• 江戸を見れば82  芭蕉41歳 大老堀田正俊刺殺される

     1684年天和4年甲子(きのえね)武断的傾向もった堀田正俊は文治的立場をとる綱吉と相容れず多くの批判を受けていた。  8月に江戸城中にて従兄弟の若年寄の稲葉正休の私怨のために刺殺され、正休もその場で惨殺される。  この事件の後は大老・老中の存在は形式的となり、綱吉は側用人を通して文治的政策を推進していった。時の権力者として側用人の存在が続く。  8月中旬、門人の苗村千里(ちり)を同行して「野ざら

  • 江戸を見れば81  芭蕉40歳   実母郷里で没

     1683年天和3年癸亥(みずのとい)6月20日に実母が郷里で死去。享年不詳。愛染院に葬る。知友や門人らの喜捨によって芭蕉庵が再建され新芭蕉庵に入る。  八百屋お七を火刑に処する。京の大経師(だいきょうじは、経巻・仏画などを表具した経師の長で、朝廷の御用をつとめたもの。)の妻おさんと手代茂兵衛が密通で処刑される。井原西鶴や近松門左衛門の浮世草子や浄瑠璃に取り上げられる。  芭蕉40歳の2句 清く聞

  • 江戸を見れば80   芭蕉39歳  芭蕉庵類焼

     1682年天和2年壬戌(みずのえいぬ)3月に西山宗因(78歳)没、9月に井原西鶴が「好色一代男」を刊行する。西鶴41歳の処女作で「愛欲」をテーマに愛欲と開放と自由を追求する作品を立て続けに発表し浮世草子の作者としての地位を固める。  浮世草子は小説の一種で約80年間上方を中心に行われた町人文学である。  この年の江戸の大火が後の「八百屋お七」の好色五人女の材料となる。  芭蕉の俳諧と紀行文。それ

  • 江戸を見れば79  芭蕉38歳 側用人の政治介入の始まり

     1681年延宝9年辛酉(かのととり)天和元年(9月29日)5代将軍綱吉は30代の壮年で文治政策の支持者であった。12月に彼の擁立に功のあった老中堀田正俊を大老に、側衆牧野成貞を側用人として政治の世界に起用。側用人は老中の次席で近習出頭ともいい将軍と老中の連絡係であった。  牧野成貞の禄高はわずか2000石であったのが側用人就任後は下総関宿7万3千石の大名となる。  37歳で宗匠の生活から引退し、

  • 江戸を見れば78  芭蕉37歳 4代将軍家綱没

     1680年延宝8年庚申(かのえさる)5月8日に家綱が40歳で病没。一人権力をほしいままにしていた大老酒井忠清は5代将軍に京から有栖川宮幸仁親王を迎えようとした。  しかし、水戸藩主徳川光圀や堀田正俊の反対にあい実現しなかった。予定通りに弟の舘林藩主綱吉(30代の壮年)が第5代将軍についた。  この年を最後に大老として22年間権力の座にいた酒井忠清は隠居させられて、忠清の独裁に終止符が打たれた。

  • 江戸川柳 色は匂へ  「む」の2 娘

    一反で足らぬと娘はじしめる     今も昔もスリムがいいんだ 売れかねて鴨居に近き娘あり     バレーもバスケも無かったからね いい娘母も惚れ手の数に入り     一番の惚れ手は母さんだよ 藪入は母のじまんをうるさがり    母さんの宝だもん 知った方へはあげられぬ娘なり    知らない方へ押し付けよう

  • 江戸川柳 色は匂へ  「な」の2 仲人

    仲人の夫婦わらいが上手なり       1割は懐に入るぞ  参考、持参金付きの世話をすれば1割のピンはねが相場であった。 仲人の女房同じく小ざかしく       女房も嘘3百はついとるぜ しゅうとはじきに死ぬように仲人言ひ   なかなか 仲人はまあなぐさみに見ろと言ひ     無責任な 仲人が來るとかくれる不心得       いい人がいるのよ

