• 【顕証寺】(けんしょうじ)と【久宝寺寺内町】大阪府八尾市

    【顕証寺】(けんしょうじ)は、大阪府八尾市久宝寺にある浄土真宗本願寺派の寺院。山号は近松山。久宝寺御坊ともいう。 かつて、周囲に寺内町を形成し、現在もその町並みをとどめている。伝承によれば、久宝寺の地名は、飛鳥時代に聖徳太子が「久宝寺」を当地に創建したことに由来する。顕証寺西側の許麻神社(こまじんじゃ)境内には太子創建を伝える久宝寺観音院があったが、明治の神仏分離で廃絶した。 【顕証寺】(けんしょ

  • 【城南宮】(じょうなんぐう)京都市伏見区

    【城南宮】(じょうなんぐう)京都市伏見区 式内社で、旧社格は府社。「方除の大社」として知られている。息長帯日売命(神功皇后)、八千歳神(大国主神)、国常立尊を主祭神とし、他に天照皇大神、品陀別命、別雷神、大山咋神、天児屋根命、宇気毛智神を祀る。創立年代は不詳である。この地にあった式内社「真幡寸神社」に、神功皇后の三韓征伐の際に船上に立てた旗に神功皇后・八千戈神(大国主神)の神霊を添えて奉斎したのに

  • 【西本願寺】(にしほんがんじ)京都市下京区

    【西本願寺】(にしほんがんじ)京都市下京区 京都市下京区にある仏教寺院。浄土真宗本願寺派の本山である。山号は龍谷山(りゅうこくざん)。西本願寺は通称であり、正式名称は「龍谷山 本願寺」、宗教法人としての名称は「本願寺」である。京都市民からは「お西さん」の愛称でも親しまれている。真宗大谷派の本山である「東本願寺」(正式名称「真宗本廟」)と区別するため、両派の本山は通称で呼ばれることが多い。文永7年(

  • 【清凉寺】(せいりょうじ)京都市右京区 (2/2)

    【清凉寺】(せいりょうじ)京都市右京区 山号を五台山(ごだいさん)と称する。嵯峨釈迦堂(さがしゃかどう)の名で知られ、中世以来「融通念仏の道場」としても知られている。宗派は初め華厳宗、後に浄土宗となる。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は奝然、開山(初代住職)はその弟子の盛算(じょうさん)である。棲霞寺草創から数十年後、当時の中国・宋に渡り、五台山(一名、清凉山)を巡礼した奝然(“ちょうねん”938-

  • 【清凉寺】(せいりょうじ)京都市右京区 (1/2)

    【清凉寺】(せいりょうじ)京都市右京区 山号を五台山(ごだいさん)と称する。嵯峨釈迦堂(さがしゃかどう)の名で知られ、中世以来「融通念仏の道場」としても知られている。宗派は初め華厳宗、後に浄土宗となる。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は奝然、開山(初代住職)はその弟子の盛算(じょうさん)である。棲霞寺草創から数十年後、当時の中国・宋に渡り、五台山(一名、清凉山)を巡礼した奝然(“ちょうねん”938-

  • 【松尾大社】(まつのおたいしゃ/まつおたいしゃ)京都市西京区 (2/2)

    【松尾大社】(まつのおたいしゃ/まつおたいしゃ)京都市西京区 式内社(名神大社)で、二十二社(上七社)の一社。旧社格は官幣。京都市西部、四条通西端に位置し、東端の八坂神社(祇園社)と対峙して鎮座する。元来は松尾山(標高223メートル)に残る磐座での祭祀に始まるとされ、大宝元年(701年)に文武天皇の勅命を賜わった秦忌寸都理(はたのいみきとり)が勧請して社殿を設けたといわれる。その後も秦氏(はたうじ

  • 【松尾大社】(まつのおたいしゃ/まつおたいしゃ)京都市西京区 (1/2)

    【松尾大社】(まつのおたいしゃ/まつおたいしゃ)京都市西京区 式内社(名神大社)で、二十二社(上七社)の一社。旧社格は官幣。京都市西部、四条通西端に位置し、東端の八坂神社(祇園社)と対峙して鎮座する。元来は松尾山(標高223メートル)に残る磐座での祭祀に始まるとされ、大宝元年(701年)に文武天皇の勅命を賜わった秦忌寸都理(はたのいみきとり)が勧請して社殿を設けたといわれる。その後も秦氏(はたうじ

