• 江戸川柳 色は匂へ  「た」の2 棚

    人をばおろし我が事は棚へ上げ   よくみる光景だ。そんなもんだ。  おろす=こきおろす、非難する。 女房を物さしにして棚をつり    仕事場だもんね。ご苦労さん。 大だわけ棚をねめつけ瘤へ唾    この野郎、いたのなんのって。 棚釣でわざとあたまをふって見る  大丈夫だ。 学問が棚へ上って声がはり     昔の坊やはもういない。

  • 江戸を見れば 60 芭蕉19歳  記録に残る最古の作品

     1662年寛文2年壬寅(みずのえとら)  春やこし年や行けん小晦日(こつごもり)   宗 房      季語は小晦日(師走29日)で冬。  今日はまだ小晦日なのに立春となった。こんな場合でも春が来たといってよいのであろうか。それとも年が去ったというべきか。暦の上でもまれにある年内立春をとらえた一句である。  実に素直に伝統を踏まえた一句である。  俳諧の伝統として過去の作品を素材にいわゆる本歌取

  • 江戸を見れば 59 鎖国のもとで特権貿易  芭蕉18歳

     1661年万治4年辛丑(かのとうし)4月25日寛文元年の3月3日に例年通りに長崎のオランダ商館長が参府して将軍に謁見した。その時に新しい条項が取り決められた。  目的は鎖国のもとでも幕府が特権貿易商人を通じて利益を管理・統制することが目的であった。  11月には見台所(将軍正妻)の費用を500両増額し、年額1000両とする。  12月には、見物の芝居物は堺・葺屋・木挽3町に限定し、町中での勧進相

  • 江戸を見れば 58 佐倉藩主幕政批判  芭蕉17歳

     1660年万治3年庚子(かのえね)9月28日に佐倉藩主堀田正信は、老中松平信綱らの政治姿勢を批判して上書を提出し所領の返上を申し出る。それほどに天下の人民は疲弊し武士は困窮していた。  藩主堀田正信は11月に改易される。  芭蕉は仙気(せんき)という持病を持っていた。下腹部に発作的に激痛が繰り返し起こる。癪持ち。現代で言うならば胆石症や尿道結石症があったのではなかろうかと思われる。  芭蕉が仕え

  • 江戸を見れば 57 武断から文治主義への転換 芭蕉16歳

     1659年万治2年己亥(つちのとい)江戸城本丸は5月15日に造立を経て、8月3日に竣工し9月5日に将軍家綱は西丸から転居した。この本丸は天守閣がなかった。時代の流れを象徴したものである。  その一方で、賄い方や奥坊主・大奥などについての規制は厳しいものであった。 奥坊主=将軍に茶・湯水の給仕、茶室での茶湯とその清掃、奥の勝手・茶部屋・露地部屋・数寄屋などに居り火の番もした。 数寄屋=茶室。茶席・

  • 江戸川柳 色は匂へ  「よ」の2 嫁

    御みくじで貰った嫁もにくがられ    神も仏もなんのその。 中のよい嫁はお経をよみならひ     えらかもんじゃ。結構結構。 永い日も二つとできぬ嫁の髪      ポニーテールにしたら。 湯殿から忘れた時分嫁は出る      念には念を入れますとも。 しかってもしかっても嫁うすぎなり   わかる。わかる。現役ですぞ。

  • 江戸を見れば 56 大村藩キリシタン処刑つづく  芭蕉15歳

    1658年明暦4年戊戌(つちのえいぬ)万治元年(7月23日)   年の明暦3年に大村藩ではキリシタンを90人逮捕してその内の56人を島原で処刑した。  つづいて、本年も603人逮捕して処刑をしている。キリシタン禁制の高札を出して、取り締まりを厳しくしている。  大村藩とはどんな藩であったのか、外様大名であった。  大村喜前ははじめ、ドン・サンチョという洗礼名を持つキリシタンであったが、慶長7年(1

  • 江戸を見れば 55  旗本奴が町奴を殺害 芭蕉14歳

     1657年明暦3丁酉(ひのととり)7月、水野十郎左衛門茂之が幡随院長兵衛を殺害する。  町奴の長兵衛が、水野の旗本奴の屋敷へやってきて遊里へ誘ったが、水野が今日は都合が悪いと言って断ったのに立腹して、自分の勇気が恐ろしいから断ったのだと罵倒し無礼なふるまいをした。  水野も怒って長兵衛を討ち捨てた。  町奴の強きをくじき弱きを助けるという侠気が武士に対抗するという庶民意識に支持されて旗本奴との対

  • 江戸を見れば 54  貧富の格差が広がる

     1656年明暦2年丙申(ひのえさる)消費生活の向上に伴い貧富の格差が著しくなってきたのがこの時代である。  手を変え品を変えて、禁止令を出したり、5人組を組織したりして取り締まりを厳しくしても幕府の思うようにはいかなくなった。  2月には、手拭で頬被りしたり、覆面をしたりすることをまず禁止。これは盗賊の横行に対する処置、美麗な服装や派手な生活の風潮を禁止。かぶき者や太い緒のかぶりものを逮捕する。

  • 江戸川柳 色は匂へ  「か」の2 蚊(か)

    忍ぶ夜の蚊はたたかれてそっと死に   粋だね。えらい。 じっとして居なとひたいの蚊を殺し   強くも打たれんしなあ。 手にとまる蚊を吹きながら御看経    経を唱えながらの殺生ですぞ。 御看経(おかんき)=禅宗などで、声を出さないで経文を読むこと。声を出して経文を読むことは読経。 内陣の御神酒にしんと昼間の蚊     神妙にしてやがる。 内陣=神社の本殿や寺院の本堂で、神体または本尊を安置してある

