• 江戸を見れば 43  佐倉宗吾事件

     1645年 正保2年己酉(つちのととり)徳川家康の孫娘和子の娘、家康のひ孫の女帝が誕生して15年間在位した天皇を退位した。御光明天皇の3年目、時の将軍は家光(23年目)、時の権力者は大老の酒井忠勝であった。  この年に佐倉藩領で百姓一揆が頻発した。農民の窮状を見かねて因旗郡公津村の名主、佐倉宗吾、本名は木内惣五郎が将軍に直訴して妻子とともに処刑されるという事件が起こった。  当時の直訴は罪が重く

  • 江戸を見れば 41 消防隊編成 42 芭蕉、伊賀上野赤坂に生まれる

     江戸を見れば 41 消防隊編成  1643年 寛永20年癸未(みずとひつじ)2月に私鋳銭、3月に田畑の永代売買を禁止した。現実には質入れなどによって田畑の移動が行われ、地域によっては永代売買も行われていた。  火災の頻発に対して、まずは大名火消しが編成された。消防隊編成の初めである。  江戸が大都市として急速に発展していき、それに伴って木造建築が密集して自ずと火災の発生が多くなった。江戸の火事は

  • 夏日閒詠   梁川(張)紅蘭

     梁川紅蘭は梁川星巌の妻です。中国風に張紅蘭とも名乗っていました。19世紀初めの生まれで、文政七年(1824)の21歳作の「夏日閒詠」を紹介します。    夏日閒詠       夏日閒詠  倦抛鍼線慵重理   倦みて鍼線を抛(なげう)ちて 重ねて理するに慵(ものう)し  汗珠透衣睡方起   汗珠(かんしゅ) 衣に透(とお)りて 睡りより方に起く  沙焦金鑠午逾熱   沙焦(すなこ)げ 金鑠(と)け

  • 江戸川柳 色は匂へ  「ほ」 棒

    棒の手を見せるが客へちそうなり   見事な麺棒さばき  家の親父さんは手打ちうどんや手打ちそばはプロ並みであった。地方公務員にしておくのはもったいない腕を持っていたが腕を生かさないままに終わった。それもいいか。 そばを打つ音もちそうの数に入り   音がちそうになるのは少ない。 棒の中めんぼくもなく酔は醒め    辻番や自身番の棒ではね。 棒ほどの事針ほどに母かばひ     棒大針小の母心、いいね。

  • 夏日の作   梁田蛻巌

     梁田蛻巌の夏日作を紹介します。   夏日作      夏日の作  風簾揺返照   風簾(ふうれん) 返照(へんしょう)を揺らす  柯影舞如人   柯影(かえい) 舞いて人の如し  石鼎茶前水   石鼎(せきてい) 茶前(ちゃぜん)の水  衣桁浴後巾   衣桁(いこう) 浴後の巾(きん)  琵琶湖すだれ  柯影=風簾に映る枝の影  石鼎=石造りのかなえ。湯を沸かすのに用いる。  衣桁=ころもかけ。

  • 江戸を見れば 40  餓死者続出 西鶴誕生

     1642年 寛永19年壬午(みずのえうま)春から夏にかけて日本列島全国的に飢饉に襲われる。慢性的に続いていたこの飢饉状態で餓死者続出。  徳川幕府の農村支配は危機的状況になっていた。  そんな年に「井原西鶴」が芭蕉よりも2年先に誕生する。  井原西鶴=江戸時代の大坂の浮世草子・人形浄瑠璃作者、俳諧師。別号は鶴永、二万翁、西鵬。  2歳年下の芭蕉と共に談林派の俳諧師、西山宗因の影響を受けて成長して

  • 江戸を見れば 39  福岡藩主の江戸参勤中止

     1641年 寛永18年辛巳(かのとみ)2月8日に江戸参勤をやめて異国船の来港に備えさせた。  異国船というのはマカオを拠点とするポルトガル商船のことである。  江戸の大火が続く、1月に京橋桶町から出火して97町1929戸焼失し、死者380人余りを出した。3月には、日本橋から出火して大工町・油町に延焼した。  江戸の防火体制は喫緊の課題であった。  将軍の長男家綱誕生、慶賀のために家門の家々で慶宴

