• エッセイ 自分を信じるということ <アラン「幸福論」>

    アランの「幸福論」の中に、こんな言葉がある。 「自分を信じるやり方に二つある。一つは学校式のやり方で、そのままの自分を信じるということ。もう一つは職場式のやり方で、自分を全く信じないというやり方である。」 どちらも軸となっているのは、自分であることに注目したい。 「ありのままの自分」とか「自分らしく」というような、今、はやりの言葉がある。これは、そのまま自分に酔って、自分と戯れることだけに終わって

  • エッセイ 「罪と罰」再考

    ある「罪と罰」の本の帯に、「ラスコーリニコフは、偶然、犯した第2の殺人によって自白する。」と書かれていた。だが、これは、大きな誤りであって、ドストエフスキーという詩人の思想を誤解するものである。「罪と罰」が感傷家によって、読まれた一例でもあるだろう。 こう質問してみよう。もし、偶然、リザヴェーダが居合わせなかったとしたら、彼は自白しなかったのであろうか。偶然とは、よくない言葉である。 ラスコーリニ

  • エッセイ 自由という女神 「『罪と罰』考」

    「罪と罰」のラスコーリニコフは、自分で抱いた自由思想を全人格で実践した男である。そこには、何の妥協もないのであって、誰にも、それを止める力はなかった。そうして、凶行を遂げた後に、良心の呵責が容赦なく襲いかかっても、自由を追い求める彼の悪魔的な頑強な人格は、それによって、崩壊することはないのである。そうなのである。彼は、豊かな良心を持った殺人者という、一見、不可能と見えるパラドックスを、強硬に生き抜

  • 存在は観念(ヒューム)

    ヒュームによれば、必然的な存在は、思考の一方向の動きであり、観念は思考の再現である。 よって、存在は観念である 観念は各自独立している。 何かを反省することと(経験すること)は、それを存在するもの(観念)として反省すること(経験すること)と同じである。 よって、私たちの経験というのは、経験の対象となったものに観念を与えることだと考える。 つまり、ヒュームが言わんとしているのは、この世には真の必然性

  • モラベックのパラドックス

       20世紀について考えてみる。  それは①世界規模の戦争が起こった世紀であり、     ②資本主義と社会主義のという壮大な「実験」が起こった世紀であり、     ③テクノロジーと地球環境の関係を考え始めた世紀である[2]  国と国の境界が希薄化する中で、時には争い、時には協力する。すべては国の利益、物質的豊かさを最大化するために。20世紀は、そんな「経済の世紀」だったと考えられている。  では

  • 真実について思うこと

     プラトンのイデア論にしても、人間というものは真実というものの実存を信じてやまない。しかし、人間の意識からではなく認識対象となる物質の側から見たとき、この世界は最初から真実も、嘘もなく、ただ厳然たる事実のみがあると悟るかもしれない。世界に存在するすべての人間は、そうした厳然たる事実の中から自らに都合の良い事実だけを真実と誤認して生きている、と。ただ、この現状を変えるすべを人間は持たない。なぜなら、

  • エッセイ 教育者としての矛盾

    教育者の資質としての一つに、どれだけ大きな矛盾を抱えられるかということがある。 昨日、言っていたことと今日、言っていることと違うと気にしているようでは駄目である。むしろ、進んで今日言っていたこととは、矛盾することを明日言うべきである。 何も、でたらめを言えば良いと言っているのではない。 ガンジーの言葉を引こう。 「明日、逝くがごとく生活し、永遠に生きるがごとく、学べ」 生ということについて、明らか

  • 有酸素運動が筋トレの効果をより高めることになります。その33

    第11から15話。途中からこの年末年始の様子を綴ってます。

  • ショスタコーヴィッチ 「交響曲第15番」バルシャイ

    ショスタコーヴィチが気になっていた。この政治的に極めて奇怪な経験をした作曲家は、つい最近まで生きていた現代人だが、ロマン主義でもなく、シュトックハウゼンのような実験的で前衛的な音楽家でもない。 シンフォニー15番はテレビのNHK交響楽団で聞いたのだが、その不思議な音が忘れられなくて、ネットで色々検索してみたが、何故か15番だけ聞けなかった。5年ほど前の話である。(今は、ネットで配信されていますが、

  • タバコの効用 (補足) <実際の効用&噂の効用>

    閑話休題 実際に確かめられている効用。 〇気晴らし。(ある田舎のお医者さんは、歳を取ったおばあさんに喫煙を勧める。確か    に、刺激にもなるし、気晴らしにはもってこいであろう。) 〇軽度な不眠症状への対処。(刺激物であるにも関わらず、入眠障害に効く。) 〇排便作用。(便秘がちの人には、朗報であろう。) 〇気を落ち着かせる。(一本の煙草で、約2,3時間の効果がある。これは、体質による であろうか。

