• 3298 東儀秀治墓(豊島区南池袋4丁目・雑司ヶ谷霊園)

    明治二年 ( 1869 ) - 大正十四年 ( 1925 )。 明治・大正の俳優。 関連情報 http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/1283.html 1185 東儀鉄笛墓(豊島区南池袋4丁目・雑司が谷霊園) http://drunkenjohnny.muragon.com/entry/3550.html 3299 東儀秀芳墓(豊島区南池袋4丁目・雑司ヶ谷霊

  • 3252 千田是也(伊藤圀夫)墓(豊島区駒込5丁目・染井霊園)

    千田 是也(せんだ これや、1904年7月15日 - 1994年12月21日)は、日本の演出家、俳優。東京市出身、建築家・伊藤為吉の五男。本名は伊藤 圀夫。 略歴 東京府立第一中学校(現・東京都立日比谷高等学校)ドイツ語科在学中から土方与志の舞台美術研究所に通い始める。1922年(大正11年)に府立一中卒業後、早大独文科聴講生を中退して演劇の道に入る。関東大震災後の1924年、土方与志、小山内薫ら

  • 3139 ジャコモ・プッチーニ肖像(長崎県長崎市南山手町8-1)

    正面円形の肖像は歌劇"蝶々夫人"の作曲家ジャコモ・プッチーニである。 イタリアの大理石で造られ、イタリア大使館から寄贈されたもの。 (案内板より) ● ジャコモ・プッチーニ ジャコモ・アントニオ・ドメニコ・ミケーレ・セコンド・マリア・プッチーニ(伊: Giacomo Antonio Domenico Michele Secondo Maria Puccini、1858年12月22日 - 1924年

  • 3138 三浦 環の像(長崎県長崎市南山手町8-1)

    日本が生んだ世界的プリマドンナ三浦 環は、イタリアの作曲家ジャコモ・プッチーニが長崎を主題としたオペラ マダムバタフライ ( 蝶々夫人 ) を 30年の長きにわたり世界各国で歌い続け美しい名曲を通じて、広く海外に日本婦人の愛の美徳を紹介した その功績をたたえるためプッチーニの肖像とともに、ゆかり深きこの丘に三浦 環の立像を建立して永く後世に伝えるものである 1963年 5月 26日 三浦 環顕彰会

  • 3135 石島房太郎墓(谷中1-6-27・金嶺寺)

    石島 房太郎(いしじま ふさたろう、1903年1月4日 - 1981年12月1日)は、日本の俳優。本名は同じ。 経歴・人物 山口県下関市出身。旧制豊浦中学校(現山口県立豊浦高等学校)を中退。 初めは工芸の仕事をしていたが、舞台俳優を目指して1924年に松竹に入り、後に前進座に移る。1935年に『街の入墨者』で映画デビューする。 1937年、石島と同じく前進座に所属していた原ひさ子と結婚した。 19

  • 3099 我が師我が母 女澤正之墓(豊島区巣鴨5丁目・すがも平和霊園)

    ※ この御墓は「沢竜二さんのお母様」の御墓です。 大正末頃、旅芝居一座で、女澤正を名乗る一座が続出してしまい「澤田正二郎」が各一座を調査して、最も優秀な一人に『女澤正を名乗る』事を許した。 そして名乗る事を許されたのが、沢竜二の母である坂東政之助こと、酒井マサ子だった。 ● 沢竜二 沢 竜二(さわ りゅうじ、1935年11月19日 - )は、福岡県福岡市生まれ。大衆演劇を中心に活動している俳優。血

  • 2992 青江三奈墓(鎌倉市十二所512・鎌倉霊園)

    青江 三奈(あおえ みな、1941年5月7日 - 2000年7月2日)は、日本の歌手(演歌・歌謡曲など)。本名は井原 静子(いはら しずこ)。芸能活動におけるプロフィールでは生年月日を1945年7月7日としていた。東京都江東区砂町出身。成徳学園高等部卒業。 略歴 「青江三奈」の芸名は、作詞家・川内康範が『週刊新潮』で連載していた小説「恍惚」のヒロインの歌手の名前に由来する。 高校在学時から東京・銀

  • 2761 北野(ビートたけし)家墓(某)

    北野菊次郎さん、さきさんの御名前が有りました。 にほんブログ村 ↑のバナーを「ポチッ」押して応援して頂くと管理人の励みになります。

  • 2714 映画人ノ墓碑(墨田区隅田5-31・多聞寺内)

    墓碑の由来 故坂斎小一郎(共同映画株式会社創立者)氏の遺族ハツ夫人が墓地資金を提供し、日本映画の民主的発展のためにつくされた映画の仲間の生涯を顕彰し、追悼する共同の墓碑建立に役立ててほしいとの申し出がありました。 その意志を尊重し、映画を愛する人々と団体によって本会が組織され、この墓碑が建立されました。 1992年4月29日 映画を愛し 平和と民主主義を支えた人々の墓碑の会 (碑文より) にほんブ

  • 2712 三益愛子墓(豊島区南池袋4丁目・雑司が谷霊園)

    三益 愛子(みます あいこ、1910年(明治43年)11月2日 - 1982年(昭和57年)1月18日)は、戦後母物映画で一世を風靡した日本の女優のひとり。 本名:川口 愛子(かわぐち・あいこ)、旧姓:乾(いぬい)。大阪府大阪市南区南炭屋町(現・中央区)の生まれ。直木賞作家の川口松太郎は夫にあたる。川口との間には三男一女があり、俳優の川口浩は長男にあたる。 宝塚歌劇団24期生の紀川瑠璃子は実妹にあ

  • 2607 原ひさ子墓(谷中1-6-27・金嶺寺)

