• 「読書について」小林秀雄 新潮社

    小林初期の数ページほどの短文です。初期の小林らしい江戸っ子気質が窺える威勢のいい啖呵を切ったような短い文章ですが、わたしは若い頃この短文を読み、どれほど勇気づけられ励まされたか知れません。この短文は最後にこう締め括られています。「良書は、どのような良書であれ、たった一つのことしか語っていはしない。君は君自身になり給えと。君に何が欠けていようか。」手元に本がないため、記憶の中の不手際な引用ですが、こ

  • 「地中海の感興」ポール・ヴァレリー 平凡社ライブラリー

    ヴァレリーは、ベルクソンやアランと並ぶ同時代の哲学者で、詩人でもあり批評家でもありました。明晰な純粋意識を徹底して実験して見せた『テスト氏』は、数学的な意識研究報告書といっていいものです。『ドガ・ダンス・デッサン』では親交のあった画家ドガの言葉をモチーフに、批評文のあらゆる可能性が試され、深遠な哲学、明晰な批評、また、底抜けの冗談まで盛り込まれています。この「地中海の感興」はヴァレリーに近づくもっ

  • 「物質と記憶」ベルクソン 法政大学出版

    精神と脳との関係は、パラレルではないことを結論づけた哲学史上画期的な論攷です。ベルクソンはこの著作のために長年失語症の研究を行いました。その知見の上で、脳は現実世界に対する注意の器官であって、記憶を司っているのは精神であると述べ、両者は確かに密接な関係にあるが、決して厳密な対応関係にはないと論じます。しかしながら、この複雑極まる論攷を手短に要約することは不可能です。詳細は本書に委せます。ただ、読解

  • 「笑い」ベルクソン 岩波文庫

    重厚で難解な著作の多いベルクソンの中では、比較的軽いと言ってよい論考ですが、ベルクソンの並外れた直観力と鋭敏な分析力が十分に味わえる「笑い」についての卓越した名著です。笑いの本源的な勘所を「こわばり」に見、この一見なんでもないように思える言葉から、するどくたくましい分析力によって笑いの本質そのものまで浮き彫りにするようです。読者はこの書物の至る所で思わず知らず屈託のない笑いに誘われることでしょう。

  • 「ロミオとジュリエット」シェイクスピア 新潮文庫

    シェイクスピアの作品の登場人物の中では、年齢が特定されている人物は数名ほどですが、ジュリエットはその中でもはっきりと十四才とされています。これは真剣な恋愛をするのには十四才で十分だということを物語っているようです。この「ロミオとジュリエット」は、悲劇と喜劇との境を紙一重の差で行き来するように見えます。結局些細なすれ違によるミスから悲劇となって終わりますが、もし、あのときああだったらと、悔恨にも似た

  • 「ジュリアス・シーザー」シェイクスピア 新潮文庫

    シェイクスピアのギリシア政治劇です。「ブルータスお前もか。」の名台詞が見えます。シェイクスピアの中ではもっとも男らしい剛毅果断な悲劇と言っていいでしょう。作中「あの男はおそろしい、何を考えているか分からぬ。あの男は痩せているからだ。」という文句は、後世の心理学者クレッチマーを刺激して、今でも人々によく知られている体型心理学の基礎を作り出しました。ギリシア政治家たちの話し振りや立ち居振る舞いまで、彷

  • 「真夏の夜の夢」シェイクスピア 新潮文庫

    シェイクスピアの作品にはおよそ必ずと言っていいほど原作となる種本があるのですが、この劇には筋となる種本がないそうです。まさしく真夏の夜に見る夢のような筋書きのない劇が進行します。劇が終わった後には、じつにあざやかな夢から覚めたような気持ちにさせられます。シェイクスピアは詩人としてその経歴をスタートさせたと言われていますが、この劇はそのシェイクスピアの無垢な詩的才能が全面に溢れ出た雅やかな喜劇です。

  • 「お気に召すまま」シェイクスピア 新潮文庫

    シェイクスピアの前期の喜劇です。シェイクスピアと言えば、ハムレットなどの四大悲劇を中心に考えますが、この見方は、実は、ロマン主義文学台頭の時代以降のもので、それ以前の時代のシェイクスピア観では、中期の四大悲劇よりも、前期の喜劇の方が、優れているとされていました。この「お気に召すまま」では、人間は自然とどう向き合うのかがテーマとなっています。主人公の貴族は、自分の棲み家を森の中と定め、配下の家来たち

  • 「ぼくならこう考える」吉本隆明 講談社文庫

    戦後思想を代表する著者が、晩年、若い人に向けて書いたエッセーです。いわゆる処世法と言っていいものですが、世にいう処世術とはひと味違います。吉本の長年に渡って、戦後思想に心を砕いてきた思想家としての裏付けがあるからでしょう。雅俗が奇妙に混交する著者の思想が、ようやく晩年になって、得心のいく表現法を見出した感があります。ここで、一人の人間が確かに自分のかんがえを、自分のことばで語っていると強く思わせる

  • 「吉田茂」今日出海 文春文庫

    戦後を代表する総理大臣吉田茂は、第一級の政治家だったと言っていいでしょう。この書はその吉田と交友のあった今が、慎重に公平な視点で描いた等身大の吉田茂像です。著者の今は親友の小林秀雄から吉田のことを菊池寛と似ていないかと聞かれたとき、「うまそうな葉巻を吸っていたから、一本くれと言ったら、くれたよ。そのくれ方のケチなところなんざ、菊池寛そっくりだよ。」と言ったそうです。

