• 原理講論   緒 論(三)復帰摂理歴史と「私」

    原理講論 緒 論(三)復帰摂理歴史と「私」  「私」という個性体はどこまでも復帰摂理歴史の所産である。したがって、「私」はこの歴史が要求する目的を成就しなければならない「私」なのである。それゆえに「私」は歴史の目的の中に立たなければならないし、また、そのようになるためには、復帰摂理歴史が長い期間を通じて、縦的に要求してきた蕩減条件を、「私」自身を中心として、横的に立てなければならない。そうすること

  • 原理講論 (一)エリヤの再臨を中心とするユダヤ人たちの心的動向

    第四章 メシヤの降臨とその再臨の目的 第二節 エリヤの再臨と洗礼ヨハネ (一)エリヤの再臨を中心とするユダヤ人たちの心的動向 『エリヤは彼の天的な使命を完遂できずに昇天したので(列王下二・11)、メシヤを迎えるためにサタンを分立していく路程で、再びサタンが横行するようになったのである。 ゆえに、イエスの実体神殿理想が成し遂げられるためには、前もって、エリヤが地上で完遂できなかった、サタン分立の使命

  • (一)イエスの典型路程としてヤコブ路程とモーセ路程とを立てられた理由

    (一)イエスの典型路程としてヤコブ路程とモーセ路程とを立てられた理由  復帰摂理の目的は、究極的には人間自身がその責任分担として、サタンを自然屈伏させ、それを主管し得るようになることによって成就されるのである。イエスが、人間祖先として、メシヤの使命を負うて来られたのも、サタン屈伏の最終的路程を開拓し、すべての信徒たちをその路程に従わせることによって、サタンを自然屈伏させるためである。  ところが、

  • (10-4)「妻を譲り渡した」・・・原理講論から引用

    原理講論《第三節 アブラハムの家庭を中心とする復帰摂理 (一)信仰基台 (2) 信仰基台を復帰するための条件物  ① アブラハムの象徴献祭 》 アブラハムは、第二人間始祖たるノアの立場を復帰しなければならなかった。したがって、またアダムの立場にも立たなければならないので、彼は「象徴献祭」をする前に、アダムの家庭の立場を復帰する象徴的蕩減条件を、初めに立てなければならなかった。 創世記一二章10節以

  •  原理講論 (ロ) ヨシュアを中心とする実体基台

     (ロ) ヨシュアを中心とする実体基台  モーセが磐石を二度打つことによって、イスラエル民族が磐石を中心とする「出発のための摂理」をもってカナンに復帰しようとした目的は完遂されなかった。しかし、モーセが磐石を二度打つことによって(民数二〇・1~13)、サタンが外的には侵入したが、レピデムにおける磐石の水の基台によって、内的にはそのまま磐石の水を出し、イスラエル民族に飲ませることができたという事実か

  • 第6章 再臨論 イスラエルから出た者が全部イスラエルなのではない

    第6章 再臨論 第三節 イエスはどこに再臨されるか (一)イエスはユダヤ民族の内に再臨されるか ただアブラハムの血統的な子孫であるという事実のみをもって パウロは、「外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、外見上の肉における割礼が割礼でもない。かえって、隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、また、文字によらず霊による心の割礼こそ割礼であって、そのほまれは人からではなく、神から来るのである」(ロマ二・2

  • 第二章 モーセとイエスを中心とする復帰摂理 第一節 サタン屈伏の典型的路程 

    第二章 モーセとイエスを中心とする復帰摂理  アモス書三章7節に、「主なる神は、そのしもべである預言者にその隠れた事を示さないでは、何事をもなされない」と記録されているみ言のように、聖書には、神の救いの摂理に関する数多くの秘密が隠されているのである。しかし、人間は神の摂理に対する原理を知らなかったので、聖書を見ても、その隠れた意味を悟ることができなかった。 聖書においては、一人の預言者の生涯に関す