• お手伝いさん、始動!!

    ビルマからの里帰りの疲れは無いのだろうか。 早速、大車輪で仕事を始めた。 まず、溜まって居た私の洗濯物から、庭掃除、妻の天ぷら調理の手伝い。 朝早くから休む事無く働いて居る。 私が風呂に入ろうと思ったら、風呂掃除までして居た。 そして、私が風呂から上がったら、天ぷら素麺の配膳を彼女に依頼する。 随分こき使って居る様に思われるが、誤解しないで欲しい。 全て彼女は自発的にやって居るのだ。 私の配膳命令

  • 「お手伝いさん、お帰り」

    目覚めるとお手伝いさんが帰って居た。 外はすっかり暗くなって居る。 風呂上りにキッチンを覗くと、ご飯を食べて居た。 「お帰り」と日本語で言った。 「アライ、ピー」(何ですか?)と答えた。 私は何も言わなかった。 すると彼女は、私がわざと日本語を言ったのを察して笑った。 意味が分かったのかどうかは分からないが…。 これで何時もの三人になった。 何時もの暮らしになった。 犬は何事も無かった様に寝そべっ

  • お手伝いさんの里帰り

    昨日は、お手伝いさんが里帰り。 ビルマとの国境の町メーサイまでは、ワンボックス・カーの乗り合いバス。 80キロが40バーツ(約130円)。 乗車定員は普通のバスより少ないのに、ほぼ同じ値段。 30分に1本位出ている。 随分便利になったものだ。 バスターミナルまで送って行ったが、随分沢山の荷物を持って帰る。 中には黒い大きなゴミ箱まで。 その中にも荷物を入れて居る。 ビルマは物が無いのだ。 有っても

  • 犬を飼うと言う事

    「捨てた日も、散歩と思って喜んで出かけて行った。」 FACEBOOKでこんな投稿を目にした。 私は涙が止まらなかった。 以前、日本に住んで居た頃、愛犬が毎晩鳴いて、近所迷惑になるから、 我慢出来ずに、妻にこう言った。「明日、保健所に連れて行くから!」 妻はただ泣くだけだった。 結局、私の怒りは翌日収まり、飼い続ける事になった。 今から思えば随分酷い話だった。 今はタイに連れて来て老衰で死に、庭に眠

  • 父の夢

    昨日は父の夢を見た。 父の夢を見るのは久し振りだ。 私が高3の時に亡くなって以来、父の夢は一度か二度位しか見て無い。 余りに早く亡くなったので、父の事を想うのは悔しいので、 自ら父の記憶を封印して来たのでは無いかと思って居る。 それが母も亡くなり3年経って居るのに、何故解けないのか不思議なのだが、 いや昨日見たから、やっと解けたと言う事だろうか。 夢では寝たきりで現れて来た。 実際の父は、心筋梗塞

  • 昨日の夢

    昨日は久し振りに母の夢を見た。 寝言を言ったと気付くのは5年か10年に一度位だが、 昨日は寝言を言って目が覚めた。 「早くしてよ!」と母に言った拍子に目が覚めた。 母が一人で立つ事が出来ないので、顔を洗う為に私が後ろから支えて居る夢なのだが、 認知症の母が他の人とぺちゃくちゃ喋って中々洗わないので、辛抱し切れずそう言った。 夢の始まりは、母が寒いと言ってストーブに火を点けるのだが、 どう言う訳かス

  • 妻のこと

    昨日も妻はチェンマイに遊びに行った。 どうも毎日が退屈な様だ。 日本に居る時は、毎日友達と会ってお喋りをしたり、 楽しく過ごしていた様に思ったのだが、 タイに住んでからは、時々は友達と飲み会などを楽しんで居る様だが、 日本に居る時ほどでは無いのかも。 日本に居る時は、同郷のタイ人と言う、異国ではかけがえの無い母国人だから、 同じ友達と言っても、その親密感はひとしおだっただろう。 そう言う友達との交

  • 姉のこと

    カレー鯖は昔食べた事を思い出し、妻に頼んだものだが、 何処で食べたのだろうか。 母はそう言う料理はしない人だった。 薄味の京料理。 父が血圧が高かったので、塩分控え目だった。 下の姉の家によく遊びに行ったが、姉は手作りの餃子とか、 焼き肉とか、若者の料理が多かった。 多分姉の家で食べたのではないだろうか。 姉の家は京都市内の太秦と言う所に有って、学生時代によく遊びに行った。 幼い姪や甥を遊んでやる

  • そもそも結婚とは(つづき)

    前回、そもそも結婚とは、いや、夫婦とは何だろうか と言う事について、社会学的に考えて来ましたが、 今回は、心の問題として考えて見たいと思います。 キリスト教では、誓いや契約と言う言葉で表されて居ますが、 そもそも一緒に居たいと言う願望は、異性としての魅力とか、 人間的な魅力とか人様々でしょう。 唯、異性としての魅力は歳と共に衰えるのでないでしょうか。 人間的な魅力も継続されて居ればいいのですが、

  • そもそも結婚とは

    そもそも結婚とは、いや、夫婦とは何だろうか。 私が今後生き続けて往く上で、連れ合い無しの生活と言うのは考えられないし、 今迄の人生に於いても、彼女と生きて来た日々を思うと、 独身だった時代と比べて、格段の違いが有ったと思わずには居られない。 しかるに此のチェンライに於いては、独身の人も結構多い。 私は偶々だったのか、必然だったのかも含めて、 此の命題については、いずれじっくり考えたいと思って居た。

