• 真言宗【大日寺】(だいにちじ)大阪市城東区

    真言宗【大日寺】(だいにちじ)大阪市城東区 お寺の入り口には正面に隣接する「八剣神社」の鳥居が見えます。弘仁年間(810年~824年)に弘法大師が創建されたと伝えられています。ご本尊の大日如来は、「摂陽群談」第12巻にも弘法大師手造りの像と記載されています。本堂には大日如来のほか、如意輪観音(にょいりんかんのん)、不動明王(ふどうみょうおう)や釈迦如来(しゃかにょらい)、阿弥陀如来(あみだにょらい

  • 【八劔神社】(やつるぎじんじゃ)大阪市城東区 (2/2)

    【八劔神社】(やつるぎじんじゃ)大阪市城東区  応永3年(1396年)の創祀と伝えられ、八劔大明神・武速須佐雄大神(たけはやすさのおのおおかみ)・罔象女大神(みづはのめのおおかみ)を祭神としています。  宝暦年間に京都下鴨の神主が記録した社記によれば、応永のはじめのある夜、鴫野村住民の夢の中に一人の老翁が現れ、「吾は熱田の神なり、跡を此の地に垂れんと欲す。明日汝等出て来て吾を淀川の辺に迎えよ」との

  • 【八劔神社】(やつるぎじんじゃ)大阪市城東区  (1/2)

    【八劔神社】(やつるぎじんじゃ)大阪市城東区 応永3年(1396年)の創祀と伝えられ、八劔大明神・武速須佐雄大神(たけはやすさのおのおおかみ)・罔象女大神(みづはのめのおおかみ)を祭神としています。 宝暦年間に京都下鴨の神主が記録した社記によれば、応永のはじめのある夜、鴫野村住民の夢の中に一人の老翁が現れ、「吾は熱田の神なり、跡を此の地に垂れんと欲す。明日汝等出て来て吾を淀川の辺に迎えよ」とのお告

  • 【八坂神社】(やさかじんじゃ)大阪市城東区

    【八坂神社】(やさかじんじゃ)大阪市城東区 京都の八坂神社の分社で素戔鳴尊(すさのおのみこと)をお祀りしています。1913年10月14日に永田村の水神社(現在永田4丁目蓮乗寺の一部)とともに八劔神社に合祀されるまで、天王田の氏神様でした。合祀されたあと神社の跡地は長い間、荒れ放題で狛犬だけが転がっていたとのことです。1980年に天王田地区の人々の強い懇願と協力により元の場所に再建されました。当社の

  • 【白高大善神】(はくたかだいぜんしん)大阪市城東区

    【白高大善神】(はくたかだいぜんしん)大阪市城東区 大阪市城東区鴫野西の西鴫野西第3児童公園(さくら公園)の中に【白高大善神】(はくたかだいぜんしん)は鎮座しています。同じ公園内に「日蓮宗身光山妙見閣寺跡」の碑があります。「さくら公園」は南北に長い公園で、一番北側、「慈宝院」というお寺がある前の入り口からはいると【白高大善神】(はくたかだいぜんしん)を見つけやすいと思います。由緒等は不明です。 こ

  • 【谷の清水 地蔵尊】大阪市天王寺区

    【谷の清水 地蔵尊】大阪市天王寺区 昔はこちらの井戸の水源はここから約10m南西の民家の井戸からひいていたらしいです。しかし元井戸の水も涸れてきたので、昭和51年より現井戸の地下約15mをポンプで汲み上げているのが現実だそう。戦前は近隣の風呂屋、醤油醸造所がここの井戸の水脈を利用するほど水量は豊富だったそうです。 『摂津名所図会』には、「谷の清水、庚申堂の南一丁ばかりあり、清泉にして甘味なり」とあ

  • 【牛王尊】(ごおうそん)大阪市天王寺区(四天王寺内)

    四天王寺に石神堂と呼ばれる【牛王尊】(ごおうそん)という神を祀る社があります。 この社には、四天王寺創建の際に材木を運んでいた牛が伽藍の完成と共に石神に変わってしまったという伝承があります。 そのため、社の中では「牛の石像」が祀られています。次のように書かれてあります。 「この御堂は聖徳太子四天王寺御創建の時その材木をひきたる牛変じて石神となり永く衆生を利益せんとの誓願により建立せられたるもの也 

