• 5315 海老一染太郎墓(新宿区市ケ谷山伏町1・常敬寺)

    海老一染之助・染太郎(えびいちそめのすけ・そめたろう)は、実の兄弟による伝統演芸「太神楽(だいかぐら)」の曲芸師コンビ。父親は落語家の三遊亭圓駒。 「お染ブラザーズ」の愛称で「おめでとうございま〜す」と言いながら和傘の上で毬を回す芸が有名で、正月のテレビ番組には欠かせない出演者だったが、兄の染太郎が2002年に亡くなり、その後は弟の染之助がピンで活動している。 海老一 染太郎(えびいち そめたろう

  • 5174 木島則夫墓(台東区谷中1-6-1・一乗寺)

    木島 則夫(きじま のりお、1925年5月10日 - 1990年4月13日)は、日本の司会者・アナウンサー。民社党参議院議員。 来歴・人物 東京都出身。旧制横須賀中学(現神奈川県立横須賀高等学校)、明治学院大学文学部英文科を卒業。1948年に、読売新聞社の採用試験を受け不合格となったが、NHKのアナウンサー採用試験で合格し入局、クイズ番組「危険信号」「生活の知恵」などの司会を担当した。1964年3

  • 5030 伊志井寛墓(台東区谷中4-2-5・瑞輪寺)

    伊志井 寛(いしい かん、本名・石井淸一、1901年2月7日 - 1972年4月29日)は、大正・昭和期の俳優。 来歴・人物 東京市に、落語家4代目三升亭小勝と竹本清之助(富沢つね)の息子として生まれるが、5歳で父と死別。17歳まで銀座へ奉公に出ていたが、1919年、大阪文楽座の竹本津太夫の門に入り、竹本津駒太夫と名乗り、舞台に立つ。 1922年、松竹蒲田撮影所に入社。野村芳亭監督の『女と海賊』な

  • 5004 伊藤道郎墓(豊島区駒込5-5-1・染井霊園)

    伊藤 道郎(いとう みちお、1893年4月13日 - 1961年11月3日) は、日本のダンサー、振付師。 東京市生まれ。伊藤為吉の長男。1912年に帝国劇場歌劇部に入団し『釈迦』で初舞台。同年11月にオペラ歌手を志し渡欧。1913年にドイツドレスデン郊外のリトミック考案者エミール・ジャック=ダルクローズの舞踊学校に入団。1914年に第一次世界大戦の影響でイギリスロンドンに渡る。1916年にはアイ

  • 4995 土方与志墓(豊島区駒込5-5-1・染井霊園)

    土方 与志(ひじかた よし、1898年(明治31年)4月16日 - 1959年(昭和34年)6月4日)は日本の演出家である。伯爵。築地小劇場を拠点に新劇運動を興した。東京生まれ。本名は久敬(ひさよし)。 来歴 祖父久元(1833-1918年)は土佐藩出身で、維新後は宮内大臣・宮中顧問官・枢密顧問官・國學院大學学長などを務めて伯爵を授けられた。父久明は陸軍大尉だったが、与志が生まれて間もない1898

  • 4916 水森かおり「鳥取砂丘」記念植樹(鳥取県鳥取市福部町湯山2083・砂丘センター)

    歌手の水森かおりさんの代表曲「鳥取砂丘」。 記念植樹のキョウチクトウです。

  • 4915 萩野昭一郎・恵津子墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)

    萩野昭一郎・萩野恵津子(はぎの - しょういちろう・えつこ)      昭和7年~昭和44年2月27日(1932 - 1969) ラテンダンシングチーム「ダークスターズ」主宰。 夫妻は、幼少の頃より芸道に励む。 人形コミックダンスを試み、映画・テレビに出演。 広く海外にも招聘される。 札幌のナイトスポット「ローマ」に出演中、突然ステージ裏から出火、夫妻と歌手・バンドマンが焼死。不慮の客死となった。

  • 4890 渡瀬淳子墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)

    渡瀬淳子 (わたせ - じゅんこ)      明治27年12月15日~昭和5年1月2日(1894 - 1930)・・・1896説あり 芸術座女優。 大阪松竹養成所の2期生。 島村抱月の芸術座に入団。のちに沢田正二郎らとともに脱退。 大正2年(1913)沢田正二郎と結婚し、正二郎の親友ら11人で「新国劇」を結成。女優として活躍。 大正13年(1924)離婚。 その後は、新劇で活躍。没年間際には、銀座

  • 4885 杉山 誠墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)

    杉山誠(すぎやま - まこと)      明治40年5月1日~昭和43年12月30日(1907 - 1968) 演劇評論家。 杉山栄の養子。岐阜県出身。 東京大学文学部卒業。 昭和のはじめ新関良三に師事し、演劇史を研究。 同人誌「劇と評論」に演劇批評を執筆。 日本大学芸術科講師。 陸軍中尉として支那事変に従軍。 尾上菊五郎劇団文芸部長。 昭和22年(1947)俳優座入団。 のち付属養成所主事として

  • 4853 影万里江墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)

    影 万里江(かげ まりえ (本名:鹿毛マリエ)1935年7月19日 - 1981年2月28日)は日本の女優。劇団四季に所属していた。 来歴 東京出身。 富山県立泊高等学校卒業後、NHK富山放送劇団員、松竹大船を経て1957年に劇団四季へ入団。『オンディーヌ』のオンディーヌ役や『ハムレット』のオフィリア役などで人気を博し、同劇団の主演女優として活動する。のちに劇団四季の主宰者・浅利慶太の二度目の妻と

  • 4788 河内桃子墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)