  • 貧甚だし 戯れに絶句を作る  宮沢雲山

     宮沢雲山は安永九年武蔵国秩父に生まれました。現在は埼玉県にあたります。  文化十二年に雲山は北遊から戻って江戸に出ました。北原秦里、梁川星巌と共に『今四家絶句』を選輯(せんしふ)しました。  今四家とは市河寛斎、大窪詩仏、菊池五山、柏木如亭のことです。雲山は寛斎の門下です。  梁川星巌は西遊するに際し七絶を雲山に送りました。一方で雲山も上州や信州に旅に出ましたが、旅の途中で七絶を詠みました。  

  • 江戸を見れば 38  家光のマンネリ化か

     1640年 寛永17年庚辰(かのえたつ)将軍も18年になると少しマンネリ化してきた点も見受けられる。  4月5日に江戸城本丸の再建が成り、家光はニ丸から本丸へ移動した。諸大名からの進物は莫大なものであった。諸大名や幕臣に倹約令を出しているのに当の家光は遊猟や御前試合、茶会や能楽と浪費がかさんでいた。  江戸庶民の生活の変化も最初に髪型に現れた。髪型を変えることが一番の手っ取り早く金のかからない心

  • 江戸川柳 色は匂へ  「に」の2 二 階

     二かいから落ちた最期のにぎやかさ   ガラガラどしん  二階から落ちて最期を迎えるのは大変な騒動の中で息を引き取ることになる。静かに湿っぽく息を引き取るのとは大違い。大変だよね。  二階から小便せぬでかどがあり    ごもっとも  吉原の遊女の部屋は二階にあるのでトイレも当然二階にあった。したがって二階で小便をして初めて一人前になると。角も取れて一人前の社会人となる。江戸の男社会の身勝手な常識に

  • 江戸を見れば 37  タンポ・コタツ・据(すえ)風呂

     1639年 寛永16年己卯(つちのとう) 明正天皇在位11年、3代将軍徳川家光在位17年。時の権力者は大老の土井利勝(16万石)、酒井忠勝(12万3千石)で、ポルトガル人を放逐し、ポルトガル船の来航を禁止する。  江戸城大火で二丸・天守閣・櫓だけが残る。恒常的に日本列島は大火と地震と洪水に見舞われてその対応だけでも大変であった。  江戸の町では無頼の徒が徘徊し、盗賊の出没が続いた。  和歌山藩主

  • 北里歌 四 市河寛斎

     市河寛斎の北里歌は三十首ありますが、その四を紹介します。   四            四  銀燈院々暗残光     銀燈 院々 残光暗く  跡断春風響屧廊     跡は断ゆ 春風の響屧廊(きょうしょうろう)  雲雨枕頭宵撃柝     雲雨枕頭(うんうちんとう) 宵に柝(き)を撃ち  不教郎夢到高唐     郎(ろう)の夢をして高唐に到ら教(し)めず  銀燈=明るく輝く燈火。  院々=遊女のいる

  • 江戸を見れば 36   大老とは何者ぞ

     1638年 寛永15年戊寅(つちのえとら) 2月28日に島原の乱はようやく鎮定された。2万5千の謀反に対して12万5千の募兵を動員しての勝利であった。  キリシタン禁制はますます厳しくなっていった。  11月7日に老中の上に大老を置き将軍の政務一切を裁断させるようになった。幕藩体制における大きな転換でる。  時の権力者として、大老 土井利勝と大老 酒井忠勝が表舞台に登場した年である。  大老=大

