• 【中臣須牟地神社】(なかとみすむちじんじゃ) 大阪市東住吉区

    【中臣須牟地神社】(なかとみすむちじんじゃ) 大阪市東住吉区 由緒について ;延喜式内の古社であって、三の宮と称され、遠く二千年前の御創建である。 御祭神は、主神(神産霊大神、手力雄命、天児屋根命)、相殿(天日鷲命、大己貴命 、宇賀魂命)、追祀(少名彦命、素盞嗚命、住吉大神)である。 本社は古来酒造の祖神として将又医薬の祖神として衆庶の信仰厚く、又文武両道の守 護神として御神徳顕著であった。 社領

  • 【瓜破天神社】(うりわりてんじんしゃ)大阪市平野区

    【瓜破天神社】(うりわりてんじんしゃ)大阪市平野区 大阪市平野区に鎮座の、難読地名を名に持つ【瓜破天神社】(うりわりてんじんしゃ)」。 御祭神:素戔嗚尊(すさのおのみこと)、菅原道真(すがわらのみちざね)、平維盛(たいらのこれもり)。 瓜破の歴史を記録し唯一現存する船戸録(天文元年 1736 記)によれば、 孝徳天皇の大化年中(645~649)瓜破地域に住んでいた高僧「船氏道昭」が、 5月晦日三密

  • 【美具久留御魂神社】(みぐくるみたまじんじゃ)大阪府富田林市

    【美具久留御魂神社】(みぐくるみたまじんじゃ)大阪府富田林市 【美具久留御魂神社】(みぐくるみたまじんじゃ)は、大阪府富田林市にある神社である。式内社で、旧社格は郷社。 美具久留御魂大神(大国主命)を主祭神とし、左殿に天水分神(あめのみくまりのかみ)、弥都波迺売命(みずはのめのみこと)、右殿に国水分神(くにのみくまりのかみ)、須勢理比売命(すせりひめのみこと)を配祀する。左右殿に同じ神を祀る建水分

  • 【錦織神社】(にしきおりじんじゃ)富田林市

    【錦織神社】(にしきおりじんじゃ)富田林市 地元では、錦織を「にしこり」「にしこおり」「にしごり」と呼ばれています。 所在地は本来の錦織地区からはかなり離れています。神社のある地域は、太古は「錦部(にしごり)部」と呼ばれていたらしく、旧くは織物の技術を持つ人々が百済より渡来し住みついていたとされています。神社は錦部部(錦部氏)の氏神です。 創建年代は不明ですが、昭和10年(1935年)の本殿修理の

  • 【烏帽子形八幡神社】(えぼしがたはちまんじんじゃ)河内長野市

    【烏帽子形八幡神社】(えぼしがたはちまんじんじゃ)は、大阪府河内長野市喜多町305に所在する神社。旧社格は村社。 祭神:素盞鳴命、足仲彦命、神功皇后、応神天皇。 烏帽子形山には楠木七城(河内七城)のひとつとされる烏帽子形城という城があった。楠小二郎がこれに拠い、城の鎮護として創祀したものと伝えられる。その後暫く荒廃していたが、室町時代の文明12年(1480年)(昭和40年の解体修理時に棟札・棟束か

  • 【長野神社】(ながのじんじゃ)河内長野市

    【長野神社】(ながのじんじゃ)河内長野市  祭神:素盞嗚大神(牛頭天王)、天児屋根命、菅原道真。 創建年代は不詳。本殿は天文12年(1543年)頃に建てられたと考えられている。かつては木屋堂の宮(こやどうのみや)、牛頭天王宮(ごずてんのうのみや)と呼ばれていたが、慶応4年(1868年)から長野神社と呼ばれるようになった。本殿は国の重要文化財。 境内のカヤの古木は大阪府下最大で府の天然記念物。  住

  • 【日吉神社】(ひよしじんじゃ)羽曳野市

    竹内街道(たけのうちかいどう)を歩いて行くと何か駐車場のような建物が見えてきます。その横に【日吉神社】(ひよしじんじゃ)があります。 境内はとても狭いですが狛犬もあります。日吉神社なのになぜか丹比神社の石碑があります。由緒などは不明です。 この日吉神社の隣の駐車場の中に地蔵堂があります。地蔵尊の名前が記されていて五体の地蔵尊を安置しています。行者神変大菩薩大菩薩、大日大照不動明王、弘法大師、弘法大