  • 女中さんの里帰り

    昨日は、久し振りに女中さんが里帰りをした。 娘は学校が始まるから、4日後に300キロ奥地のタウンジーに帰ると言う。 そして、女中さんが旦那と喧嘩したと言う。 確か前は、娘は別れた旦那とビルマ側の国境の町、 タチレクの近郊に住んで居ると聞いて居たが、 どうやら学校の休みの時だけ、別れた旦那の家に来るらしい。 それと、確か旦那とは別れたと聞いて居たが、さも夫婦喧嘩した様に泣いて居た。 只でさえタイ語が

  • 妻の想い

    妻の日本に対する想いと言うのは、どう言うものだろう。 水知らずの外人と結婚して、 それまで、日本と言う国に対する憧れと言うものは有ったかも知れないが。 期待と不安に胸を膨らませて、日本に来たのだ。 先進国と言うイメージは、彼女の期待通りだったかも知れない。 そこで過ごした10年間は、彼女にとって素晴らしかったのか、辛かったのか。 私は、彼女にとって満足のいく10年間だったのではないかと思って居る。

  • 友人宅に母犬が戻ってしまった。

    実は、妻が昨日実家に帰る際、 慣れない母犬(チョーク)を我が家に置いておけないと言う事で、 一緒に連れて行った。 そして、今日戻って来ると、「友人がチョークを連れ戻しに来た。」と。 8年振りの我が家には、やはり慣れるには時間が掛かったと言う事だ。 いや、友人が淋しかったのではないか。 8年も一緒に居ると、家族同然になるのだ。 何を思って妻が連れ帰ったのかは聞いて無いが、 多分三匹も預けて置くのは迷

  • 母犬の里帰り

    2010年の2月、我が家で4匹の仔犬を生んだ母親が戻って来ました。 もう、8年振りになるでしょうか。 近所の人を噛んだので、田舎の友人宅に預けて居たのです。 他の仔犬も人を噛んだので、一緒に。 一昨年の8月、末っ子が帰って来て、今日母親が戻って来ました。 まだ次男と三男は友人宅に残って居ます。 残念ながら、長男は交通事故で死んだと言う事でした。 母親は私を覚えて居るのか、全然吠えません。 尻尾を振

  • 女中さんのこと(3)

    ミャンマー人の彼女の出身は、シャン州のタウンジー県、標高1,400メートルの高地で冬は結構寒いと言って居た。 ネットで調べて見ると、冬の1月の平均最低気温は7.4度となって居る。 京都より遥かにましだ。 真夏の4月の平均最高気温は28. 8度となって居る。 これも京都より遥かにましだ。 マンダレーと新しい首都ネピドーからほぼ等距離に在る。 最近脚光を浴びて居るリゾート観光地のインレー湖の近くだ。

  • 女中さんのこと(2)

    義姉と一緒に妻はまた実家に戻った。 姉妹揃って大事な話が有るんだろう。 バンコクに住んで居る一番上の姉は、年に一・二度位しか帰って来ないし、 三番目の姉も、娘が居るバンコクの近くの町と実家とを行ったり来たりして居るから、中々顔を合わせる時が無い。 生き残って居る三人で、財産相続の話でもして居るのだろうか。 そんなに大した財産は無いのだが…。 それで女中さんはマイペースで仕事が出来る。 妻が居るとど

  • 女中さんのこと

    今年はこのまま涼しい夏で終わるのかと思って居たら、 ここに来て33度と、漸く夏らしい温度になって来た。 33度と言うのは、真夏の水掛け祭りの時にも有ったのだが、 全般的に雲って居て、それ程暑さを感じ無かった。 今日は晴れて良い天気だ。 これで無くちゃ作物は育た無い。 乾季なのに雨も良く降るし、お陰で草は良く伸びる。 女中さんは大わらわだ。 電気草刈機を上手に操る。 私は体が重いので、ベッドに寝て居

  • 兄のこと(2)

    兄は最初、家で果物屋をやって居たが、店の棚にフルーツ缶とかミックス缶が美味しそうに並んで居たのを、子供心に覚えて居る。 住宅街に果物屋と言うのは、今考えると違和感が有るが、近辺に市場は無く、いっその事、魚屋とか野菜店にしたら、もっと儲かったのでは無いかと思うが、それこそ仕入れが大変だったろう。 青年には果物屋位が丁度良かったのだろう。 兄が果物屋をやるのを父が許したのは、やはり、商売の難しさを経験

  • 兄のこと

    小さい頃の記憶に、電車のホームで、兄に隠れられて泣きそうになった事とか、歌声喫茶に連れて行って貰った事とかが有る。 兄は大変歌が上手かった。 大きくなってからも、例えば、結婚式の披露宴で、兄が素で歌うと、皆がやんやと褒めて居た記憶が有る。 兄は大学にも行かず、その頃は未だ余り皆が大学に行く時代では無かったが、早くから働いた。 最初は家で果物屋をやった。 京都の中央卸し売り市場まで、朝早く行って仕入

  • 父の記憶

    父は私が高3の時に亡くなった。 それからは、母と二人暮らしになった。 余りにも早く亡くなったので、父の事を思い出すのは、何か悔しかったし、惨めになるので、父の記憶は封印して来た。 母が亡くなって3年経った。 何だか父の事を思い出したくなった。 もう、思い出してもいいのでは無いかと思う。 いや、遅きに失したのでは無いか。 父は再婚だった。 母も再婚だった。 そして、私が生まれた。 父には連れ子が有っ

1 2