  • 「幼年時代」トルストイ 新潮文庫

    大人物トルストイの幼年期の溌剌とした感受性を伝える得難い名著です。トルストイの父母は、トルストイがごく幼いころ、死に別れしましたが、貴族の家の中で、なに不自由なく育てられたと伝記は伝えています。ここには、幼年時代の少年らしさが、まことに飾り気なく、まっすぐな幸福感に満ちた感情で表現され、後年の苦悩に満ちたトルストイの人生が、にわかに信じ難いほどです。生まれたままの直線をどこまでも、とことん伸ばして

  • 「少し枯れた話」高橋義孝 中公文庫

    高橋義孝は、ドイツ文学者です。フロイトの主著などの名訳があります。相撲がたいへん好きな人で、晩年には横綱審議委員なども務めています。この本は、その著者が日頃の雑感を集めたもので、「わたしは、一日に一度は辞書を開かない人間を信用できない」という言葉から、著者の並々ならない言葉への愛着が感じられます。平凡人をこよなく愛した碩学でした。

  • 「文藝復興」林達夫 中公文庫

    林達夫はフランス文学者で、まとまった著作がほとんどない人でした。この書物も、雑多な文章を集めたものと言ってよく、どれも書き流された感がありますが、そのために発想は自由で自在、ときにきらめくような文章に出会います。哲学者の三木清とも交流があり、その経緯を書いた文章が他の書物に見えます。日本のモラリストといってよい学者でした。

  • 「風の歌を聴け」村上春樹 講談社文庫

    村上の処女作です。ねずみと呼ばれる奇妙な男が登場しますが、曰く言いがたいリアリティーを持った男です。「羊をめぐる冒険」でも、やはりこのねずみが登場するのですが、村上の内面の心と切っても切れない関係を持った物語上の登場人物であることは、論をまちません。その内面の分析よりも、むしろ、その風の歌のような実在性にわたしは心をひかれます。

  • 「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」村上春樹 新潮文庫

    この小説も二つの物語が、同時進行します。ユニコーンと言われる一角獣の骨の標本が、二つの話をつなぐ支点となっていますが、両話がどう繋がっているのかは、読者の判断に委せられているようです。ハードボイルドと静かな物語。ここで、村上の言いたかったというようなことを憶測するのは、野暮というものでしょう。村上は書きたかったことを書いたのです。村上の小説には「もの」に対する愛惜がにじみ出ているようなところがある

  • 「ねじまき鳥クリニクル」村上春樹 新潮文庫

    ある意味で、勧善懲悪的な物語と言っていいのですが、村上の語り口には、真新しさがあります。かなり残酷な場面が精細に描かれるのですが、読む者は、むしろ、目を背けることなく、作者と一緒になって、そうした場面が展開していくのに見入ってしまうようです。物語が終わった後は、明るい悪夢から目覚めたような気にさせられます。村上の佳品です。

  • 「海辺のカフカ」村上春樹 新潮文庫

    15才の少年が主人公です。猫と話せる中田さんも忘れがたい副主人公です。村上の文体には明るさがあります。これは、村上の確固とした人柄から直に来ているもののように感じられます。この「海辺のカフカ」では、フロイトやユングの深層心理学から得られた知見を十分に活用し、それを間然とすることのない物語に熟なして作り上げています。少年と中田さんの二つの物語が同時進行しますが、最後にそれが、古代文様の二匹のトカゲの

  • 「羊をめぐる冒険」村上春樹 講談社文庫

    ノーベル文学賞との噂の高い、村上春樹の初期の作品です。読む人の意表を突く巧みで斬新な比喩と、テンポの良いきびきびとした文体を用い、読む者をファンタジーとリアリズムの交錯する世界に引き入れます。村上ワールドと言われていますが、およそ、日本の近代文学には、その著者の家風に馴染まないと、読んでいけないような敷居の高さがありましたが、村上の作品はそこから抜け出して、土足で踏み込んで平気なような明るい開放感

  • 「ソクラテス」田中美知太郎 岩波新書

    田中美知太郎はギリシア哲学が専門の哲学者です。この人は、実のところ、ソクラテスにしか本当の興味を抱かなかった生まれながらの哲学者だった人と言っていいでしょう。プラトンの著作の数多くの名訳があります。剛直な論理の使い手で、西洋哲学を自分のものにするためには、三段論法を本当にしっかりやらなければならないと強調します。ソクラテスのもっとも大きな美点に比喩の天才を見るところは、田中美知太郎ならではの慧眼と

  • 「明治大正史 世相篇」柳田國男 講談社学術文庫

    この歴史には、固有名詞がまるで出てきません。柳田は、ある特別の人物に焦点を当てなくても、歴史を書くことができるという信念のもと、「常人」と柳田が言う普通一般の人々を考察の対象とし、見事に明治から大正にわたる歴史を書き上げました。書中、「日本人は開国以来、軽度の興奮状態にあるのではないか」という言葉は、今のわれわれにもそのまま通用する非常な卓見のように思えます。民俗学の第一人者による「常民」の歴史で

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