• 鯉と恋の各存在性

    鯉の存在と 恋の存在には 違いがある 鯉は全体性が強い存在であり 恋は部分性が強い存在だ 鯉は個体としての全体 恋は間個体に生じる部分である 恋は社会を形成する部分間の存在であり 個体をより上位の階層たる社会の部分ということになる はやり歌が 鯉より恋を題材としやすい由縁だろう 歌も恋も 間個体的存在である 社会的存在だからだ 部分的存在だからこそ 愛されるのかもしれない ーーーーーーー メモ 恋

  • 美学が制御するシステム

    美しい景色を目の当たりにして その景色が存在することに感謝する その時 自身の目の能力に感謝することを すっかり忘れている 美しいオーケストラの演奏を聴く時も 自身の耳の能力に感謝することを忘れている 美しいと感じる感性があることも 忘れている ただ これらの忘れている事象の総体として 生きている実感を感じることがある 植物は 二酸化炭素と水を取り込み これらの物質を制御して 植物の一部へと変換す

  • 世界の多重性がもたらす多様性

    人間の およそ半分が女で およそ半分が男だ 男であるか 女であるか これはあらかじめ 決められている そう思うしかない 人間であり 猫や犬ではない様に 男や女でいる 先ず身体ありき 言葉を操る能力も 身体あってこそである ただ 身体が先とはならないから複雑だ 身体が成長し 言語能力が備わるはるか前から 言語体系が先んじて存在しており この存在なくして 言語を操れないからである 先ず言葉ありきの世界

  • 組み合わせの妙という結果的必然

    生命が誕生したとき 人間が進化する未来への道筋は ほんの些細な可能性として存在していただろう あまたある生命の潜在的可能性の中で なぜ今いる生き物が生存しているのか? その答えは 歴史の過程における取捨選択の固定化にあり 偶然の結果的必然の中にある 組み合わせは偶然が左右する 確率的現象だ 二つのサイコロを振り 同じ目が出る いわゆるぞろ目になる可能性は 6分の1だ ぞろ目になれば もう一度サイコ

  • 社会の機能と個人の負担について

    縄文時代に移住できるとしたら 何人の仲間と行けば 楽しく暮らせるだろう まずは衣食住だ 熱くても 寒くても 快適に過ごせる服を 確保するために必要な仲間 できれば洗濯機も欲しい すれば電機も必要だ 牡丹鍋もいいけれで やわらかなステーキもたまには食べたい ケーキはどうだろうか チョコレートもあればありがたい 高気密の家は快適だ やはり家は 外部と内部の遮断が大切だ 上水と下水の接続もあった方が快適

  • 現象と構造の共進化

    現象は 反応の連鎖である 構造は 反応主体と反応対象の関係である 関係に応じて 反応の種類と強さが変化する この意味で 関係は 反応の原因となる 反応の種類と強さにより 関係が変化する この意味で 反応は 関係の原因となる 鶏が先か 卵が先かの関係だ 同じ言葉で同じ意味が理解されても 発する人と聞く人の関係により 意味の解釈が異なってくる 構造が現象の差異をもたらすのだ この意味の解釈の違いにより

  • 主体の反応とその対象

    主体があり 対象があり 対象に対する主体の反応がある このようなシステムにおいて 3つの関係がある ①主体と反応の関係 ②対象と反応の関係 ③対象と主体の関係 である ①は 観察により反応を変えるといった 観察と反応 感覚と運動の関連形成といった 内的機構の問題であり 現象学的な課題だ ②は ①の結果として現れる表現型としての一時的な関係である ③は ①②の原因でもあり結果でもある統合的関係である

  • 恣意的関係の恒常化

    言葉と その発音と その意味の関係は それぞれ恣意的だ 何かの法則で きっちりと決まっているということはない だから覚えるより仕方ない 間違えて覚えると 意味が通じない カエルの歌も それぞれのカエルの種類ごとに 決まっていてその通りに歌えないカエルは カエルの社会で通用しない歌を歌うことになる こうなると 「恣意的なのだから」と無視するわけにはいかない 社会から離脱したくないからだ 正当性とは

  • 既存秩序に流される幸せ

    一から始めたわけではない わたしは 人間として始まった そして 人間として終わるのだろう どのような人間か? ということになると 一から始めたところもあるかもしれない その一を始めたのは 物心がつかない頃かもしれない 物心がついた後かもしれない 大人になってからかもしれない 一を二にすることもあり 二にすることもないこともあるだろう ひとりで始めることもあるだろう ひとりでは始められないこともある

  • 全体性の形成因としての部分の反応

    身体は 様々な細胞が それぞれの役割を 見事に演じ 機能的に存在することができている 細胞の中には 死にながら機能している細胞もある 典型例は赤血球だ 血液の流れに乗っている赤血球は 皆、遺伝子を収納する核がない 余分な細胞内小器官を捨て去り 酸素を身体の隅々まで運ぶように特化している 皮膚を覆っている表皮細胞も 面白い運命を描いている 真皮側で細胞分裂を繰り返し 細胞分裂を止めた細胞が 表皮の側

