• 一周忌

    6日が息子が亡くなって1年になる・・・ なので、昨日 一周忌の法要を済ませました。 身内だけで済ませました。 最後にお坊さんからの説法には ポロポロと涙が流れて良い話を聞かせて頂きました。 その後、皆んなで食事をしたんだけど やはり、リビングから見える椿の花が気になった私は あの写真の話しをして後悔してるって泣きながら話しました。 そして夜に、心配した妹から電話があり 今日は皆んなが居たから 大丈

  • あの日も写真を

    次男が亡くなった12月6日の午前中、まさにその時間 私は 何も知らず リビングから見える椿の花の写真を撮っていた。 昨日の事の様に思えるが、1年も経つんだね。 あの時の自分に話したい、写真なんか撮ってないで次男の所に行きなさいと。

  • 認知症

    以前にも書きましたが、私の仕事は高齢者の介護です。 認知症のグループホーム、比較的、自分の身の回りの事は 自分で出来る方が殆どで、足腰もシッカリしてる方々ですが 認知症なので三歩、歩いたら何やるんだか?解らない。 そんな方々ばかりで、息子が亡くなる前は 自分は、こうはなりたく無いと思ってました。 でもね、今は羨ましいと思う事があって あの方々達は、亡くなった方が生きているんです。 亡くなった事を忘

  • 12月7日 Part2

    前回からの続き 警官に案内されたのは、外へ出て署の一角にある 事故車両などを検証する様なガレージみたいな小屋へ え?なにここ?こんな小屋に息子が? パレットみたいな薄い板の上に息子が、毛布一枚掛けてあるだけで 横たわっていた。 毛布を少し開けると、亡くなった時のままの顔 顎のラインに沿って赤いあとが(縊死でした) 舌も出たままで目は半開き、私はその顔見た途端、「何でこんな事したの」 「何で電話に出

  • 2016年12月7日Part1

    悪夢の始まり。 私の仕事は 高齢者の介護施設で仕事をしてます。 あの日私は職場で息子の死を知る事となった。 職場で携帯電話はロッカーに入れてあった為 誰からも連絡がつかなかった。 (転職したばかりで職場の連絡先を家族に伝えて無かった為) 後から携帯電話を見ると 警察や長男、旦那からの着信があった。 連絡がつかない事もあり旦那が職場まで来た。 その時私は 利用者さんの入浴介助をしてました。 すると「

  • 家族

    いつも寄り添ってくれて ありがとね! 息子は穏やかで優しい性格だったから、そんな息子にもベッタリくっついてたわけで‥ たまに天井やら息子の部屋をジィ〜っと見てる‥ なんだろう??と思うけど猫にしか見えない何かがあるのかな。

  • きっかけ

    ブログに関してはスーパー初心者の私ですが ブログを書いてみようと思ったのは、 再び息子に会えるまで、 もう少し時間がかかりそうなので、 それまで1日1日を少しでも前向きに生きていられるように… 不慣れなのでユックリの更新になるけれど‥

  • 再び会えるまで

    2017年4月 桜が満開になってきた!とワクワクしてた。 やっと暖かくなってきて、単純に嬉しかった。 普通のことだったのに‥ 春… 25歳の長男は自ら旅立ってしまいました。 数時間前は一緒に夕飯のハンバーグを食べ、普通に会話をしていた。笑顔で。 息子は小さい頃から、よく笑っていた。おかしくて笑うより、微笑んでいる。そんな感じだった。穏やかにいつも微笑んでいた。

  • お兄ちゃん

    家族、友人、恋人、 誰にも言えない気持ちをぽつぽつ。 兄が亡くなって1ヶ月が経ちました。 あっとゆうまに感じたり 遠い昔の事に感じたり、、、 日々の暮らしに戻りつつも 「お兄ちゃん、本当にもういないの?」 そう祭壇の遺骨に語りかけています。 兄は不思議で変わった人でした。 死=悪では無い。昔からそう言って、 俺は長生きしたくないって、、 高校生くらいのころには自殺に興味を示していたみたいです。 死

  • 遺された家族達

    それから何度も 旦那の家族と時間を過ごした。 遺された家族の気持ちを考えると どんなに辛く、哀しいか、 そう思うと、想像すると、私まで辛くて 旦那が遺していった息子を見れば、 きっと皆その時だけでも元気が出る。 私に出来ることはやってあげよう。 その時は、素直にそう思っていた。 何度か私と息子で泊まりにも行った。 私の家族と旦那の家族で遊びにも行った。 皆で息子を囲んで笑顔の時間を過ごした。 私に

  • 供養

    旦那が亡くなったのは産後1週間後。 床上げ前だったけど、毎週毎週欠かさず、 車で1時間弱掛けて供養の為、お寺に通った。 まだまだ新生児の小さな息子を連れて。 まだまだ産まれたての赤ちゃんなのに、 連れ回して本当に申し訳無かった。 まだ色んな事を普通に考える余裕も無く、 この時の記憶も殆ど無く、 ただ、母が後から言っていたのは、 産後間もない私の体を気遣う様子は無かった と。 確かに今思うとそうだっ