  • 【下桂御霊神社】(しもかつらごりょうじんじゃ)京都市西京区

    【下桂御霊神社】(しもかつらごりょうじんじゃ)京都市西京区 桂離宮の西に位置する御霊神社(ごりょう じんじゃ)は、下桂御霊神社(しもかつら ごりょう じんじゃ)とも呼ばれる。旧下桂村の産土神(うぶすなのかみ)、桂宮家の産沙神(産土神)になる。 祭神は、橘逸勢(たちばなのはやなり)、天兒屋根命(あめのこやねのみこと)を祀る。御霊社。御霊八社のひとつ。歴史年表 創建の詳細、変遷は不明。かつて、旧下桂村

  • 【桂離宮】(かつらりきゅう)京都市西京区桂 (6/6)

    【桂離宮】(かつらりきゅう)京都市西京区桂 江戸時代の17世紀に皇族の八条宮の別邸として創設された建築群と庭園からなる。面積は約7万平方メートルで、うち庭園部分は約5万8千平方メートルである。離宮とは皇居とは別に設けた宮殿の意であるが、「桂離宮」と称するのは明治16年(1883年)からで、それ以前は「桂別業」などと呼ばれていた。江戸時代初期の造営当初の庭園と建築物を遺しており、当時の朝廷文化の粋を

  • 【桂離宮】(かつらりきゅう)京都市西京区桂 (5/6)

    【桂離宮】(かつらりきゅう)京都市西京区桂 江戸時代の17世紀に皇族の八条宮の別邸として創設された建築群と庭園からなる。面積は約7万平方メートルで、うち庭園部分は約5万8千平方メートルである。離宮とは皇居とは別に設けた宮殿の意であるが、「桂離宮」と称するのは明治16年(1883年)からで、それ以前は「桂別業」などと呼ばれていた。江戸時代初期の造営当初の庭園と建築物を遺しており、当時の朝廷文化の粋を

  • 【桂離宮】(かつらりきゅう)京都市西京区桂 (4/6)

    【桂離宮】(かつらりきゅう)京都市西京区桂 江戸時代の17世紀に皇族の八条宮の別邸として創設された建築群と庭園からなる。面積は約7万平方メートルで、うち庭園部分は約5万8千平方メートルである。離宮とは皇居とは別に設けた宮殿の意であるが、「桂離宮」と称するのは明治16年(1883年)からで、それ以前は「桂別業」などと呼ばれていた。江戸時代初期の造営当初の庭園と建築物を遺しており、当時の朝廷文化の粋を

  • 【桂離宮】(かつらりきゅう)京都市西京区桂 (3/6)

    【桂離宮】(かつらりきゅう)京都市西京区桂 江戸時代の17世紀に皇族の八条宮の別邸として創設された建築群と庭園からなる。面積は約7万平方メートルで、うち庭園部分は約5万8千平方メートルである。離宮とは皇居とは別に設けた宮殿の意であるが、「桂離宮」と称するのは明治16年(1883年)からで、それ以前は「桂別業」などと呼ばれていた。江戸時代初期の造営当初の庭園と建築物を遺しており、当時の朝廷文化の粋を

  • 【桂離宮】(かつらりきゅう)京都市西京区桂 (2/6)

    【桂離宮】(かつらりきゅう)京都市西京区桂 江戸時代の17世紀に皇族の八条宮の別邸として創設された建築群と庭園からなる。面積は約7万平方メートルで、うち庭園部分は約5万8千平方メートルである。離宮とは皇居とは別に設けた宮殿の意であるが、「桂離宮」と称するのは明治16年(1883年)からで、それ以前は「桂別業」などと呼ばれていた。江戸時代初期の造営当初の庭園と建築物を遺しており、当時の朝廷文化の粋を

  • 【桂離宮】(かつらりきゅう)京都市西京区桂 (1/6)

    【桂離宮】(かつらりきゅう)京都市西京区桂 江戸時代の17世紀に皇族の八条宮の別邸として創設された建築群と庭園からなる。面積は約7万平方メートルで、うち庭園部分は約5万8千平方メートルである。離宮とは皇居とは別に設けた宮殿の意であるが、「桂離宮」と称するのは明治16年(1883年)からで、それ以前は「桂別業」などと呼ばれていた。江戸時代初期の造営当初の庭園と建築物を遺しており、当時の朝廷文化の粋を

  • はじめまして!

