• 江戸川柳 色は匂へ  「お・を」の5 大三十日(おおみそか)

    大晦日首でも取って来る気也    いざ出陣、無事のお帰りを。  参考、江戸時代の大晦日の意味を知らないと落語の鑑賞はできない。庶民の支払いは盆と暮れの二期払いか、年4度の支払いとなっており、決済の時期が長かった。  だから、掛け売り代金を取り立てる方も代金を支払う方も、首を取るか取られるかの真剣勝負であった。井原西鶴の世間胸算用「掛け取り上手の五郎左衛門」や町人の生活の悲喜哀歓が伝わってこない。

  • 江戸を見れば 104  柳沢吉保 大老となる

     1706年宝永3年丙戌(ひのえいぬ) 幕府は相も変わらず財政の窮迫を救うために元禄銀の銀の含有量を50パーセントとして新銀貨を鋳造・発行した。  通貨は膨張して実質低下となり物価は騰貴するもそれを抑制する政策は打てなかった。諸物価引き下げ令を出し、暴利の豆腐屋まで処罰する一方、相も変わらず生類憐みの令に違反するものを厳しく処罰した。   生類憐みの令において多くの保護規定が出されたのは、犬に関す

  • 書籍:「池波正太郎を“江戸地図”で歩く」

    この本も図書館で借りました。内容は、「池波正太郎の『江戸三大シリーズ』ともいうべき『鬼平犯科帳』、『剣客商売』、『仕掛人・藤枝梅安』」で描かれた江戸の街路を、古地図と現代地図を通じて新たに読み解いていきます。平成27年に没後25年を迎えた作家・池波正太郎は東京の下町(浅草)に生まれ、そこで体験した幼少期以来の記憶や、 その後、江戸の古地図(切絵図)などを持って東京の町を散策した中から、 その独自の

  • 江戸を見れば 103  伊勢お陰参り大流行

     1705年宝永2年乙酉(きのととり) 幕府は1月に禁裏御料に1万石を増献して、3万石とした。  参考=禁裏御料(きんりごりょう)は皇室の所有地の総称。禁裏とはみだりにその中に入るのを禁ずる意味で、宮中、皇室、御所、禁中のこと。  これは将軍綱吉の皇室尊崇の表れで、文治主義の反映である。  7月には柳沢吉保の引退にあたっての三事(城中出入時の門番らの下座と在所諸大名からの呈書と贈り物の廃止)を決め

  • 江戸を見れば 102  武士に対する刑罰が緩和

     1704年元禄176年甲申(きのえさる) 綱吉の文治政治の象徴ともいうべき湯島の聖堂が前年の大火によって類焼したのを再建し11月に落成、遷座式が催された。  文治主義(ぶんちしゅぎ)の具体化として、武士に対する刑罰の内容が緩和された。半面、幕臣や役職の綱紀の弛緩が現れ始めた。  参考=武士の刑罰例、閉門・逼塞(ひっそく)・遠慮は武士や僧侶に対する監禁刑。自宅での謹慎で閉門が一番に重かった。門や窓

  • 江戸川柳 色は匂へ  「ぬ」の3 抜身 4 濡れの幕

    抜身の中へ飛込むは湯番也     湯屋での喧嘩はつい笑っちゃうね。  抜身=抜いた刀。転じていわゆるふりちん。 義朝はぬき身をさげてうち死し   侍や暴力団員の抜き身は命がけ。 4 濡れの幕   ぬれの幕=濡れは情事の意。歌舞伎で男女の痴態を演じる場面。 ぬれの幕などで仲人返事させ    仲人の作戦。にくいね。 ぬれの幕下女のび上り叱られる   夢中になってしまったわ。 元禄前句附 15 (前句)

  • 江戸を見れば 101  大石ら46人、切腹

     1703年元禄16年癸未(みずのとひつじ) 大石ら46人は2月4日に武士の礼をもって切腹させられた。その家族も縁坐によって処罰され吉良家の一族もそれぞれ処分された。  縁坐=犯罪人の親類縁者が連帯責任を取らされること。  切腹した46人には19人の男子がいたが15歳以上の者は4人で、4月27日に大島に遠島になった。それ以下のものはみな出家となった。  3年後の宝永3年に許されて帰ったが、ひとりだ

