• シング シング シング(+人さらいの条件)番外編 ーー成長の過程ーー

    蛇口が閉められ、湯は止まった。 チェンは鏡に映る自分の顔をあちこちチェックすると、踵を返してドアに向かった。 ノブに手を掛けようとした瞬間、扉が勝手に、向こうから開いた。 驚いて体を引く。 開いたドアの間から、ギョンスがひょこっと顔を出し、ころりと黒目を動かしチェンを認め、さっと滑り込んできた。 動きを止めたままのチェンを顧みず、ギョンスはそのままドアに背を付き、自分の体でぱたんと閉める。 真顔で

  • シング シング シング 番外編 ー受容と需要ー

    柔らかく、温かい光が、ふたりのついたテーブルの上を照らしている。紙ナプキンや塩、胡椒が、影を伸ばす。 目の前に座ったd.oが窓の外を眺めるのを、チェンは見つめる。斜め横の顔が本当に魅惑的だとチェンは改めて思う。その輪郭を陽光が照らし、本人自身が光を発しているようだ。黒縁眼鏡の奥の黒目の位置まで完璧だった。 視線をふいにチェンに送る。その眼差しの動かし方すらチェンの首をぞわりとさせるに充分だった。

  • あとがき(シング シング シング)

    はじめまして。 こんにちは。 フェリシティ檸檬と申します。 もし、このお話を読まれた方がいらっしゃるなら、こんなに嬉しいことはありません。 ありがとうございます。 自己紹介部分でも書いたかと思いますが、いわゆる実在する方の物語を書くことは初めての経験でした。 とても新鮮で不思議な感覚を抱くことが多く、苦しむとともに大変楽しい思いをすることができました。 特にexoのd.oさんについては、キャラクタ

  • シング シング シング エピローグ

    まぶたを明るい光がくすぐる。 耳には快い低音のボーカルが届く。体を溶かすような上質な調べ。ナット・キング・コールだ。 開いた目の視線の先に、見慣れた後ろ姿がある。ベッドの上に起き上がり、ぼさぼさの頭と眠気まなこでチェンは口元に笑みを浮かべる。 「それ、何て曲だっけ?」 美しく整えられた襟足に向かい、チェンは問い掛ける。一筋縄ではいかない彼の恋人がこちらを振り向く。何を考えているのかさっぱり読めない

  • シング シング シング 9

    夜は優しい、とチェンは安堵の溜め息を漏らしながら思う。 太陽のある間何もかもくっきりとものごとが見え、様々な問題が波の寄せるように迫ってくる辛さから逃れるために、日常に曖昧さを戻してくれる日没を近頃特に待ち遠しく感じるようになっていた。 ベッドに仰向けになり、灯りのついたまま目を閉じ、心身に溜まり続ける疲労を意識した。少し喉を使いすぎたかもしれない。軽く咳払いをし、どこからともなく漂ってくるような

  • シング シング シング 8

    練習場の前にあるベンチに、大きな体を投げ出すように座っている男がいた。ペットボトルに入った栄養ドリンクを汗の浮いた肌と焦点の合わない目をして飲んでいる。 「チャニョル」 声を掛けると、被ったキャップのつばの下からその大きな目を輝かせ、相手を見、「ギョンスー」と低い大きな声で言う。 縦にひょろ長い体の横に、比べると格段に小さく華奢に映る体を寄せ、ギョンスは腰を下ろした。 チャニョルが口を開く。 「め

  • シング シング シング 7

    「あれ?これ何?」 冷蔵庫の中のホーローのパットに並んだカップを視線の先に置いて、チェンは呟いた。 シャワーを済ませキッチンへ行くと、夢の中もシャワー中も一緒だったギョンスの実物しかおらず、チェンは少なからず狼狽した。先程飴玉を噛み砕いたばかりなのに。チェンは幸福とも不幸ともつかない感情でとりあえず冷蔵庫を開いてみたのだった。 向こうを向いてテーブルにつき、コーヒーを飲みながら、ギョンスは言う。

  • シング シング シング 4

    「さみーなー」 カイが体を縮こまらせて手を擦り合わせながらバスルームに向かった。すぐバスタブにお湯の溜まる音が聞こえてくる。 上着を脱ぎながらセフンが「先入りたいー」とバスルームに向かって叫ぶ。もちろんささいな言い争いがそこで始まる。だがもちろん、ギョンスはそれを放っておく。 先程ようやく口の中の薄荷飴を全て喉の奥へと溶かし落としたギョンスは、その拭いがたい後味を退けるために、歯を磨いてそのままベ

  • シング シング シング 2

     食卓にはベーコン、目玉焼き、茹でたブロッコリー、トマトの櫛切りが食べた人数分減って並んでいた。バター、苺とマーマレードのジャム、ピーナッツバター、牛乳のパックも。パン屑が朝日を受けてちらちらしている。 「玉ねぎのスープがある。あとは食パン。焼くか?」  シウミンがコーヒーをチェンの前に置いて、尋ねる。 「いいよ、自分でやるよ。大丈夫」  シウミンに向かってチェンのもともと上がった口角がまた少しだ

  • シング シング シング

    ハミングが聴こえる。 フランク・シナトラだ、とつぶやきながら、眠りから引きずり出されるようにチェンは目を開けた。 カーテン全体が発光するようなまばゆい朝の光の中、綺麗に刈りあがったうなじ、真っ黒いシャツ、ボタンをつけているらしい華奢な背中が見える。柔らかい歌声が覚醒とともによりくっきりと耳に届く。 カチャ、コッ、コト、と、キッチンの方から音がする。香りでわかる、ミンソク兄さんがコーヒーを淹れている