  • 江戸を見れば 35  立ち上がる農民

     1637年 寛永14年丁牛(ひのとうし) 10月に島原の乱が起こる。農民・キリシタン信徒たちの抵抗は頑強で、年内に鎮圧できなかった。 幕府が直面した最初の試練で、農民の力の強靭さを身をもって知った。  島原の乱のきっかけは「圧政と重税」であった。  乱が勃発してからはキリスト教が一揆のよりどころとされて、歴史上日本最大規模の一揆となった。まさに内戦状態であった。  この一揆の乱を招いた島原藩主の

  • ゴキブリ コバエ 江戸の虫売り 虫籠

     ゴキブリ対策のためにコン〇ットの類似品を買って寝室とキッチンと洗面所に置きました。あの日以来見ていません。  同時にコバエ対策に〇―ス製薬の〇ポナをノートパソコンの脇に置きました。匂いはいいです。アクアソープの香り。  でもコバエには効きません。〇ポナの脇を何食わぬ顔でコバエが散歩しています。ヘルパーさん曰く他のメーカーの虫除けも効果がないとか。  そのくせ平気で至近距離に来るのでティッシュで捕

  • 江戸を見れば 34  銭形平次の投げ銭ができる

     1636年 寛永13年丙子(ひのえね)6月に一文銭と四文銭の二種類の寛永通宝が鋳造・発行された。  日常生活の通貨として、貨幣体系の整備がなされて、これまでの乱雑な通貨が統一された。  一文銭は銅銭で四文銭は真鍮銭と鐵銭があり、真鍮銭は1768年(明和5年)から、鉄銭は1854年から1860年の安政年間からである。  銭形平次が投げている銭は、 原作者の野村胡堂は、寛永通寶四文銭としている。 四

  • 江戸時代の夏風物誌 扇風機

     さっきMXの番組宣伝でちらっと見たので検索してみました。出てきた出てきた。  大奥にはうちわの扇風機があったんです。  うちわの向きを変えて復元したもの、ですね。  江戸のスポーツドリンク  この絵は昭和初期の風鈴売りです。赤坂では昭和40年ごろコロンビアの狭い坂を下りたふもとで風鈴屋さんを見かけました。絵と同じ竿を担いでいました。  小学生の工作だそうです。夏休みの工作の宿題にいいかもしれない

  • 江戸を見れば 33  参勤交代の制度化

     1635年 寛永12年乙亥(きのとい) 鎖国体制と諸大名に対する統制の引き締め。武家諸法度の改定と参勤交代の制度化、寺社奉行の設置、評定所制度の新設と幕藩体制の基礎は徳川家光13年目にしてほぼ形が整ってきた。  参勤交代と一口で言っても一度に形が整ったわけではない。初めは外様大名に対して4月交代の参勤が確立した。これより30年ほど前に諸大名の妻子を江戸に留置することを実施していた。  参勤交代の

  • 江戸川柳 色は匂へ  「は」の2 馬鹿亭主

     薪水の労をたすける馬鹿亭主  薪水(しんすい)の労=飯炊きや水汲み  今では当たり前の男の家事労働であるが、江戸時代では馬鹿呼ばわりされた。買い物のお供などしようものなら馬鹿亭主、駄目亭主と言われた時代である。 どこへでもくっついて出る馬鹿亭主   そんな雰囲気が残っている地方も                    ある。 あいつだに帰る気ならと馬鹿亭主    惚れています。 もう以後はさせや

  • 鯔(出世魚:いな、ぼら)  柏木如亭

     柏木如亭の『詩本草』から「いな」を挙げます。   鯔(いな)  遊讃既に倦み、舟を買ひて備に回(かへ)る。時に十二月十五、天晴れ風静かにして、大小の諸島争ひて図画を献ず。  舟中復た一点の寒無し。乃(すなは)ち居停(きょてい)主人餽(おく)る所の鯔(いな)を焼いて晩食す。  その味奚(なん)ぞ止(ただ)に八珍(はつちん)のみんらんや。夜半(やはん)竟(つひ)に西大寺の下に泊す。  月光凄涼(せい

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