• 江戸川柳 色は匂へ  「い・ゐ」の5 石打 6 石山 7 以上 

    5 石打(いしうち) 石打の先達にくるまたいとこ    石でも投げ込まないでいらりょうか。  参考 石打=婚礼の夜、近隣の青年たちがその家に石を投げ石習慣。地を打ち固める意     味の習俗。     先達=リーダー、ここではまた従兄弟がリーダー。 腹のたつ顔もまじって水あびせ    恋敵か水のかけかたが違うで。     習俗にことよせて自分の思いをぶちまけあきらめる。そんな意味も含む行事で   

  • 江戸を見れば 111  役人の不正が横行

     1713年正徳3年癸巳(みずのとみ) 勘定奉行荻原重秀の失脚後10月14日に将軍家宣が没した。  家宣は、風邪をひき10月14日死亡、51歳。家宣の遺体は20日に増上寺に移され、11月2日葬儀が行なわれた。  5歳の家継が第7代将軍の座についた。家継は短命で1716年に7歳で亡くなられた。  将軍の短命と天災・人災が連続して生活不安も増大した。そのような状況の中、日本全国で代官配下による不正が横

  • 江戸川柳 色は匂へ  「う」の3 胡散(うさん) 4 牛方(牛方) 5 丑の日(うしのひ)

     3 胡 散 うさんといふにほひ女房かぎ出し   女房が嗅ぎつける恐るべき能力。第六感。  参考 胡散=うさん臭い、疑い怪しむべきこと。 三味線がばったりやむとうさん也   ひっそりと、なんだ、どうした。あのやろう。  4 牛 方 牛方のあきらめて行くにわか雨    牛のテンポにあわせて、濡れて行くか。  参考 牛方=牛を使って運搬する職業。 絵になる風景だね。  5 丑の日 丑の日にかごでのり込

  • 江戸を見れば 110  賄賂で勘定奉行を罷免

     1712年正徳2年壬辰(みずのえたつ) 古今東西いずこも同じ、権力にまつわる贈収賄事件が花ざかり。  17年間の実績を持つ勘定奉行、荻原重秀が賄賂によって巨額の富を蓄積したという理由で罷免された。  これは新井君美(きみよし)の三度にわたる決死的な封事(ふうじ、他見をはばかり密封して君主に奉る意見書、意見封事)によるもので、官民癒着のお手本のような賄賂であった。  御用商人の中でも荻原重秀勘定奉

  • 江戸川柳 色は匂へ  「む」の3 麦 4 聟(むこ)

    いろりにてくどきおとして麦の中    麦畑は田舎のパラダイスだ。  参考 冬は囲炉裏端で話がはずみ良い仲になる男女が多い。しかし、田舎のこと人目を    忍ぶのは麦が成長するまで待たねばならない。田舎事情があった。 まだのびもせぬにもう來る麦ばたけ   辛抱がたりねえな。 麦ばたけざわざわざわと二人にげ    野暮なやつか。恋敵か。 4 聟(むこ) 聟えらみする内柳臼になり     えり好みをして

  • 江戸川柳 色は匂へ  「な」の3 名(な) 4 中の町(ちょう)

    なくっても事のかけない女房の名   オイだけで済ましちゃう。 名も呼ばずモシとも言はぬ内が花   アノ、アノ 新妻のういういしさ。 親の名の次第に似合ふ三回忌     若旦那、貫禄できたね。よお、いい男。 親の名がついて母親呼かねる     なんて呼ぼう。呼び捨てもできないし。 内ぢうの名をいってよぶせわしなさ  あるある。上から順に全部呼ぶ。 4 中の町(なかのちょう) 中の町さいたが通る見とも

  • 江戸川柳 色は匂へ  「ね」の3 年明(ねんあき・ねんあけ) 4 ねんごろぶり(念比ぶり)

