• 女中さんのこと(3)

    ミャンマー人の彼女の出身は、シャン州のタウンジー県、標高1,400メートルの高地で冬は結構寒いと言って居た。 ネットで調べて見ると、冬の1月の平均最低気温は7.4度となって居る。 京都より遥かにましだ。 真夏の4月の平均最高気温は28. 8度となって居る。 これも京都より遥かにましだ。 マンダレーと新しい首都ネピドーからほぼ等距離に在る。 最近脚光を浴びて居るリゾート観光地のインレー湖の近くだ。

  • 女中さんのこと(2)

    義姉と一緒に妻はまた実家に戻った。 姉妹揃って大事な話が有るんだろう。 バンコクに住んで居る一番上の姉は、年に一・二度位しか帰って来ないし、 三番目の姉も、娘が居るバンコクの近くの町と実家とを行ったり来たりして居るから、中々顔を合わせる時が無い。 生き残って居る三人で、財産相続の話でもして居るのだろうか。 そんなに大した財産は無いのだが…。 それで女中さんはマイペースで仕事が出来る。 妻が居るとど

  • 女中さんのこと

    今年はこのまま涼しい夏で終わるのかと思って居たら、 ここに来て33度と、漸く夏らしい温度になって来た。 33度と言うのは、真夏の水掛け祭りの時にも有ったのだが、 全般的に雲って居て、それ程暑さを感じ無かった。 今日は晴れて良い天気だ。 これで無くちゃ作物は育た無い。 乾季なのに雨も良く降るし、お陰で草は良く伸びる。 女中さんは大わらわだ。 電気草刈機を上手に操る。 私は体が重いので、ベッドに寝て居

  • 兄のこと(2)

    兄は最初、家で果物屋をやって居たが、店の棚にフルーツ缶とかミックス缶が美味しそうに並んで居たのを、子供心に覚えて居る。 住宅街に果物屋と言うのは、今考えると違和感が有るが、近辺に市場は無く、いっその事、魚屋とか野菜店にしたら、もっと儲かったのでは無いかと思うが、それこそ仕入れが大変だったろう。 青年には果物屋位が丁度良かったのだろう。 兄が果物屋をやるのを父が許したのは、やはり、商売の難しさを経験

  • 兄のこと

    小さい頃の記憶に、電車のホームで、兄に隠れられて泣きそうになった事とか、歌声喫茶に連れて行って貰った事とかが有る。 兄は大変歌が上手かった。 大きくなってからも、例えば、結婚式の披露宴で、兄が素で歌うと、皆がやんやと褒めて居た記憶が有る。 兄は大学にも行かず、その頃は未だ余り皆が大学に行く時代では無かったが、早くから働いた。 最初は家で果物屋をやった。 京都の中央卸し売り市場まで、朝早く行って仕入

  • 父の記憶

    父は私が高3の時に亡くなった。 それからは、母と二人暮らしになった。 余りにも早く亡くなったので、父の事を思い出すのは、何か悔しかったし、惨めになるので、父の記憶は封印して来た。 母が亡くなって3年経った。 何だか父の事を思い出したくなった。 もう、思い出してもいいのでは無いかと思う。 いや、遅きに失したのでは無いか。 父は再婚だった。 母も再婚だった。 そして、私が生まれた。 父には連れ子が有っ

  • 母のこと

    私が49で結婚する時、母は79で、まだ、そんなに老けた感じでは無かった。 でも、これ以上結婚を遅らせる事は、母の年齢を考えると申し訳無いと思った。 そして、10年後、タイに移住する時、母は89だったが、まだまだ元気だった。 私がタイに移住したいと言った時、母は反対したが、取り敢えず、1ヵ月ほど遊びに行くと言って、一緒に渡タイした。 そして、2度目に渡タイした時だったろうか、子犬を連れて散歩中、犬が

  • 妻の風邪

    妻の風邪は、一向に良くなら無い。 昨日、食洗機を使って見た。 久し振りだったので?、機械の調子が悪かった。 洗い物が直ぐ溜まる。 やっぱり女中さんの存在が大きい。 洗濯や掃除は兎も角、洗い物が直ぐ溜まる。 久し振りにBig-Cで焼飯でも喰って見ようか。 母が生前は、毎日の様に、Big-Cで蟹焼飯を喰って居たのだ。 そして、デパートが出来たら、毎日の様に、母は親子丼。 私は、寿司を喰って居たのだ。

  • 妻のこと

    私は、若し日本に居たら、なんて事を時々考えたりするのだが、彼女の日本での食生活は、タイでの今の食生活と比べると、どうしてもタイの方に軍配が上がる。 日本では、昼は市内でグルメ旅行をして居たかも知れないが、夜はいつもインスタントラーメンだった。 私はそれを見て、いつも可哀そうだなあと思って居たが、後で、昼はグルメ旅行をして居る様だと言うことが分かって、少しは安心したのだが…。 偶には、タイの友人同士

  • 妻が病気

    妻が病気になった。 姪の子供の入院の付き添いに、後二人の子供を連れて来た姪を助けるべく、病院に寝泊りして居たのだが、4日前に、やっと解放されて、「あぁ、疲れた。」と言って帰って来た。 姪の実母は、夫が具合が悪く、義母は高齢で、旦那も仕事を休めないのだろう。 市内の病院に入院したから、いつもながら、当然の様に妻が付き添う。 三日三晩付き添った。 帰ってから、咳込んで居た。 女中さんも二日前からメーサ