  • 【志紀長吉神社】(しきながよしじんじゃ)大阪市平野区

    【志紀長吉神社】(しきながよしじんじゃ)  延喜式内の神社で祭神は長江襲津彦命、事代主命の二座である。明治5年に旧郷社に列せられたころは、旧長吉、瓜破、恵我、大正、藤井寺の各村の総氏神であったが、現在は長吉一円の氏神である。大坂夏の陣のとき、豊臣方の武将真田幸村がこの神社に刀剣と軍旗を奉納して戦勝を祈願したと伝えられ、刀剣は第2次世界大戦後、占領軍の命令で没収されたが、軍旗は今も神社に保存されてい

  • 【野々上八幡神社】(ののうえはちまんじんじゃ)大阪府羽曳野市

    【野々上八幡神社】(ののうえはちまんじんじゃ)は大阪府羽曳野市にある神社。 祭神は八幡大菩薩。「中之太子」野中寺に隣接する。由緒:創建は不明で、南北朝時代に兵火により野中寺とともに焼失してしまいましたが、寛文年間(1661~1673)野中寺の鎮守社として再建されました。明治初年の神仏分離令により野中寺と分けられ村社となりましたが、一時期大津神社(羽曳野市高鷲)に合祀されてしまいました。第二次大戦後

  • 【大津神社】(おおつじんじゃ) 大阪府羽曳野市

    【大津神社】(おおつじんじゃ) 大阪府羽曳野市 大阪府羽曳野市高鷲にある神社で、延喜式神名帳に記載されている、河内国丹比郡の式内社。 厄除開運、縁結び、安産、家内安全、交通安全、引越しや住居のリフォーム等の方災除けのご利益があるとされる。祭神:素盞嗚尊(すさのおのみこと)、奇稻田姫命(くしいなだひめのみこと)、天日鷲命(あめのひわしのみこと)。大津神社は、十世紀はじめ、醍醐天皇(885~930)の

  • 【小山産土神社】(こやまうぶすなじんじゃ)藤井寺市

    【小山産土神社】(こやまうぶすなじんじゃ)藤井寺市  室町時代に神宮寺として再建され、祭神を牛頭天王としていましたが、現在は産土神社として素戔鳴命と櫛稲田姫を祀っています。 本殿は一間社流造で、主要部分は創建当時の状態をよく留めており、藤井寺市内で最古級の神社建築として貴重です。 産土とは産室のある場所の砂、土の事を意味した。産室は昔は離れた所に作られ、そこで出産をしたのである。いつの間にか、産土

  • 【東弓削神社】(ひがしゆげじんじゃ)大阪府八尾市東弓削

    【東弓削神社】(ひがしゆげじんじゃ)大阪府八尾市東弓削 弓削氏の祖神である天日鷲翔矢命と物部氏の祖神の彌加布都神、比古佐自布都神の二座をまつる延喜式内社で、河内国でも枚岡、恩智社に次ぐ三指に数えられた大社であった。弓削氏は河内国若江郡弓削郷を本貫とする豪族で、弓矢などの武器の製作にたずさわる弓削部を率いた伴造であった。この一族から物部守屋や孝謙女帝に仕え、その信任を得た弓削道鏡を輩出した。「続日本

  • 【弓削神社】(ゆげじんじゃ)大阪府八尾市弓削町

    【弓削神社】(ゆげじんじゃ)大阪府八尾市弓削町 八尾市付近に勢力を保持していた物部氏の一族である弓削氏の氏神。 八尾の弓削神社は、JR志紀駅・長瀬川を挟んで2箇所あり、東側の東弓削一丁目にある弓削神社と西側の弓削町一丁目にある弓削神社の二社一対で二座にあてている。両社とも式内大社である。 なお、鎮座地は弓削が旧河内国志紀郡、東弓削が旧河内国若江郡にあたり、延喜式神名帳には若江郡の式内社と記載されて