    年明キの古郷へにしき脱いで來る  きびしい老後が待っている。  参考 年明=奉公の年季が終わること。遊女の年明は27歳ころ。古郷へ錦=諺、故郷    へ 錦を飾る。錦を着て故郷へ帰ること。遊女の年明きは勤めできた立派な衣装を    脱いで粗末な衣装で帰郷する。 運のない年明き茅屋へもどり    運よく玉の輿に乗る人もいる。 年明ケの女らしいも二三年     二三年が勝負ね。がんばらなくっちゃ。 案

  • 江戸川柳 色は匂へ  「つ」の3 通詞(つうじ・通事) 4 塚

     ほれたのを通詞壱人がおかしがり   因果な役目でござる。  参考 通詞=通訳官、長崎に住み唐通詞、おらんだ通詞がある。長崎丸山の遊女に惚れての問答を通訳する。通詞はおかしくもあり馬鹿馬鹿しくもある。  通詞さへ口舌の時はあきれはて    いい加減にしてよ。うんざり。       口舌(くぜつ)=痴話げんか。  来朝に通詞もいらぬ雪の峯    この美しさ。通訳いらない。最高。    来朝=外国の使

  • 江戸を見れば 109 新井君美(きみよし・白石)という男

     新井君美の祖先は上野国新田郡新井村(群馬県太田市)の土豪であったが、豊臣秀吉の小田原征伐で没落。後に父正済は上総久留里(くるり)藩に仕官し目付(監察官)をつとめる。  白石は明暦の大火の翌日明暦3年(1657年)2月10日に焼け出された避難先で生まれた。  新井 白石(あらい はくせき)は、江戸時代中期の旗本・政治家・朱子学者。一介の無役の旗本から学問をもってここまで上り詰めた。  現代のトップ

  • 江戸川柳 色は匂へ  「そ」の3惣仕舞(そうしまい) 4杣(そま)

     惣仕廻けっきの勇と茶屋はとめ  (取りつかれるとこんなことになる。)  参考 惣仕舞=一軒の妓楼の遊女を全部買い切ること。妓楼=女郎屋、遊女屋、青楼。    遊びなれない男は見栄を張って一人の遊女のために総あげ惣仕舞をするような馬鹿    なことやってしまう。妓楼は儲かるが茶屋は儲けにならないシステムになってい    る。だから茶屋の人は本音を言う。  御茶ひきも煎じ出さるる総仕舞  (全員集合

  • 江戸を見れば 108  時代の節目には新人が登場するものだ

     1710年宝永7年庚寅(かのえとら) 生類憐みの綱吉将軍が没し、大老柳沢吉保が隠居して、新しい時代には新しい人が現れるものだ。  側用人間部詮房(まなべあきふさ)は事務的能力にたけていて、政治に対する建議は新井君美(きみよし・白石)によっていた。  武家諸法度や諸士法度の理念は新井白石の儒学思想や儀礼主義が基本となっている。  しばらくは、新井白石から目が離せない。  一介の無役の旗本であった新

  • 江戸川柳 色は匂へ  「た」の3 鯛 4 大伽藍(だいがらん)

    ひだを直しながら鯛の先へ立ち    威儀を正して進物にする鯛。  江戸時代の鯛は、めでたい魚とされ祝に送る習慣があった。特別の魚である。 まだうごく尾へ奉書の紙をかけ    祝いの儀式、ありがたく頂戴。  奉書=上意を奉じて侍臣・右筆(ゆうひつ)らが下す命令の文書。 鯛ぐらいただうんうんと御あいさつ  賄賂流行時代、鯛ではねえ。うんうん。 鯛肩身釣るまで待つと夫人なり    女の実利主義、まつわ、

  • 江戸川柳 色は匂へ  「よ」の3 吉野山 4 吉原(よしわら)

    吉野山十七文字ではほめたらず   字余りで褒めたんだ。  参考 貞室の俳句「これはこれはとばかり花の吉野山」は一字多い字余りの句である。 吉野山むだ花の咲く四十年   南北朝の戦で花見どころではなかった。 4 吉 原 吉原の方へ死んでも枕をし    北枕のこじつけ、男の性か。  参考 江戸で唯一の官許の吉原は、男の社交場でもあった。男の関心は常に北(吉原の異称)にあり、死んでも北枕になって吉原の方