  • 江戸川柳 色は匂へ  「ち」の3 地女(ぢおんな)4 乳

    地女にびれつくむす子高がしれ   大胆に金を使えよ。色道を極めれ。 参考 地女=素人女、地ものともいう。びれつく=色気を出す。でれでれする。 「ち」の4 乳 かりた子に乳(ち)さがされてちぢむなり  かあさんじゃない。姉さんだよ。くすぐっ                      たあ。 乳の黒み夫に見せて旅立たせ      分かりましたか。了解。 いい縮み嫁の乳首がすいて見へ     大胆な嫁だ

  • 江戸を見れば 100   赤穂浪士討ち入り事件

     1702年元禄15年壬午(みずのえうま) 将軍 綱吉、時の権力者、老中上座の柳沢吉保。日本国の人心は乱れに乱れていた。  大坂の男伊達五人男処刑。旗本某偽印で町人から借金を斬罪。犬を殺した馬喰、切腹。勤務なしの京町奉行某を罷免、賭博犯を処罰、旗本3人斬首、18人を遠流。農民と商人38人を処罰。  そのような社会状況の中、12月15日の早暁4時ごろ、赤穂藩元家老大石良雄ら旧藩士47人は江戸本所松坂

  • 江戸を見れば 99  「遺恨、覚えたるか。」武士の面目

     1701年元禄14年辛巳(かのとみ) 柳沢吉保(よしやす)(保明)独り舞台の権力者となる。  綱吉は12月26日に柳沢保明の屋敷に出向き、松平の家号と綱吉の名の一字「吉」を与え、徳川家の一族に準ずると面令した。  保明の父安忠は将軍家光に数十年にわたり奉公し、保明(吉保)も20歳代から奉公し、儒学の弟子として人臣の模範として綱吉に奉公した。前例のない側用人から老中上座に異例の栄達をした。  今も

  • 江戸を見れば 98 将軍綱吉の「易経」講義終了

     1700年元禄13年庚辰(かのえたつ) 将軍綱吉が自ら講義した「易経」が11月21日をもって終了した。  1693年、元禄6年4月20日に開講して8年、240回の講座であった。  聴講者は門跡(もんぜき、宮門跡、摂家門跡、准門跡)三家、大名、旗本や僧侶、社人、山伏、保明ら側用人の家人などであった。  参 考 門跡=一門の法跡の意。祖師の法統を継承し、一門を統領する寺、また、その僧侶。皇  子・貴

  • 江戸を見れば 97  金融緩和と物価上昇

     1699年元禄12年己卯(つちのとう) 幕府の無策な政策と金の含有量を減らした悪貨の流通で、通貨は膨張して物価の急激な高騰を招き人民の生活は非常な不安と困窮に襲われた。  それに対して幕府は倹約令を以て対応したのでますます不安定な社会状況となっていった。  大和郡山や江戸の大火、肥前の津波、津軽暴風、肥後・豊後の洪水と日本列島は自然災害で、「捨て子」の再々禁止令を出さなければならないほど人民は生

  • 江戸川柳 色は匂へ  「と」の3 湯治 4 富

    一チ弐もく湯治がえりはつよく成り   退屈は碁を強くする。 湯治場で何にも知らぬ残念さ      勝負事・芸・博打、知らないよ。 湯治から帰ってわるい芸がふえ     花札も強くなったぜ。 「と」の4 富 一の富どこかの者が取りは取り    誰かが取っているはずだからなあ。  参考=一の富は寺社で行う富突と称する富くじの第一の当たり。富札は壱歩で、百両富・千両富などがある。政治が大衆一般を動かす手