  • 江戸を見れば77  芭蕉36歳 芥川龍之介36歳で自死

     1679年延宝7年己未(つちのとひつじ)芭蕉36歳と同じ歳に芥川龍之介が自殺した。芭蕉は36歳の時にはまだ蕉風俳諧も確立していない時であるが後の龍之介は蕉風俳諧を始め夏目漱石や正岡子規の影響を受けて文学としての俳句を身につけていた。  本名は芥川龍之介、俳号は我鬼、号は澄江堂主人(ちょうこうどうしゅじん)。 「我鬼」の俳句5句、何の解説もいらないそのままの句を紹介。     青蛙 おのれもペンキ

  • 江戸を見れば76  芭蕉35歳 「桃青三百韻付両吟二百韻」刊行

     1678年延宝6年戊午(つちのえうま)芭蕉、桃青の俳号になって積極的に本を刊行。「江戸三吟」を京都の本屋寺田重徳から刊行。すぐに、江戸の本屋山内長七から「桃青三百韻付両吟二百韻」を刊行。  着実に宗匠としての地位を確立していく。  蕉風俳諧の確立までにはまだしばらくを要する。蕉風俳諧の理念としてよく言われる「不易流行」「わび」「さび」「しをり」「軽み」などの中でも「軽み」はこの辺りから談林風とし

  • 江戸川柳 色は匂へ  「ね」の2 猫

    猫好きも男の方は金がいり      男の好きな猫は猫でもネ。 猫に十本多いのが嫁の芸      3+10=13絃(琴) 三味線は3絃。 縁遠さ三味線もたけ琴もたけ    時間も金もかかるよなあ。 その猫をくれさっせへと村こども  西行がもらった銀の猫がほしい。 猫をなでるを里の母見て帰り    猫なで声は、後で化けるのかなあ。 竹を書くからは猫ではないと見へ  虎ですよね。虎だよ。そうかなあ。 参

  • 江戸を見れば75  芭蕉34歳 水道工事の事務を担当

     1677年延宝5年丁巳(ひのとみ) 本年より向こう4年間江戸小石川の水道工事に携わる。事務の仕事のようである。  京都より東下の伊藤信徳を迎え、信徳、信章、桃青で「三吟百韻二巻」を興行する。 芭蕉(当時は桃青)は、俳諧宗匠として立机(りっき)したと考えられる。立机とは、俳諧師が宗匠となること。  34歳の句を3句紹介  あら何ともなきやきのふは過ぎてふくと汁   桃 青  ふぐ汁を食って、あたり

  • 江戸を見れば74  芭蕉33歳 「江戸両吟集」を出版

     1676年延宝4年丙辰(ひのえたつ)春、山口信章(素堂)と両吟百韻二巻を巻いて天満宮に奉納し、「江戸両吟集」として出版する。 立句(たてく) 此梅に牛も初音と鳴つべし   桃 青 脇句      梅の風俳諧諸国にさかむなり  信 章 天満宮の見事な梅の花に鶯はもとより、きっと牛までも初音せんものと鳴くことであろう。  季語は「梅」で春。   天秤や京江戸かけて千代の春   桃 青  京と江戸の初

  • 江戸を見れば73  芭蕉32歳 宗房より桃青と改める

     1675年延宝3年乙卯(きのとう)5月、東下中の談林派の総帥、西山宗因歓迎の百韻を興行。  立句(たてく)「いと涼しき大徳也(なり)けり法の水」宗因。  立て句とは、俳諧で連句における発句(ほっく)のことで、単独の発句(=俳句)と区別するための呼び方。  この年に松倉嵐蘭(らんらん)29歳と服部嵐雪(25歳)が芭蕉(桃青)に入門する。芭蕉が俳諧師として頭角を現してきた証であろう。  日本古典文学