  • 私に今すぐ必要な物

    カルシュウムと糖分と親身になったくれる相談員さん。 皆様は年末まだまだお忙しいですか? 私はマイペースに病んでます(;´д`)トホホ 年末商戦だの福袋だの関係ない生活しとります。 なので、この闇の様になってしまった私のブログも年内いくつの記事を書くのか分かりません。 ご機嫌で書くことは年内は無いと断言できちゃうと思いますよ(;´д`)トホホ 今年、身内に不幸がありそもそもお正月のお祝いもしませんし

  • タバコについて <禁煙の弊害&タバコの効用私見> 

    閑話休題 タバコは、インディカの宗教儀礼で使われていたことを先に書いたが、一般的な見解として、宗教儀礼に使われるようなものに、強烈な毒があるとは、とてもかんがえ難いことである。 イギリスにたばこが渡ったとき、これは、頭に良く効く煙だという噂が立ち、学業に励む子供たちに喫煙させたものでさえある。 現在、禁煙運動は、まだまだ世界的に盛んなようであるが、日本の公共のテレビなどでは、そういう運動は放映され

  • 有酸素運動が筋トレの効果をより高めることになります。その2

    第6話から11話の更新情報を記載します。

  • タバコの常識と功罪 <当り前なあまりにも当り前な>

    閑話休題 あまりに、当たり前なこと過ぎるので、閑話休題として書かせて頂くことにしたい。 まず、現今、タバコの受動喫煙の害というものが取り沙汰されている。ある統計(統計というのは、実は、たいへん恣意的なものなのだが)の推計によるとほぼ1万5千人が肺ガンになるリスクを負っていると言う。 それで、もしそうであるならば、何故、国は、ガソリン車やディーゼル車等の排気ガスによる健康被害のリスクの推計を取らない

  • 一人間としての存在

    「人とはどうあるべきか」と問われても それがどれだけ教養のある人だろうが それがどれだけ薄汚れた世界を生きてきた人たちだろうが 結局根底にあることはただ一つ 常に目の前にある非常な現実と、既に逃れようのない過去の事実である終焉、つまりは死への恐怖から逃れたい辛辣な思いだけである このことに対しただ人は、自分に都合の良い言葉で都合よく自分を肯定し、他はそうした信条を持たない存在だと思い込み、否定する

  • 文系トップが理転して苦労した話(2)

    いざ!理転   理転するというのは、成績の面から言えば、僕にはデメリットしかありませんでした。文系の時は、みなさんご存知の進研模試、全統模試で全国単位で名をとどろかせていたのに(大体いつも全国で数十番以内でした)、このまま勉強していけば無事志望校に合格もできていたのに、全くタイプが別の理系に変えるなんて!今思っても血迷ったとしか思えません。キリスト教世界では「神の導き」というそうですが、それに近い

  • ホロヴィッツ「スクリャービン」エチュードOp8作品No12

    ホロヴィッツが分かるようになり、とても好きになった作曲家がスクリャービンであった。ホロヴィッツが分からなかった理由は他でもない。このピアニストが実に癖のない理想的なピアニストであることに由来していた。 ピアニストの模範といわれるほど、そのピアノを弾く姿勢から打鍵のタッチに至るまで、隙がまったくない。私心を全く廃して、作曲家や作品にそのまま入り込んで、個人的な恣意というものがまったくない。 そのこと

  • 文系トップが理転して苦しんだ話(1)

    血迷った契機   今回、受験に関して自分のプロフィールをさらそうと血迷ったのには理由があります。  それは、「やりたいこと、やってる?」と考えたからです。      「ただ何となくで勉強しているのでは?」ということです。  そこで、数ある受験体験談の中でも稀な経歴を持つ僕(むしろバカ)が、これから受験戦争に飛び込んでいく後輩たち、大学へ、やりたい放題やってきた僕の過去を暴露して、         

  • ハムレット <高貴な自由精神の悲劇>

    ハムレットは復讐劇である。忠臣蔵がそうであるように悲劇に終わるより他はない劇である。ただ、ハムレットは非常に多弁で、内蔵助は非常に寡黙であるということは、また、別の話になるのだが。 ハムレットの自由精神は、比喩を使えば、いわば、復讐心という暗い感情を垂直軸にして、その回りを振り幅が非常に大きい螺旋状に下降する感情として運動していき、最後の大団円で、それが交わるように、描かれているように見える。そう

  • リパッティ モーツァルトK310<形而上学の可能性>

    ずいぶん前から聴いている曲だが、このピアノソナタはリパッティの演奏が一番よいと思っている。だが、リパッティはモーツァルトのピアノソナタでは、この「K310」一曲しか残していない。早逝もあるが、なぜわざわざこの一曲なのだろうと、いろいろ想像を巡らしていた。 というのは、ショーペンハウアーが「意志と表象としての世界」の中で、形而上学を語るときに、音楽でしか形而上学は完成しないだろうと断って、あえてとで

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