  • 江戸川柳 色は匂へ  「か」の3 鏡 4 学問

    おはぐろが喰いつくやうに鏡を見   真剣勝負の顔だ。怖いぞ。 参考 おはぐろ液を口の中に垂らすと異様な味がするので慎重を要する。 月食に向って下女はぬり立る     曇りかがみを手で拭いて・・・ 鏡へむかい鼻など下女つまみ     つまんでもたこうはならんで 鼻息で近目鏡をくもらせる      まったく、メガネがくもる。 4 学 問 学問とはしごは飛んでのぼられず   すべてが継続の力に欠ける時代

  • 江戸川柳 色は匂へ  「わ」の3 若旦那 4 わっち(私)

    若旦那夜はおがんで昼しかり     昼主人、夜家来 たいへんですね。 いふ事を夜きく下女は昼きかず    頭上がらないな、まあいいか。 若旦那さまと書いたを下女おとし   親父に拾われたら大変だぞ。 4 わっち みづからをすててわっちをご寵愛   わっちの方がおもしろいや。  参考、みづから=身分ある女の自称 わっち=中以下の町家の女の自称 屋しき中わっちが思ふやうにする   あやつられるバカ殿様

  • 江戸を見れば 107  徳川綱吉将軍麻疹で没

     1709年宝永6年己丑(つちのとうし) 正月10日に綱吉は麻疹で没した。2月には夫人も麻疹で死没。  批判の的であった生類憐みの令と宝永通宝の通用令は廃止された。  人事の刷新も行われ、5月1日には家宣(いえのぶ)が将軍となり、6月3日には柳沢吉保は隠居した。  側用人間部詮房(まなべあきふさ)と若年寄支配下であった新井君美(きみよし・きんみ)(白石は号)の時代となった。  綱吉の死は、人々をホ

  • 書籍:「いろは判じ絵 —江戸のエスプリ・なぞなぞ絵解き」

    この本も図書館で借りました。本気で謎解きをやってみる難しすぎてどれも解けません。 江戸時代の生活習慣の知識を知らないと何も解けないと思います。なぜその絵がその言葉を意味するかの解説がすべて載っていると思いましたが、最初の数ページだけです。

  • 江戸を見れば 105  庶民の政治に対する批判噴出

     1707年宝永4年丁亥(ひのとい) 落書・捨文をはじめ、流言・雑説は度々の禁令にもかかわらず繰り返し行われた。  参考、落書(らくしょ)=らくがき。時事または人物を諷刺・嘲弄した匿名の文書。人目につきやすい場所や権勢家の門などに貼りつけ、または捨文(すてふみ)として道路に落として置くもの。  流言・雑説=根拠のない風説。うわさ。流説(るせつ)  いつの時代も当時の「落書き」を見ると庶民の政治や権

  • 江戸川柳 色は匂へ  「お・を」の5 大三十日(おおみそか)

    大晦日首でも取って来る気也    いざ出陣、無事のお帰りを。  参考、江戸時代の大晦日の意味を知らないと落語の鑑賞はできない。庶民の支払いは盆と暮れの二期払いか、年4度の支払いとなっており、決済の時期が長かった。  だから、掛け売り代金を取り立てる方も代金を支払う方も、首を取るか取られるかの真剣勝負であった。井原西鶴の世間胸算用「掛け取り上手の五郎左衛門」や町人の生活の悲喜哀歓が伝わってこない。

  • 江戸を見れば 104  柳沢吉保 大老となる

     1706年宝永3年丙戌(ひのえいぬ) 幕府は相も変わらず財政の窮迫を救うために元禄銀の銀の含有量を50パーセントとして新銀貨を鋳造・発行した。  通貨は膨張して実質低下となり物価は騰貴するもそれを抑制する政策は打てなかった。諸物価引き下げ令を出し、暴利の豆腐屋まで処罰する一方、相も変わらず生類憐みの令に違反するものを厳しく処罰した。   生類憐みの令において多くの保護規定が出されたのは、犬に関す

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