  • 岐阜戦を前に スポーツ公園へ

     まずは、前節新潟との一戦で活躍した選手から。  MF7・松本 怜。  前節J1降格の新潟に苦戦しながらも先制弾、鋭いクロスで相手オウンゴールを誘い勝ち越し点を演出、今シーズンすでに3得点をあげ好調、練習にも気合が。  DF3・那須川 将大。  新潟戦、星に代わり先発出場しアシストで2得点に絡む大活躍・ミニゲームの合間に一人で走り込み。  それでは、  今日のスポーツ公園、多少風があるが日差しが強

  • 淘汰圧により維持される形成因

    ラジオを製造する組み立てキットは 今でも売っているだろうか? 基盤に様々な部品をハンダづけして ラジオを作る プラモデルのように 箱の中に入っている 作り方に従い 丹念に仕上げると きちんと電波を拾い ラジオを聞けるようになる そうはいっても どこかで失敗していると ラジオはうまくならない どこが原因でならないのか 頭をひねることになる 多数の部品からなる機能的存在は 個々の部品の性能が確かなだけ

  • 大樹の陰にある忖度

    首相案件という言葉があるなら ジャニーズ案件という言葉もありそうだ 社長案件も 会長夫人案件もあるのだろう やはり 寄らば大樹の陰 である 「お陰様で上手く行きました」 ということになる お近くに大樹があれば幸いだ そのためにすべきことがある そのすべきことをしたくない場合には 自身が大樹になればいい これが大志だろう 「若者よ、大志を抱け!」 とはよく言ったもので やはり若者だ 大樹は年輪を刻み

  • 持続的継続と一過性の軽率

    大きな畑を 小さな人が耕している 畑の淵には菜の花が咲き 遠方には まだ雪を残した山脈が連なっている 農業体験ができる施設がある 一日だけ 風に吹かれ つちぼこりに紛れ 農家になる 一日だけというのがいい 土を耕し タネの蒔き 雑草と戦い 収穫をする これを 繰り返す 飽きてもなお繰り返す このような 永遠に続くかのような 繰り返しのなかの ほんの一日を 体験させてもらい 翌日には きれいさっぱり

  • 飢えを満たすものへの憧れ

    開放系のシステムは 外部に依存している この依存する対象に対して 開放システムは反応しなければ システムとして機能しない 筋肉は開放系システムであり 血管の欠如により崩壊する 意識は開放系システムであり 外部情報の欠如により空転する 命は開放系システムであり 環境如何により稼働が変化する 牧場は開放系システムであり 経済環境により稼働が変化する 社会は開放系システムであり システム外の要因に大きく

  • 植え替えの季節

    春になると 鉢植えの植物の植え替えをする 勢いのある植物には 勢いのある根が生えている 逆に いじけた植物の根は どこか凝り固まって 広がりがない 植物は 枝葉を育てようとしても 上手く行かない やはり 根を育てなければならない 枯れた根を取り除き 若々しい根を広々と植え直す 衣替えの季節でもある もう何年も着ていない服は 捨ててしまおう ーーーーーー メモ 強い意志をもって継続したいことがある

  • ファンとは?

    スポーツの世界で 日本人が活躍すると やはり、うれしい 楽しい気分になる それとは逆に 期待しているのに 負けると がっかりする ファンとは何だろうか? 無償の愛 そう考えたくなる時がある ひいきのチームが勝つと 何でもおいしく食べれるけれど 負けると 豪華な食事もおいしくない おまけに 不機嫌になり 周囲の方に迷惑までかける 外国のサッカーファンの熱烈ぶりには 驚かされることがある 犯罪まがい

  • よりましなものに

    法治国家は 法の下に人を置く 人の下に人を置くのではなく 情報の下に人を置くのだ 来るべき AI時代の準備なのかもしれない AIの下の平等 権力者の情報も 被権力者の情報も あらゆる情報を取り込み 犯罪を防止する 著しい不平等をもたらす要因を 検知し公開する 権力を維持するためでかの権力行使を抑止し 被権力者のために権力が有用に行使される 何事も 理想だけでできていない できるのは よりましな選択

  • 部品たちの気楽なしゃべり

    多くの部分が機能して はじめて機能する全体がある 全身運動や チームプレーは 部分の機能不全で 全体の能力が低下する 全体を主体とすると 部分は分業の主体だ 部分を主体とすると 部分は全体への編入だ 社会の中にあって 私は 全体に編入して 分業を支える部分である システムへの編入に対する希求と恐怖がある そして システムからの離脱に対する希求と恐怖がある これらの 二種の希求と 二種の恐怖のバラン

  • 個々の迎合により奏でられる体系

    あれもこれも読みたいと たくさん本を出してきても 読めるのは一冊だ 情報としての予定は たくさんの予定を創ることができる 明日、東京へ行く 明日、ニューヨークへ行く 情報は重複が許されるが 実践はそうはいかない 計画と実践の関係はナイーブだ ひとりの持つ情報と ひとりが行う実践でもそうであるのだから たくさんの人の持つ情報と たくさんの人の行う実践の関係は 複雑きまわりない さながら戦国時代の 武

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