  • パワースポット【鴫野神社】悪縁切りと良縁祈願 大阪市天王寺区

    パワースポット【鴫野神社】(しぎのじんじゃ)悪縁切りと良縁祈願  大阪市天王寺区 【鴫野神社】(しぎのじんじゃ)は生國魂神社の一番奥にひっそりと佇んでいます。パワースポット「鴫野神社」(しぎのじんじゃ)の後ろに神木があります。弁天島に祀られており、淀殿が篤く崇敬しました。淀殿死去の後は淀姫社と呼ばれるようになりました。現在も「女性守護の神」として信仰を集めてる心の文字に鍵がかかっている絵馬が有りま

  • 【生國魂神社】(いくくにたまじんじゃ)大阪市天王寺区

    【生國魂神社】(いくくにたまじんじゃ)大阪市天王寺区 祭神は、「生島大神」(いくしまのおおかみ、生嶋大神)「足島大神」(たるしまのおおかみ、足嶋大神)「大物主大神」(おおものぬしのおおかみ)。 延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳における祭神の記載は2座。同帳では「難破坐生国咲国魂神社二座」と記載されるが、その社名は「難波に鎮座する生国魂神・咲国魂神の社」という意味になり、同帳のうえでは祭神

  • 【生國魂神社】(いくくにたまじんじゃ)大阪市天王寺区

    【生國魂神社】(いくくにたまじんじゃ)大阪市天王寺区 式内社(名神大社)。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。大阪市中心部、難波宮跡や大坂城(大阪城)から南西方の生玉町に鎮座する。かつては現在の大坂城の地に鎮座し、中世にはその社地に近接して石山本願寺も建立され繁栄したが、石山合戦後の豊臣秀吉による大坂城築城の際に現在地に遷座されている。 この生國魂神社が祭神とする生島神(いくしまのかみ)

  • 【長安寺】(ちょうあんじ)大阪市天王寺区

    【長安寺】(ちょうあんじ)は、大阪府大阪市天王寺区にある浄土宗知恩院末の寺院。山号は瀧水山。本尊は阿弥陀如来。 大阪新四十八願所阿弥陀巡礼第20番札所。大坂三十三箇所観音めぐり第14番札所。 5月中旬から6月上旬にかけて境内は色とりどり、数多くの花菖蒲で埋め尽くされます。 所在地: 〒543-0017 大阪府大阪市天王寺区城南寺町5−13             #じゃらん #じゃらんネット #じ

  • 【稲生神社】(いなりじんじゃ)大阪府八尾市天王寺屋

    大阪府八尾市天王寺屋の国道25号線沿いに鎮座する【稲生神社】(いなりじんじゃ)です。 この周囲は天王寺屋吉兵衛氏が開発した天王寺屋新田が地名の由来である地域です。長瀬川(旧久宝寺川)はJR線の東側にあります。 不思議なのですが、国道25号線でも天王寺屋地蔵てんのうじやじぞうと稲生神社の玉垣の前には駐車余地があります。少し高く土盛りされた上に鎮座しています。 立派な大銀杏があり、神社の年代があること

  • 【大阪今昔 歩く地図帖】大阪市天王寺区

    社寺仏閣巡りが好きなので、今と昔を写真で比較した本をよく借ります。「大阪今昔 歩く地図帖」の載っている写真をみると、茶臼山、河底池(かわぞこいけ・こそこいけ、通称ちゃぶいけ)の辺りはほとんど変わってないのがわかります。 (撮影:2016/7/11) #じゃらん #じゃらんネット #観光スポット #むらごんブログ #ムラゴン #Sakamoto119

