• 【西願寺】(せいがんじ)大阪府八尾市

    大阪府八尾本町筋商店街 ファミリーロードを西の方向へ歩いていくと「八尾天満宮」の鳥居が見えてきます。その手前に融通念仏宗【西願寺】(せいがんじ)があります。由緒等は不明です。 住所:大阪府八尾市桂町2-59 アクセス:近鉄八尾駅より700m (撮影:2017/5/28)

  • 【水月山勝福寺】(羅漢寺) 大東市

    【水月山勝福寺】(羅漢寺) 大東市 勝福寺は、慶長元年(1596年)に、当地の有力農民・東治左右衛門により、東氏の持仏堂として創建されたと伝えられており、曹洞宗に属し、十一面千手観世音菩薩を本尊としています。本堂に沢山の羅漢像が祀られていることから、羅漢寺とも呼ばれているとのことです。 明治18年(1885年)の淀川左岸決壊により大洪水で多くの木像が流された様です。 本堂には高60cm前後の座像が

  • 【灰塚大峯堂】(はいづかおおみねどう)大東市

    大阪府大東市灰塚に【灰塚大峯堂】があります。右横は、【産土神社】(うぶすなじんじゃ)素盞嗚神社が鎮座しています。 堂内には役行者像の他、石仏二体がまつられています。この【灰塚大峯堂】(はいづかおおみねどう)の詳しい由緒などは不明です。また、この大峯堂の前には、明治四十年(1907)の年号がある「大峯山上三十三度」と刻まれた大峰山への参拝記念碑の標石があります。おの標石の上に灯篭が設置されています。

  • 【妙法寺】(みょうほうじ)大阪市東成区

    【妙法寺】(みょうほうじ)大阪市東成区  聖徳太子の創建と伝えられ、近世国学の祖と言われる契沖(けいちゅう)が、延宝7年(1679年)から元禄3年(1690年)まで住職をし、また修学の道場としても有名で、現在大阪府顕彰史跡に指定されています。 「契沖遺跡」(けいちゅういせき) 昭和24年(1949年)に妙法寺境内は、僧契沖遺跡として大阪府顕彰史跡に指定されています。近世国学の祖といわれる契沖は、延

  • 【熊野大神宮】(くまのだいじんぐう) 大阪市東成区

    【熊野大神宮】(くまのだいじんぐう) 大阪市東成区 街道沿いのまちなみが残る大今里の住宅地から少し入ると、妙法寺と並んで熊野大神宮(くまのだいじんぐう)があります。 熊野大神宮の歴史は古く、聖徳太子の開創とされる妙法寺の鎮守社で、熊野十二所権現と呼ばれました。明治維新後の神仏分離で現社名に改めました。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)ほか二柱を奉斉する旧大今里村の氏神で、用明天皇2年の創建と伝えられます

  • 【白高大善神】(はくたかだいぜんしん)大阪市城東区

    【白高大善神】(はくたかだいぜんしん)大阪市城東区 大阪市城東区鴫野西の西鴫野西第3児童公園(さくら公園)の中に【白高大善神】(はくたかだいぜんしん)は鎮座しています。同じ公園内に「日蓮宗身光山妙見閣寺跡」の碑があります。「さくら公園」は南北に長い公園で、一番北側、「慈宝院」というお寺がある前の入り口からはいると【白高大善神】(はくたかだいぜんしん)を見つけやすいと思います。由緒等は不明です。 こ

  • 【阿遅速雄神社行宮】( あちはやおじんじゃあんぐう)大阪市城東区

    【阿遅速雄神社行宮】( あちはやおじんじゃあんぐう)大阪市城東区 寝屋川と第二寝屋川をつなぐ川にかかる橋を渡ったところに鎮座しています。鳥居の向こうには、柵で囲まれた祠があります。御祭神は、アヂスキタカヒコネカミ、八剱大神。 本社の「阿遅速雄神社」(あぢはやおじんじゃ)は放出東に鎮座しています。 アヂスキタカヒコネカミは、大国主命の子で、土地を開き農業を広めた神様です。 住所:大阪府大阪市城東区放