    河内 桃子(こうち ももこ、本名:久松 桃子、旧姓:大河内、1932年3月7日 - 1998年11月5日)は、日本の女優。日本女子大学附属高等学校卒業。東京府東京市(現在の東京都台東区谷中)出身。血液型はO型。俳優座所属。女優としては久我美子と並ぶ名家出身で、祖父は理研グループ総帥で子爵であった大河内正敏、父は正敏の次男で画家であった大河内信敬。夫は今治松平家末裔でテレビプロデューサーの久松定隆。

  • 4752 三浦環墓(台東区上野桜木1-16-15・寛永寺)

    三浦 環(みうら たまき、1884年(明治17年)2月22日 - 1946年(昭和21年)5月26日)は、日本で初めて国際的な名声をつかんだオペラ歌手。十八番であった、プッチーニの『蝶々夫人』の「蝶々さん」と重ね合わされて、国際的に有名だった。元の名は柴田環(しばた たまき)、次いで藤井環(ふじい たまき)といった。 生涯 生い立ち 1884年(明治17年)2月22日、東京府東京市京橋区(現在の東

  • 4751 小林伸江墓(台東区上野桜木1-16-15・寛永寺)

    小林 千代子(こばやし ちよこ、1910年7月30日 - 1976年11月25日[1])は、日本の戦前期に活動した流行歌歌手・声楽家である。北海道小樽市出身。別名、金色仮面・小林伸江。 経歴 東京府立第七高等女学校卒業後、東洋音楽学校(現・東京音楽大学)に入学。卒業後、新宿ムウランルウジュで初舞台を踏む。 その後、松竹楽劇部(のちの松竹歌劇団)に入部、水の江滝子やオリエ津阪の相手役を務め、1936

  • 4746 林成年墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)

    林 成年(はやし なりとし、1931年9月14日 - 2008年2月6日)は、日本の俳優。京都府京都市出身。慶應義塾大学卒業。本名は長谷川 寿(はせがわ ひさし)。父は俳優の長谷川一夫。女優の長谷川季子、長谷川稀世は妹。妻は上田吉二郎の養女。 来歴 1937年、父・一夫主演の映画『土屋主悦』で俳優デビュー。大学卒業後は大映に入社し、『新・平家物語』、『赤胴鈴之助』シリーズなど数多くの映画に出演。大

  • 4690 大矢市次郎墓(墨田区東向島3-23-17・蓮華寺)

    となりに有る北条秀司撰文の墓誌に次のように記されています。 「明治27年2月11日、東京浅草に生まれ、昭和47年5月28日、78歳にて歿す。 全生涯を新派演劇に捧げ芸格高厳、気骨稜々、明治、大正、昭和を通じて最も偉秀なる大名優であった。 その示した演技のすべては後進にとって永遠の経典である。 俳優。1894年2月浅草生まれ。 13歳のとき、藤井六輔に弟子入り。 「藤川宗六」と名乗るが、のちに本名の

  • 4655 川口 浩墓(豊島区南池袋4丁目・雑司が谷霊園)

    川口 浩(かわぐち ひろし、1936年(昭和11年)8月22日 - 1987年(昭和62年)11月17日)は、日本の映画俳優・タレント・探検家。作家で大映専務の川口松太郎、女優の三益愛子夫妻の長男。女優の野添ひとみの夫、元俳優の川口恒[1]、川口厚、元女優の川口晶(現在は陶芸家の国重晶)の長兄。元タカラジェンヌで宝塚歌劇団24期生の紀川瑠璃子は母方の叔母にあたる。 来歴・人物 東京府(現・東京都)

  • 4471 夏目雅子墓(防府市桑山1丁目5-10・大楽寺)

    夏目 雅子(なつめ まさこ、1957年12月17日 - 1985年9月11日)は、日本の女優である。本名、西山 雅子(にしやま まさこ)。旧姓、小達(おだて)。其田事務所などに所属していた。 来歴・人物 1957年12月17日、東京都港区旧高樹町の日赤病院にて、六本木2丁目の輸入雑貨店・亀甲屋の子として生まれる[1]。父親は貿易商[2]。亀甲屋は実際は荒物、金物、石鹸、亀の子たわしなどを扱う日用品

  • 4373 鷺舞(島根県津和野町)

    鷺 舞 ( 国指定重要無形民俗文化財 ) 古式豊かな鷺舞は神事舞として、京都より山口を経過して天文 11年 ( 1542年 ) 津和野城主・吉見十一代大蔵正頼が五穀豊穣、災厄防除のため移したことに起源する。 その後、坂崎出羽守の時代に中絶したが、二代藩主・亀井茲政に至り、寛永 20年 ( 1643年 ) 京都より伝授され復興し、弥栄神社の例祭に供奉、今日に至る。 ふるさとの川整備事業にあわせてこの

  • 4271 河島英五墓(奈良県奈良市十輪院町27・十輪院)

    墓石の裏側には、河島英五さんの手帳に書かれていた 奥さんへのメッセージが刻されています。 ふりかえると いくつもの幸せ ふりかえると いくつかの哀しみ いそがしさを いいわけにして あなたとゆっくり話すこともなかったが あなたがいてくれたから がんばってこれたんだ あなたを支えにして あなたに ほめられたくて・・・・ 英五 英五 1952.4.23 〜 2001.4.16 ● 河島英五 河島 英五

  • 4161 島倉千代子墓(品川区北品川4-11-8・東海寺大山墓地)

    島倉 千代子(しまくら ちよこ、1938年(昭和13年)3月30日 - 2013年(平成25年)11月8日[2])は、日本の演歌・歌謡曲歌手である。出身は東京府東京市(現:東京都)品川区北品川[3]、学歴は日本音楽高等学校卒業。愛称は「お千代さん」。 略歴 デビュー以前 1938年、東京市品川区に警察官の父・島倉壽雄(としお)、母・ナカの二男四女の四女として生まれる。 1945年、7歳、長野松本市

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