東MAXが、東 八郎さんのお墓は" 寛永寺"と言ってましたが・・・ どうやらネタのようです。 東 八郎(あずま はちろう、本名:飛田 義一(ひだ ぎいち)、1936年5月31日 - 1988年7月6日)は、日本のコメディアン、タレント。昭和を代表するコメディアンの一人。妻との間に3男2女があり、次男はお笑いコンビ・Take2の東貴博、三男はタレントの東朋宏。 来歴・人物 東京府東京市浅草区 (現・

  • 5769 初代・村田正雄墓(谷中5-2-11・興禅寺)

    初代 村田 正雄(しょだい むらた まさお、天保暦 明治4年2月4日 / グレゴリオ暦 1871年3月25日 - 1925年6月7日[1])は、日本の俳優である。本名は村田 又彦(むらた またひこ)、俳号は村田 芳泉(むらた ほうせん)。 人物・来歴 グレゴリオ暦 1871年3月25日(天保暦 明治4年2月4日)、東京府東京市(現在の東京都)に「村田又彦」として生まれる[1]。 横浜貿易商組合立横

  • 5690 小川晃廣墓(鎌倉市十二所512・鎌倉霊園)

    日本の俳優。 女優の淡路恵子の三男。 1990年バイク事故死亡。 関連情報 http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/754.html 715 萬屋錦之介墓(鎌倉市十二所512・鎌倉霊園)

  • 5579 小川虎之助墓(台東区・谷中霊園)

    小川 虎之助(おがわ とらのすけ、1897年12月1日 - 1967年12月29日)は、日本の俳優。本名は小川 寅次。 来歴・人物 1897年(明治30年)12月1日、東京市浅草区蔵前に生まれる[1]。5歳のときに新派の舞台で初舞台を踏み、弟の小太郎と共に新派の名子役といわれる[1][2]。のちに新国劇に入団。沢田正二郎に芸の細かさを認められ、『三等水兵の日記』『髪』などでのコミックな役や、『国定

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