  • 【太川神社】(おおかわじんじゃ)大阪府八尾市

    【太川神社】(おおかわじんじゃ)大阪府八尾市 この神社の鳥居の前にある案内板の由緒には、「太川神社は太子堂中央字高見に鎮座(現在地八尾市南太子堂六丁目拾壱番地)太子堂は聖徳太子縁の古き地にして神社の建立亦古し創建の年代は詳らかならざるも古来より當領水域一円を潤す太川の名に因み太川神社と称え奉る。御祭神の素戔嗚命は災難、厄除け招福の神として勇氣と活力を授け給い保食神は五穀豊穣と商賣繁昌に靈驗灼かなり

  • 【子守社】(こもりしゃ)大阪府八尾市

    【子守社】(こもりしゃ)大阪府八尾市 別称は【垣内子守社】(かいちこもりしゃ)。碑文に書かれているのは、「阪神大震災で鳥居等大きく被災しその債権並びに氏子一丸の賛助と多大の寄進を以って鳥居の奉納併せて境内の大整備を完遂したことを慶び氏子全員の家運隆昌を祈願しここに記す。」 所在地:大阪府八尾市垣内5丁目 この【子守社】の道路を挟んだ向かいに「垣内公園」があります。垣内(かいち)は八尾市の東寄り、高

  • 【教興寺】(きょうこうじ)大阪府八尾市

    【教興寺】(きょうこうじ)は、大阪府八尾市にある真言律宗の仏教寺院。奈良市西大寺の末寺である。山号は獅子吼山(ししくさん)。詳名は「獅子吼山大慈三昧院教興寺」。本尊は弥勒菩薩である。 寺伝によれば、聖徳太子が物部守屋の討伐を祈願するため、秦河勝に命じ崇峻天皇元年(588年)に建立したという。寺は中世には荒れ果て、鎌倉時代に、奈良・西大寺の叡尊が復興した。叡尊は河内布教の帰途の際、教興寺が荒れ果てて

  • 【権現社】(ごんげんしゃ)大阪府八尾市

    【権現社】(ごんげんしゃ)大阪府八尾市 熊野神社とも呼ばれます。熊野権現を祀ります。山麓なので正面入り口からは階段で上がっていく高台に鎮座しているように感じます。  権現社の沿革:「慶長年間(1596~1614)に、熊野権現を勧請」。寛政2年(1790)意満寺の南西端にあった愛宕神社を合祀。鎮座地について当初は、黒谷1021番地 山頂に近い常川(伝承)。その後、黒谷1142番、現在地の南東 約10

  • 【御劔神社】(みつるぎじんじゃ)大阪府八尾市刑部

    【御劔神社】(みつるぎじんじゃ)大阪府八尾市刑部 ◆御劔神社のしるべ 此の地、古くは河内国若江郷刑部郷と言い訓を聞けば刑部(おさかべ)は、備中国賀夜郷、伊勢国三重郡等の刑部郷の例により於佐加部と読むべしと伝えられその遺構であると言われている。第十九代允恭天皇の忍坂大中女命の御名代として定められた民部であり、御名代部として奉仕した後にこのオサカベの民部が刑部(ウタエ)の職に奉仕したので、記紀では刑部

  • 【樟本神社】(くすもとじんじゃ)「日羅寺(にちらじ)」大阪府八尾市

    【樟本神社】(くすもとじんじゃ)「日羅寺(にちらじ)」大阪府八尾市 この地は、物部氏の住地であり、この社はその祖神をまつったものである。北木本と木本に同名の二社があり、延喜式神名帳には樟本神社三座と記されている。守屋が聖徳太子の軍を防ぐためこのあたりに「稲城」を設けたとき、城中に榎木があったので、これを「榎木城」といい、村の名も「榎木村」といったが、のち「木本」となったと伝える。境内には黄檗宗日羅

  • 【赤坂神社】(あかさかじんじゃ)大阪市平野区

    【赤坂神社】(あかさかじんじゃ)大阪市平野区 この地は、もと丹北郡赤坂村と呼ばれたが、元弘元年(1331年)金剛山麓の「千早赤坂」を拠点に楠木正成が鎌倉幕府に対して反旗をあげたので、同名の「赤坂村」の名では混同されて幕府軍から攻撃される恐れがあり、赤の字から縦の線を、坂の字から土を取り「六反」になったと伝わる。 赤坂神社は、創建は明らかでなく、もと素盞鳴尊を祀るのみであったが、明治5年4月に素盞鳴

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