  • 江戸川柳 色は匂へ 「へ」の3 下手(へた) 4 部屋持

    下手将棋袖を引かれてねめまわし    えっ。いい手、それともあぶない手。 生きかわり死にかわり出る下手役者   役が多くて、目が回るよ。 4 部屋持 部屋持の細い日なたに桜草    桜草の鉢植えとはいじらしいねえ。  参考=部屋持とは個室を一つ持つ遊女。座敷持より場所が悪く日当たりもよくない。斜めにやっと差し込む出窓に桜草の鉢植えを置くのが吉原で流行した。 元禄前句附 10 (前句)痛まぬほどにつ

  • 江戸川柳 色は匂へ  「ほ」の3 ほころび 4 牡丹餅(ぼたもち)

    ほころびを笑ふは内儀ぬふ気なり   縫ってくれるんだ。ありがとう。 ほころびと子をとりかへる壱人者   子守りたのむよ。はあーい。 4 牡丹餅 ぼたもちをいさぎよく喰ふ嫁の里    つきもの(姑)が落ちたのかな。 ぼた餅も砂糖しだいで息子喰い     実利主義者。うまくいけばそれもよし。   参考=ぼた餅は醜婦の異名。砂糖は持参金。 ぼたもちとぬかしたと下女いきどおり  愛しさの裏かも。難しいぞ。

  • 江戸川柳 色は匂へ  「に」の3 二十七(にじゅうしち)

    功成り名とげて身退く二十七     よくがんばったね。これからが大変だよ。  参考=老子「功成リ名遂ゲ身退クハ天ノ道ナリ」 二十七歳は遊女の年季の明ける歳。  親の苦境を救う目的を立派に果たして勇退していく、若い時は玉の輿に乗るチャンスもあるがそんなことはめったにない。二十七歳の意味を知らないと分からない川柳が多い。 仕合さ年を四五年置て行き       22・3で身請けされたのね。 二十八歳無沙

  • 江戸川柳 色は匂へ  「は」 はずかしさ

    恥しさ知って女の苦のはじめ      江戸封建の女の定め。男尊女卑。 物の味一日知れぬはづかしさ      初めてのお歯黒の日です。 あごばかり出してゐてさえ恥かしい   婚礼の丸綿緊張しますわ。 恥しさつい三月たち四月たち      はやく公開して祝ってもらえると。 元禄前句附 4 (前句)あまり淋しく文の徒書(むだがき) まだ若き法師に角(すみ)の跡有て あまり淋しく文の徒書   角=角前髪の

  • 江戸川柳 色は匂へ  「い」の4 意見

    わがどらを先へ話していけん也   わしもわかいときはなあ・・・      どら=無軌道な金使い、とくに遊里での乱費をどらを打つと言う。 来るとまづ異見巧者は蔵へ呼び   さすが、誰にも見られないように。 長意見小便ひまをもらって出    あのう、あのう、でそうなんです。 人に言ふ異見を聞いちゃ一人前   江戸にも寅さんが居たんだ。 むりな意見は魂を入れかへろ    仙人でも無理じゃない。器用なこと

  • 江戸川柳 色は匂へ  「す」の2 捨 子

    今すてる子にありたけの乳をのませ    親心。せつない。 泣くよりもあわれ捨子のわらひ顔     泣けるなあ。貧しいこととは。 拾はるゝ親はやみから手をあはせ     江戸の貧富の格差だ。 元禄前句附 1 (前句)寝るほど寝ては心よきもの 百億の黄金も下戸はもち腐(ぐさり) (前句)寝るほど・・・  どんなに財産を持っていても酒が飲めないやつは可哀そうだよ。酔ってぐっすり寝て、気持ちよく目覚めるこ

  • 江戸川柳 色は匂へ  「せ」の2 蟬

    つかまると蟬は地声で鳴ている     あれが地か。 蟬のなく下に子供が二三人       よく見かけた昭和。 蟬がなき出すとお世話になりました   通り雨、もう大丈夫だ。 江戸川柳  前句附  冠附(上五) 沓附(下五)  江戸川柳を鑑賞するときはその表現形式を知っておくとよいようである。中でも代表的なのが前句附である。点者(選者)がお題を出し、それに対して五七五の十七文字で応える。読み上げる時は

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