  • 文明開化の町 【御厨会館】と【 御厨行者堂】東大阪市

    文明開化の町 【御厨会館】と【 御厨行者堂】東大阪市 暗越奈良街道沿いに発展した御厨(みくりや)は、明治時代になると、この付近の中心的存在になります。 チョンマゲはザンギリ頭になり、和服から洋服になり、暦も月を中心とする太陰暦(旧暦)から太陽歴に変わりました。 また、街道沿いには、乗合自動車や人力車などが走るようになります。 明治7年2月には、この御厨村に屯所が置かれ、番人が配置されました。同10

  • 【蒲生行者講】(がもうぎょうじゃこう)大阪市城東区

    【蒲生行者講】(がもうぎょうじゃこう)大阪市城東区 住宅街の中にこの規模の地蔵堂は珍しく地元の人達から手厚く管理されているようです。 中に入って、真正面に役行者神変大菩薩(えんのぎょうじゃ じんべんだいぼさつ)。左側に弘法大師空海(こうぼうだいし くうかい)。右側に和合不動明王(わごう ふどうみょうおう)。役行者と不動明王の間に立つ供養塔の陰に御鎮座まします光長大明神(みつなが だいみょうじん)で

  • 【北榮稲荷大明神】(きたさかえいなりだいみょうじん)大阪市城東区

    【北榮稲荷大明神】(きたさかえいなりだいみょうじん)大阪市城東区 城東区今福3丁目あたりの路地を歩いていてこの稲荷さんを見つけました。家と家の狭間に鎮座しています。奥ゆきがあり鳥居からお稲荷さんまで数メートルあります。長い参道にお百度石があります。この稲荷大神の由緒等は不明です。改修記念の額がかかっていたので、昔からあったお稲荷さんかもしれません。 場所:大阪市城東区今福3丁目付近 (撮影:201

  • 【蒲生大弁財天】(がもおだいべんざいてん)【誓願地蔵尊】(せいがんじぞうそん)大阪市城東区

    【蒲生大弁財天】(がもおだいべんざいてん)【誓願地蔵尊】(せいがんじぞうそん) 京橋駅から歩いて約8分(約500m)、大阪市城東区蒲生1丁目に【蒲生大弁財天】(がもおだいべんざいてん)【誓願地蔵尊】(せいがんじぞうそん)が鎮座しています。真ん中に赤い鳥居がありますが、左側に地蔵尊、右側に社殿、さらにその右には教会があります。そして裏は小さな児童公園になっています。 場所:大阪府大阪市城東区蒲生1丁

  • 【聖徳太子堂】(しょうとくたいしどう)大東市太子田

    【聖徳太子堂】(しょうとくたいしどう)大東市太子田 大東市太子田に鎮座する「大神社」西側の【聖徳太子堂】には、聖徳太子十六歳の孝養像(きょうようぞう)が安置されている。いい伝えによれば、この付近に善根寺という七堂伽藍の達ち並ぶ大きな寺があったが、何時の頃か廃絶してしまい、この太子堂のみが、往時のおもかげを今に伝えるものという。古くからの太子信仰が今に継承されており、本市でも貴重なものである。太子田

  • 【北野神社】と【泉勝寺】 大東市

    【北野神社】と【泉勝寺】 大東市 天文八年(1539)正月六日と裏書の「方便法身尊像」が保存。 山門の左側に北野神社も大改築されている。祭神(さいじん)は菅原道真。赤井はもともと氷野地域と一体。北野神社は大東町(桃山時代の形式を残している象鼻一対、蟇股かえるまた三個が保存)にある。少し距離があるので、地元赤井に分祀。【北野神社】と【泉勝寺】の間に地蔵堂もあります。 住所:大阪市大東市赤井2-13 