  • 会うは別れの始め

    『会うは、別れの始め』 この言葉は、母から聞いた事を、何故かよく思い出す。 今迄、幾度と無く、出会いと別れがあった。 親とも別れた。 妻と別れ無くて、済むはずが無い。 いずれ別れは、やって来る。 別れは、受け入れるしか無いのだ。 でも、別れるまでの時間は、たっぷり有る。 それを楽しむしか無い。

  • 日本人の特性

    母が生前の頃、姉夫婦がタイに訪ねて来てくれた。 その時の日記を読んで、当時を振り返りたいと思います。 (2010.1.14 3:52) 日記より 日本から姉夫婦がやって来た。 姉は5年ぶり二度目の海外旅行で、しかもタイは初めて。 遠いところから遥々母と私達に会いに来てくれた。 航空券の手配やバンコクでの乗り継ぎに迷わないように、 持病のある姉のために、タイ航空に車いすの手配も頼んで置いた。 お陰で

  • 亡き母を想う

    今から3年前、母が亡くなった時の日記を読んで、母を偲びたいと思います。 (2015.2.22 4:00) 日記より 何だかまだ母が生きているような。 何だか母の部屋を覗けば、まだ母がベッドに寝ているような。 そんな気がしている。 何かもっと母の為にしてあげられたことがあったような。 何かもっと母の為にし残したことがあったような。 今更何も出来ないのに。 もっと母の胸を撫でてあげれば良かった。 もっ

  • 妻のこと

    タイで挙式の後、配偶者ビザが下りて間も無く日本に初来日し、 日本でも式を挙げた。 日本語学校に通ったりして、間も無くカタコトの日本語も覚え、 料理もメキメキ上達した。 当時、私は組合活動で忙しく、また、仕事も滞納税の徴収で、 精神的な疲れもあり、彼女と過ごす休日が待ち遠しかった。 休日、彼女と遊ぶのが精一杯で、彼女が痩せて来たのは、 慣れない日本文化と食事のせいぐらいだろうと思って居た。 そんな中

  • 妻との思い出

    日本では10年一緒に暮らした。 泊まりがけで他府県のオートキャンプ場にもよく行った。 ダルメシアンも連れて行った。 日帰り温泉もよく行った。 近隣ではもう行くところが無い程だった。 気に入ったところは何度も行った。 遠出の時は高速道路のパーキングエリアで寝る事もよくあったが、 たまには民宿も利用した。 琵琶湖のある隣の滋賀県には、数え切れない程行った。 今では懐かしい思い出だ。 ある山中のオートキ

  • 妻との出会い(つづき)

    初めて妻と会った時の会話は、全く覚えて無いが、彼女は母と姪と三人暮らしで、隣に姉夫婦が住んで居た。 以前は勤めて居たが、今は何もして無いと。 そうそう、今思い出したが、日本の友人に付いて来て貰ったのだ。 後になって、妻は、あの人は嫌いだったと言って居た。 じろじろ私を見つめて、いやらしい人だと思ったと。 それが結果的に私の方に好印象を持つことになったのかも知れない。 その時、何度か会って、日本に帰

  • 妻との出会い

    妻と見合いをする日の午前中、もう一人別の女性を紹介して貰った。 私の友人のタクシー運転手は、 彼の知り合いに私の事を頼んで置いてくれたのだが、 その人が、二人を紹介すると言う事だった。 それで、その女性の家に午前中行ったのだが、 会って見ると、学校の教師と言う事で、 頭は良さそうだったのだが、声がキンキン声で(私にはそう聞こえた)、 この人と一緒になったら、一生この声を聞かなければならないと思うと

  • 妻のバイト

    昨日、妻は頼まれた日本人ガイドの為に、朝早く5時に起きて、チェンマイまで行って来た。 私が6時前に起きた時は彼女の車はもう無かった。 何でも1BOXカーで迎えに行くそうだ。 日本から7人来るとの事。 朝が早くて大変だと言って居たが、とても張り切ってるようだった。 昨日は有名な白い寺に行って、今日はミャンマーの国境の町タチレクと、ゴールデン・トライアングル(タイ・ミャンマー・ラオスの三っつの国境が接

  • 雪解け

     妻の機嫌は少し直ったようだ。  昨日のことで、彼女は面白く無かったはずだ。折角私のために色々やったのに、結局私に怒鳴られてしまった。彼女は平静を装っているが、腹の中では不満がこもっているはずだ。それが証拠に、私の持病の薬を頼んだら、10ヵ月分も買って来た。毎月買いに行くのは面倒だからと思って、3ヵ月分を頼んだのだ。病院で貰うのは面倒だから、同じ薬をいつも薬局で買って居る。どうも遅いと思ったら、長

  • 一触即発

     私は大声を上げてしまった。「何で新しいバッテリーを持って行かないんだ!」「ここに新しいバッテリーが有ると言うからここに来たんだ!」二度も大きな声を上げてしまった。  二人で買い物に行こうとしたら、バッテリーが上がっていて動かなかった。妻の車とバッテリーケーブルで繋いで始動させて、バッテリーを買いに行こうと言ったら、彼女は、壊れるからダメだと言った。いつも行っている修理屋に頼もうと言うので、仕方無

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