  • 江戸川柳 色は匂へ  「わ」の2 若後家(わかごけ)

    若後家のふしゃうぶしゃうに子にまよひ   子のために生きるか、それと                      も。 若後家の剃りたいなどとむごがらせ   尼に、もったいない。 若い身で安請合の後家を立て      意地を捨てるべきか、女を捨てる                    べきか。 若後家のたよりになってやりたがり   ごもっとも、ごもっとも。

  • 江戸を見れば 53  消費生活の向上と貨幣経済の発展

    1655年承応4年乙未(きのとひつじ)明暦元年(4月13日)  城下町での家臣団の消費生活の向上に伴い江戸のインフラ整備や貨幣経済の改革が進行していった。  消火用の堀井戸の準備と水桶(防火用水)の完備を急いだ。1町の両側に8つずつを原則に堀井戸を設け、商売の妨げになるときは蓋をすること。水桶も井戸と同じように蓋をして常時満水の水を貯えることを整備した。  江戸の生活の発展に伴い膨大なゴミがでてそ

  • 江戸川柳 色は匂へ  「を・お」の2 大一座(おおいちざ)

    施主はまだ泣いてゐるのに大一座   よからぬ相談はすぐにやる。  大一座=川柳では多人数で女郎屋に登楼することをいう。葬式帰りや花見や夕涼みのくずれが多い。 町内のぎりさへすむと大一座   なにはともあれ義理とふんどしは。 大一座無理往生は数珠をもち   年寄りの冷や水、ポックリ行くかも。 その数珠はしまってくれと土手で言い  爺ちゃん、それはしまってよ。 人といふものは知れぬと大一座   集団心

  • 花林糖売り 唐人飴売り 女飴売り

     天保六、七年(1835、36)ころから夜、市中を「かりんとう深川名物かりんとう」と声を高くして何の所作もなく売り歩いてきた。子どもがちょうだいと言うと、八文から二十四文ずつの値に従って袋に入れて与える。かりんを細く切って黒砂糖で煮たようなもので、昼に見かけることは少なく、夜だけ売り歩いていたようである。  右側は志るこ、おしるこ売りもあったようです。  見たところ面白くもないものだが、ただ点した

  • 江戸川柳 色は匂へ  「る」の2 留 守(るす)

    憎いこと辛子すってて留守と言い   あの音は辛子味噌、さては。  辛子する=辛子をすり鉢に入れて摺るのは辛子味噌の場合である。初鰹には辛子味噌が定番。 留守たのむ人へ枕と太平記    わかるわかる。退屈だもんね。 女房がるすで流しに椀だらけ   男所帯にウジだな。

  • 江戸を見れば 52  隠元、弟子6人と来日 

     1654年承応3年甲午(きのえうま)7月、明僧隠元が黄檗宗(おうばくしゅう)伝道のために来日する。  隠元自身は臨済正宗と称していたが、独特の威儀を持ち、禅とさまざまな教えを兼ね併せる当時の「禅浄双修」の念仏禅や、「禅密双修」の陀羅尼禅を特徴とする明朝の禅である「明禅」を日本に伝えた。  日本では禅宗の一派として独立した。  なお、明代の書をはじめとして当時の中国における文化や文物をも伝え、隠元

  • 江戸川柳 色は匂へ  「ぬ」の2 盗人(ぬすびと)

    盗人はせがれ同類女房なり      親の金を持ち出すのはいい方だ。 こなたまでぐるだと母は叱られる   母は甘い、だからぐれずに立ち直                                                  る。 よくしめて寝ろと言ひ言ひ盗に出   しっかり者だ、これでないと。 夜寝なぞする盗人のなまけもの    気楽な稼業ときたもんだ。 盗人のたけだけしきは袴着る   

  • 江戸を見れば 51  近松門左衛門誕生

     1653年承応2年癸巳(みずのとみ)6月23日に京都の内裏で出火し、宝庫一つを残して全焼した。その復興は幕府にとって大きな問題であった。  近松誕生の年に松永貞徳82歳で没、西山宗因48歳、西鶴12歳、芭蕉10歳であった。  当時の初等教育は8歳を目安に寺子屋に入学するのが一般的で西鶴も芭蕉も学生期(がくしょうき)を励んでいたはずである。  芭蕉家は分家筋にあたり、本家は無足人(郷士)で、身分は

  • 江戸を見れば 50  浪人とかぶき者対策

     1652年 慶安5年壬辰(みずのえたつ)承応元年(9月18日) 9月に浪人,戸次(別木)庄左衛門・林戸右衛門らの老中暗殺計画が発覚して処刑されるという承応(じょうおう)事件が起こる。  戸次庄左衛門が同志数人と崇源院(徳川秀忠の正妻)の27回忌が増上寺で営まれるのを利用し、放火して金品を奪い江戸幕府老中を討ち取ろうと計画した。  しかし、仲間の一人が老中・松平信綱に密告したため庄左衛門らは捕らえ

  • 江戸川柳 色は匂へ  「り」の2 悋気(りんき)

    寝たきりでいるはきれいなりん気也    可愛いね。 りんきにも当りでのある金だらい     斧がとぶ現代は怖い。 りんきのそれ矢戸障子へあたる也     八つ当たり、ごもっとも。 それ矢=狙いからそれて他の方へ飛んでゆく矢。流れ矢。  悋気、嫉妬、やきもちなどと言う言葉が懐かしい時代になった。今は何も言わずにバットで殴られたり、斧で殴られたりする時代になった。可愛いやきもちなんて夢のまた夢。寝たき

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