  • 【させん堂不動寺】大阪市城東区

    【させん堂不動寺】大阪市城東区 真言宗の寺院。本尊は不動明王。豊臣秀吉が大坂城を築城した時、現在の生玉神社のあたりにあった不動堂は取り壊され、慶長7年(1602年)東成郡木野村に再建されましたが、その後たびたび水害に見舞われたので、宝暦9年(1759年)に現在の場所に移されました。大阪四不動尊詣のひとつとして、東方を担っています。  江戸時代には広く信者を集め、参詣の列が絶えないほどの賑わいでした

  • 【波切不動尊】(なみきりじぞうそん)大阪市西成区

    【波切不動尊】(なみきりじぞうそん)大阪市西成区 「水かけ不動明王」とも呼ばれています。昭和14年(1939年)に現在の松1丁目で発掘され、大きさは約150センチメートル、同年、北側にある西宝寺のそばに祀られました。戦時中、数度の空襲で周囲は焼失しましたが、この不動明王は難を免れたことなどで、日ごと信仰者が増え、願いごとをかなえてくれる不動さんとして参拝者でにぎわっています。 所在地:大阪府大阪市

  • 【南長柄八幡宮】(みなみながら はちまんぐう)大阪市北区

    【南長柄八幡宮】(みなみながら はちまんぐう)大阪市北区 応神天皇を主祭神とします。織田信長が石山合戦で本願寺を攻めたてるための兵糧を備蓄するための古い土蔵が、かつての境内にあったといわれています。 1744年には(かつての)境内の神木の松に、鶴が巣をかけて子を育てたことで、その見物人が増えたとのことです。また、当時の流行歌などにも詠みこまれることがあったといわれています。 住所:大阪府大阪市北区

  • 【渋川神社】(しぶかわじんじゃ)/ 八尾もの市

    【渋川神社】(しぶかわじんじゃ)は、大阪府八尾市植松町にある神社。 若江郡の式内社であり、旧社格は郷社。天忍穂耳尊、饒速日命、國狹槌尊、日高大神、菅原大神を祭神としています。創建の年月は不明。 かつて飛鳥時代に本地域を本拠地としていた物部守屋の渋河の家の跡ともいわれています。もとは旧大和川の東側の字川向にありましたが、天文3年(1533年)の大洪水で境内全域を流失。 この時、浮島神社は数kmほど北

  • 【慈願寺】(じがんじ)八尾市

    【慈願寺】(じがんじ)八尾市 真宗大谷派(東本願寺末)で福井山と号し、開基は信願房法心(しんがんぼうほうしん)です。法心は親鸞聖人(しんらんしょうにん)の関東での布教活動の際に帰依した人物で、親鸞聖人直弟24輩のうち13番目に教えられます。弘安3年(1280)に聖人の遺命により、この法心によって久宝寺村に建てられた道場が慈願寺の始まりであると伝えられています。 15世紀後半、本願寺第8代蓮如上人(

  • 【秋篠寺】(あきしのでら)奈良市

    【秋篠寺】(あきしのでら)奈良市 奈良時代末期780年頃、光仁天皇の勅願によって建立され、開山は善珠僧正と伝えられています。平城京西北の外れ「秋篠」の地に建てられたためこう呼ばれています。平安時代末期に戦火のため伽藍の大部分を焼失し、鎌倉時代には今の本堂がもとの講堂の跡に再興されましたが、金堂や東西両塔の跡は雑木林になってしまっています。本堂に25体安置されている仏像の中でも特に著名なのが伎芸天(

  • 【西大寺】(さいだいじ)奈良市 ②

    【西大寺】(さいだいじ)奈良市 奈良市西大寺芝町にある真言律宗の本山。高野寺(たかのでら)ともいう。南都七大寺・十五大寺の一つ。本尊釈迦如来。平城宮の西方に位置し,東大寺に対して西大寺と称せられた。当寺の創建は764年(天平宝字8)9月に起こった恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱の鎮定を祈願して,孝謙上皇が銅造7尺の四天王像の造立を発願したのに始まり,765年(天平神護1)に四天王像は完成し,四王院(堂)

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