    原 ひさ子(はら ひさこ、1909年(明治42年)8月6日[2] - 2005年(平成17年)12月4日[1][2])は、日本の女優。本名は石島 久(いしじま ひさ)。旧芸名に原緋紗子、原緋沙子がある。 略歴 1909年(明治42年)、静岡県静岡市葵区に四人兄妹の末っ子として生まれた。父は銀行員だったが、6歳の時に亡くなっている。 不二高等女学校(現:静岡雙葉高等学校)を卒業[1]すると同時に上京

  • 2548 井手蕉雨墓(台東区谷中5-4-7・全生庵)

    井手蕉雨(いで - しょうう) ?~昭和 8年( ? - 1933) 劇作家。 作品:「黄金大王」、「心中二枚絵草」など。 著書:「松の齢」。 作品:詩「躍進日本大博覧会」。 戒名「慈眼院慧命蕉雨居士」。 にほんブログ村 ↑のバナーを「ポチッ」押して応援して頂くと管理人の励みになります。

  • 2531 音丸墓(品川区南品川2-8-23・天妙国寺)

    音丸(おとまる、1906年(明治39年)12月8日 - 1976年(昭和51年)1月18日)は、大正期、昭和時代に活躍した日本の歌手。本名は永井 満津子。東京市麻布(現在の東京都港区)箪笥町生まれ。 経歴 1906年(明治39年)12月8日、老舗の履物屋の一人娘として生まれる。常磐津の名取りだった祖母は彼女が6歳になった6月6日から常磐津と舞踊を習わせた。13歳の時に美声を買われて橘流筑前琵琶を修

  • 2453 藤沢浅二郎墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)

    藤澤 浅二郎(藤沢-、ふじさわ あさじろう、天保暦 慶応2年4月25日 / グレゴリオ暦 1866年6月8日 - 1917年3月3日[1])は、日本の俳優、劇作家、ジャーナリストである[1]。 人物・来歴 1866年6月8日(旧暦 慶応2年4月25日)、京都府に生まれる[1]。 長じて、京都市河原町通三條大黒町(現在の同市中京区大黒町)にあった平民新聞社で雑誌『活眼』の記者となり[1]、1888年

  • 2347 宮田輝墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)

    宮田 輝(みやた てる、1921年12月25日 - 1990年7月15日)は、日本のアナウンサー、参議院議員(3期)。本名、宮田 輝(みやた あきら)。 東京都足立区出身。血液型B型。明治大学卒業。1942年にNHKに入局。NHKにおいて、高橋圭三や青木一雄らと同じく、「芸能番組向けアナウンサー」の先鞭を付けた人物の一人に数えられる。1974年にNHKを退職後は参議院議員(3期)を務めながらフリー

  • 1924 青山杉作墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)

    青山 杉作(あおやま すぎさく、1889年7月22日 - 1956年12月26日)は、日本の俳優、演出家、映画監督である。本名は青山 達美(あおやま たつみ)。 新劇の俳優・演出家として活躍し、踏路社を経て築地小劇場に参加後、千田是也らと劇団俳優座を結成。松竹少女歌劇団等で俳優の育成にも尽力した。また、帰山教正の映画芸術協会に参加するなど、映画にも数多く出演している。 来歴・人物 1889年(明治

  • 1835 高橋丈雄墓(松山市御幸1-281・長建寺)

    この記事にて、松山特集は終了となります。 みんな雑草      みんな花         みんな雲                丈雄 高橋丈雄 劇作家 ( 1906 - 1986 ) 代表作  ・明治零年 ( 文部大臣賞受賞 ) ・死なす ・祈りと怒り ・鉄砲紀 ・鳥と詩人 ・人間釈尊 ラジオドラマなど多数 劇団かもめ座結成 文芸誌 アミーゴ創刊 愛媛の演劇文学振興に功績を残す。 (石碑文より)

  • 1549 並木路子墓(墨田区本所2-12-3・華厳寺)

    並木 路子(なみき みちこ、1921年(大正10年)9月30日 - 2001年(平成13年)4月7日)は、日本の歌手。本名は南郷 庸子(なんごう つねこ(旧姓:小林))。東京浅草出身、台湾育ち。 松竹歌劇団の娘役スターとして、戦前から戦中戦後と活躍。戦後の混乱期に主演した松竹映画「そよかぜ」の挿入歌として歌った「リンゴの唄」が爆発的なヒットとなり、日本の代表的歌手と評されている。「リンゴの唄」は、

  • 1516 太地喜和子墓(豊島区駒込7-4-14・勝林寺)

    太地 喜和子(たいち きわこ、1943年12月2日 - 1992年10月13日)は、日本の女優。本名は太地 喜和子(たいじ きわこ)[1]。別名は志村 妙子(しむら たえこ)。東京都中野区出身[2][3][4]。 来歴・人物 姓は和歌山県東牟婁郡太地町もあるが、父親は同県新宮市の出身[5][4]。太地は自身の出生について「自分はさる事情から、生後すぐ実母との別離を余儀なくされ、養父母の元に引き取ら

  • 1377 春日八郎像(JR只見線 会津坂下駅側)

    春日八郎17回忌追悼事業で作成されたようです。 近くに、『別れの一本杉碑』と『春日八郎おもいで館』も有りました。 ● 春日八郎 春日 八郎(かすが はちろう、本名:渡部 実 (わたべ みのる)、1924年10月9日 - 1991年10月22日)は、日本の演歌歌手。福島県河沼郡会津坂下町塔寺出身。『赤いランプの終列車』『お富さん』『別れの一本杉』などが有名である。 人物 歌手となる 浅草でクラシック

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