• 七重の膝を八重に折る

    「七重の膝を八重に折る」という言葉があるの。 簡単に言うと、このうえなく丁寧な物腰を例えているのじゃが、一般的にはお詫びをしたり、頼み事などをするときなどの有様じゃろうな。 膝は二つにしか折れぬ。この膝を七重に折るという表現だけでも「ご丁寧」なものじゃろう?さらに、これを八重にも折ろうというのじゃから、丁寧にバカがつくほどの丁重な態度を表しているのは納得がいくというものぞぃ。 何故、この言葉を今日

  • 重箱の隅をつつく

    今日のお題は「重箱の隅をつつく」じゃ。 この言葉は日常的によく使われるの。また、この言葉に該当するような人物はその方らの周囲にもけっこういるのではなかろうか?わらわの同僚(仕事じゃ)にもこの言葉にぴったりの御仁がいるのぅ~^^ 元来、「重箱の隅をつつく」姿自体があまり褒められたものではないぞぃ。重箱の説明は今さらなので省くとして、要は重箱の隅(四隅といったほうがいいかも)にある(残った)ものをつつ

  • 合縁奇縁(あいえんきえん)

    縁とは不思議なもの。人と気持ちが通じ合ったり、そうでなかったり・・・こういったことは縁によるものだと昔から言われてきたのじゃ。一生独身で通すなんて方もいるかもしれぬがの、たいがいごく普通の方は結婚して新たな家庭を育んでいくもの。合縁奇縁的に言えば、パートナーとの出会いもある種の縁ということになるかのぅ。 合縁奇縁とは、人と気持ちが通じ合うも、通じ合わぬも、縁によるもの、ということじゃ。合縁とは気心

  • 臭いものに蓋

    着物に見る隠す文化?で、「隠す」ことは日本人の美徳・美意識であることをわらわは書いたの。しかしじゃ、この「隠す」は別の側面を持っておる。その方らも「臭いものに蓋」という言葉を知っておるじゃろ? 己に都合の悪い物事などを解決しようと考えず、一時しのぎの体で隠す、ということじゃな。何やらわらわ達には、少々耳が痛いの・・・。 己に都合の悪いこと、世間体が悪いと感じることなどは隠したい、知られたくないと人

  • 石の上にも三年

    「石の上にも三年」はよく聞かれる諺じゃ。「我慢も必要!」と説く御仁たちには、格好の題材となる言葉なのやもしれぬ。半面、ある種の人間たちからはいろいろ批判されているようじゃの。 ある御仁は「石の上にも三年」を古臭い価値観にまみれたものと言う。また、我慢・忍耐が大切という都合のよい考えを私たち(若者かの?)に押し付けないでと思う者もおる。我慢している時間があるのなら、違うこと(仕事・キャリアのことかの

  • 知足安分~事足りる

    今日は「事足りる」「知足安分(ちそくあんぶん)」を取り上げてみようぞ。 わらわは、幼い頃からばばさまやかあさまに「人間は事足りることを学ばねばならぬ」と言われ続けてきたのじゃ。今思えば、子供心に何となくではあるが、言葉の意味は察していたと思うの。 さて、老子による「知足安分」という言葉じゃが・・・ 「満足することを知ることが肝心である。これがないと、どんなに豊かになったとしてもけっして心に平安は訪

  • 風邪の神は膳の下に隠れている

    数日前にひいてしもうた風邪じゃが、どうやら治ったようじゃ。 冬場に向かう時期に風邪をひく御仁は多いようじゃの。御多分に漏れず、わらわもそうじゃったけどの・・・。この時期、上手い具合に風邪をひいてしもうたので、今日は風邪に関する言葉を一つ挙げてみようぞぃ。 昔からの、「風邪の神は膳の下に隠れている」とよく言われておるのじゃよ。簡単に説明すると、「風邪の神は常に膳の下に隠れていて、あまり飯を食わない者

  • 喉元過ぎれば熱さを忘れる

    有名な諺じゃな。日常的にいたるところでこの諺は使われているようじゃ。苦しいことや辛いことも、時が経つにつれて、その苦しさや人から受けた恩なども簡単に忘れてしまうということじゃの。 己の人生で苦しい時期は誰にもあるものじゃ。そんな時、他人様から救いの手が差し伸べられることもままあるものよの(恩)。その時は、土下座してうれし涙を流す如くであったにもかかわらず、時が経てば経つほど、その時の思いは忘却の彼

  • 情けは人の為ならず

    「情けは人の為ならず」とは、人に情けをかけるのは、その人のためになるだけではない。めぐりめぐってその情けは自分に返ってくる、ということじゃ。昔の御仁は「だから人には親切にせねばならぬ」と言うておったようじゃの。 「情けが仇」とは、相手に好意などを持ってなした事が、あろうことか良くない結果を招いてしまうということじゃの。 「情け」とは俗に「人情」と呼ばれておっての、今の時代じゃと「思いやり」なぞがし

  • 因果応報

    因果応報という言葉は比較的日常でも聞くものじゃろうて。今更意味など説明する必要もなかろうが、行いの良し悪し(に応じて)で報いがあるということじゃ。 因果はもともと仏教語での、仏教では「業の因果」が説明されておる。要するに、良い行いをすれば良い報いがあり(善因善果)、悪い行いをなせば悪い報いがある(悪因悪果)ということじゃ。また、業に基づいた価値観(?)では、善が楽を生み出し(善因楽果)、悪が苦を生