  • 負のループ

    旦那がこの世から居なくなって、 あんな最後を迎えて、 毎日が真っ暗だった。 自分を責め、旦那を責め、不倫相手を責め、 だからって何一つ救われる事はなく、 泥沼から抜け出せずボロボロだった。 息子が居てくれる事が唯一、生きる希望であり、 私は生きないといけないと、私を掻き立てるものであった。 それでも、 朝がくると絶望で、 夜寝る時はこのまま目が覚めなければ と、毎日毎日思った。 息をするだけでも、

  • お葬式

    お葬式の日。 この日の事も殆ど記憶が無い。 また親戚や親に囲まれて、 支えられながら、お葬式へ行った。 とても暑い日だった。 覚えてるのは、 喪主だから、 焼却炉の鍵を回さないと行けなくて でも、この鍵を回したら、 焼かれてしまう。 もう二度と姿を見れない。 もう二度と触れられない。 そう思うと私には回せなかった。 だから、お義父さんが一緒に回してくれた。 焼き上がり、 喉仏を運ぶのに、手が震えて

  • お通夜

    お通夜の日。 親戚も一緒に参加してくれる事になり、 大きなレンタカーを借りて皆で向かった。 まだ生後間もない息子も連れて。 まだこの時も現実味の無い私だった。 きっと 何かの間違いで、 きっと これはドッキリで、 きっと ごめんね、許してくれ その為にこんなイタズラしたのだと きっとそうだと、自分に言い聞かせてた。 でも、葬儀場に着いて、 目に飛び込んで来た旦那の名前。 一気に心臓がバクバクして

  • 受け止めきれない現実

    その後、母に電話が来た。 電話口で、明らかに慌て、そして絶句している母。 一瞬で、 普通じゃない、嫌な予感がした。 それからの事はあまり詳しく記憶が無い。 断片的にしか、記憶が無い。 母は私に嘘をついた。 自殺未遂をして、今病院に運ばれてる。 と。 でも、友達から、 大丈夫?明日の通夜行くからね。 と、ラインが入り、私も事実を知ってしまった。 取り乱す私を必死に支えてくれる母だったと思う。 本当に

  • 誰よりも大切な存在

    色んな事があり過ぎて、 充実した、幸福に溢れた妊婦生活なんて全く送れなかったけど、 産む前から心に刻んでた事がある。 “この子は私の子” “私が命を掛けて守り産み育てていく” どうしても旦那が許せなくて、 最低な事を言われたり、 それでも子供に罪はない。 私のお腹を蹴るこの子は、かけがえのない“私の子” 旦那の子だから、大切にするんじゃない。 私の子だから命を掛けるんだ。 って、思って、出産に臨ん

  • 出産

    それから無事、警察に保護された旦那。 私は数日後、陣痛が来た。 無事に産まれた。 陣痛中に駆け付けてくれて、ずっとそばに居てくれた彼のお母さん。 産まれてから1時間後、 申し訳なさそうに、バツが悪そうに旦那が来た。 産まれたばかりの我が子を抱いて泣いてた。 ずっと、泣いてた。 あの時、何を思って居たんだろう。 首の傷何? って聞いたら、 虫刺され! なんて言ってたけど、既に前日未遂してたってその後

  • 修羅場

    3人で会う事になった と言っても、勿論堂々と出てくるタイプではない旦那。 夜、先輩の家にいて皆と飲んでる状況で、 私が旦那の車の後部座席に乗り込み待機する。 という強行的な手段。 この時、予定日の一週間前。 お腹が大きくて、なかなか後部座席が狭くてキツかったのを覚えてる。 必死に乗り込み待ってたら、 何も知らず、何も気づかず、 運転席に座る旦那、助手席に不倫相手の女。 この時、不倫相手と私が口裏合

  • 最低な嘘

    なんて連絡したかとか、そんな細々した事はもう覚えてなくて、 ただ、旦那が、その先輩家族達に、 私と離婚したと嘘をついていた事がわかった。 他にも色々な嘘を、数え切れない程並べてた。 私の事を家事も何もしない、 ヒステリック女だと、 私の親の事までも悪く言ってた。 勿論、事実無根ですが。 毎日彼の為にご飯を作り、お弁当を作り、 それは確かに慣れない家事だったけど、 毎日アイロン掛けて、 リュックに仕

  • 知ってしまった日

    彼の態度がおかしくて、 あまりにも冷たくて、 反して、どんどん大きくなっていく私のお腹。 もうすぐ産まれるのに、 冷たくされる毎日がすごく辛かった。 何が理由か分からなかった。 知らない土地という事も手伝って、寂しくて悲しくて、堪らず、意味不明に冷たくされる毎日が、ただ私には生き地獄だった。 何かおかしいと思い、ケータイを見たのは覚えてる。 ラインに男の名前で登録されてる女が沢山いた。 内容とかは

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