    はじめまして! 暇つぶし気晴らし兼ねて、自己満ブログになってしまうんだろうな〜という事は気にせずノリノリで更新していきたいと思っています(ᵔᴥᵔ) ドラッグストアで登録販売者という資格で働いており、2類3類医薬品、サプリメント、漢方等の知識が多少あります。笑 本当にいいサプリメントはこれ! ダイエットに効くのは… 肌荒れにいいのは… 生理痛の緩和には… といったこともお伝えしていきます!! さらに

  • 【五劫院】(ごこういん)奈良市北御門町

    【五劫院】(ごこういん)奈良市北御門町 【五劫院】(ごこういん)は、奈良県奈良市北御門町にある華厳宗の寺院。東大寺末。山号は思惟山。 重源(ちょうげん)上人が宋から請来したと伝えられる五劫思惟阿弥陀仏坐像(重文)がご本尊です。「劫」とは時間を表す言葉で、大きな岩に、3年に一度天女が舞い降りて袖で岩を払い、その岩が磨り減るまでの時を指します。それが5回繰り返される五劫という、気の遠くなるような長い時

  • 【奥の院(法界躰性院)】 真言律宗総本山 西大寺

    【奥の院(法界躰性院)】 真言律宗総本山 西大寺 興正菩薩は正応3年(1290)8月25日遷化し、27日に西大寺西北の林間で荼毘に付された。その地に営まれた御廟所が当院である。門正面に総高三四二センチ、二重基壇の興正菩薩の石造大五輪塔がある。他に第二代慈真和上、第三代宣瑜上人、性瑜上人、第六四代泓澄和上、諸長老の五輪塔もある。その後、近世には近在の村墓地として展開した。廟塔の北西に江戸時代創建の地

  • 【室生寺】(むろうじ)奈良県宇陀市 (2/2)

    【室生寺】(むろうじ)は、奈良県宇陀市にある真言宗室生寺派大本山の寺院。山号を宀一山(べんいちさん)と号する。開基(創立者)は賢憬(賢璟)、本尊は釈迦如来である。奈良盆地の東方、三重県境に近い室生の地にある山岳寺院である。宇陀川の支流室生川の北岸にある室生山の山麓から中腹に堂塔が散在する。平安時代前期の建築や仏像を伝え、境内はシャクナゲの名所としても知られる。女人禁制だった高野山に対し、女性の参詣

  • 【室生寺】(むろうじ)奈良県宇陀市 (1/2)

    【室生寺】(むろうじ)は、奈良県宇陀市にある真言宗室生寺派大本山の寺院。山号を宀一山(べんいちさん)と号する。開基(創立者)は賢憬(賢璟)、本尊は釈迦如来である。奈良盆地の東方、三重県境に近い室生の地にある山岳寺院である。宇陀川の支流室生川の北岸にある室生山の山麓から中腹に堂塔が散在する。平安時代前期の建築や仏像を伝え、境内はシャクナゲの名所としても知られる。女人禁制だった高野山に対し、女性の参詣

  • 融通念仏宗【生安寺】(しょうあんじ)大阪府柏原市

    融通念仏宗【生安寺】(しょうあんじ) 生安寺の堂前の軒下に直径30センチぐらいの鰐口(わにぐち)がかかっています。その鰐口の銘帯に「生安寺」と書いてなくて「河内国道明寺長福寺」と書いてあります。長福寺というのは昔、藤井寺市の「道明寺」の境内にあった寺です。この鰐口は1371年の鋳造です。 元亀3年(1572年)に織田信長が古市の高原城を攻めた際、戦火でを避けるため移されそのままになったといわれてい

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