  • 江戸を見れば72  芭蕉31歳 俳諧師として自立

     1674年延宝2年甲寅(きのえとら)3月17日に京都の季吟より連俳秘書「埋木(うもれぎ)」の伝授を受けて、これより俳諧師として立つ。連俳秘書は俳諧師として立つ上の卒業免状のようなもの。 季吟先生は、「枕草子曙抄」を完成させる。 この年に榎本其角(14歳)が芭蕉に入門する。  2月に幕府は焼失した内裏の再建を伏見奉行を総奉行とし岡山藩に助役させた。竣工(落成)は翌年11月。  天皇家や公家は元和元

  • 江戸川柳 色は匂へ  「つ」の2 突き目

    ほれていたつき目へ乳のはしり過ぎ   知らぬが仏 突き目=眼球に受けた外傷。民間療法では乳をたらすとなおるという。 惚れていた男だったのでつい力が入って男の顔中は乳だらけ。そんなこととはつゆ知らず。 目にたのむ乳から味に道がつき   美しい。目にはもったいない。 突きもせぬ目に貰ひ乳のひざ枕   うまいことやりやがって、ふてえ野郎だ。

  • 笋(たけのこ)   柏木如亭

     柏木如亭の『詩本草』から「笋」(たけのこ)についてのエッセイを紹介します。    笋  村居(そんきょ)自(おの)づから山を看る福有り  又た喜ぶ 今朝野珍を嘗(な)むるを  屋外の霜筠(さうゐん) 犢角(とくかく)を生ず  雪天 時新と称するを屑(いさぎよし)とせず                          (もと漢詩)  此れ紫雲山二十絶の中、「冬至に笋を食ふ」の首(はじめ)なり。笋

  • 江戸を見れば71  芭蕉30歳 井原鶴永、西鶴と改号

     1673年寛文13年癸牛(みずのとうし)9月21日に延宝元年となる。 時の権力者として、大老の酒井忠清の一人舞台となる。  6月に井原鶴永(かくえい)(32歳)、西鶴と改号して大坂の生玉南坊で万句俳諧を興行して、生玉万句を出版する。  大坂談林の雄、井原西鶴が浮世草子の第一作「好色一代男」に筆を染めたのも天和元年(1681年)西鶴40歳のときである。  一方芭蕉は、29歳で江戸に出て、2,3年で

  • 江戸を見れば70  芭蕉29歳  芭蕉江戸へ下る

     1672年寛文12年壬子(みずのえね) 芭蕉は親類・縁者の後援を得てかねてより計画していた江戸に出た。江戸に出るにあたって芭蕉は「貝おほひ」という作品を完成させて、これを上野の菅原神社(天満宮)に奉納した。  29歳の芭蕉の決意と覚悟が処女出版の「貝おほい」に籠められていた。  発句合わせの「貝おほひ」には流行歌謡や流行り言葉が縦横に駆使されたこれまでにない斬新な発句合(ほっくあわせ)であった。

  • 江戸を見れば69  芭蕉28歳 仙台藩の御家騒動に裁断

     1671年寛文11年辛亥(かのとい)藩主伊達綱宗は所行紊乱(びんらん・ぶんらん)のために隠居させられ、幼年の綱村が跡を継ぎ、一族伊達兵部が実権をとり藩政を掌握した。所領争いで兵部らは処罰され、綱村は藩領を安堵された。  御家騒動は大名家の相続争いや家臣間の権力争いが発端となり、一夫多妻制の習俗や嫡長子相続性が原因となる。  仙台藩の家臣団での寄子付を禁止する。寄子付とは封建社会に特有の擬制的親子

  • 江戸川柳 色は匂へ  「そ」の2 袖の下

    袖の下たびかさなりてほころびる   ほころぶとぼろが出るぞ 袖の下=人目を忍んで渡す賄賂 むつかしい顔をうっちゃる袖の下   もらったな、このニコニコ顔 袖の上から出したので取りにくい   空気がよめん奴だ 袖の上から取ったのは怖くなし    政治献金だよと金庫へ 袖の下やらぬとばゞあ長座する    遣り手へも壱歩はね  ブログに投稿した作品をホームページに整理。 「平成ダンチョネ」「いろは随想」

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