  • 【心眼寺】(しんがんじ)大阪市天王寺区 /「真田幸村出丸城跡」

    【心眼寺】(しんがんじ)大阪市天王寺区 /「真田幸村出丸城跡」 大阪新四十八願所阿弥陀巡礼 第11番 真田幸村とその子・大助の供養のために真田家の祖先である滋野氏が江戸時代に建てた寺です。心眼寺周辺は大坂冬の陣で真田幸村が築いた大坂城の出丸・真田丸跡地といわれています。「三光神社「が真田丸の東側に位置し、【心眼寺】は西側にあたります。「真田幸村出丸城跡」の碑が門のところにあります。門の前は大阪明星

  • 【河堀稲生神社】(こぼれいなりじんじゃ)大阪市天王寺区

    【河堀稲生神社】(こぼれいなりじんじゃ)大阪市天王寺区 祭神は、宇賀魂大神、崇峻天皇、素盞嗚尊。 古代・景行天皇の時代、当時昼ヶ丘と呼ばれていたこの地に稲生の神を祀ったのが最初とされている。聖徳太子が四天王寺を建立した際に社殿が造営され、崇峻天皇を合祀して四天王寺七宮の一つに数えられた。 続日本紀によれば、延暦7年(788年)3月、摂津太夫・和気清麻呂が農業の振興と水害の防止を目的に、摂津国と河内

  • 【大江神社】(おおえじんじゃ)大阪市天王寺区

    【大江神社】(おおえじんじゃ)とは大阪府大阪市天王寺区にある神社。四天王寺の鎮守である四天王寺七宮のひとつ。祭神は豊受大神、素盞嗚尊、欽明天皇、大己貴命、少彦名命。祀る堂があり、虎は毘沙門天を護るとされている。狛虎は元々は阿吽で1対をなしていたが、吽形の方が明治初期に某寺に持ち出されてしまったと言われている。現在の吽形は2003年に再建されたものである。狛虎には阪神タイガースのファンより、メガホン

  • 【三光神社】(さんこうじんじゃ)大阪市天王寺区

    【三光神社】(さんこうじんじゃ)大阪市天王寺区 天王寺区の宰相山公園にあり、仁徳天皇・天照大神・月読命・素盞嗚命を祀る三光神社。社伝によれば、寛文元年(1661)に当社は南東方向にある鎌八幡の隣に移転されたが、その後宝永3年(1706)に再び現在地に戻ったという。古くは「日月山神社」とも、「姫山神社」とも呼ばれたらしい。明治11年(1908)に陸奥国青麻の三光宮の分霊を勧請・合祀したことから、「三

  • 【番匠堂】(ばんしょうどう)四天王寺内

    【番匠堂】(ばんしょうどう)四天王寺内 聖霊院(太子殿)猫之門前に【番匠堂】(ばんしょうどう)があります。この御堂には、日本における大工技術の始祖として番匠(大工)達から尊崇されている聖徳太子の像が祀られています。番匠の象徴である曲尺(かねじゃく)を携えたそのお姿により、 世に「曲尺太子(かねじゃくたいし)」といわれています。四天王寺は、推古天皇元年(593年)に聖徳太子が、鎮護国家、済世利民(さ

  • 役行者像「大聖大悲不動明王」「南無神変大菩薩」四天王寺内

    役行者像「大聖大悲不動明王」「南無神変大菩薩」四天王寺内 向かって右側に役行者の「南無神変大菩薩」と書かれたのぼりが見えます。正面にまつられているのは、「大聖大悲不動明王」と二童子です。 「南無神変大菩薩」のうち、「神変大菩薩」( しんぺんだいぼさつ)とは、 南北朝時代を経て山伏の活動は一段とさかんになり,室町時代には修験道の組織化が進んだが,各地の山々に割拠し,仏教各宗の寺院に属していた山伏たち

  • 【亀遊嶋辯天堂】(きゆうじまべんてんどう) 大阪市天王寺区

    【亀遊嶋辯天堂】(きゆうじまべんてんどう) 大阪市天王寺区 四天王寺の広い境内の北東側のエリアにあります。最寄駅である天王寺駅や四天王寺前夕陽が丘駅からは一番奥の場所になります。東大門から入るとすぐ左手にあります。この弁天堂は全国各地の標準的なスタイルで、池がありその中央にお堂を配しています。お堂については、お堂というよりは2重の塔のような建物です。池の中央に島があり辯才天を祀るこのお堂の姿が池に

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